第33話 人格分裂決戦1

山奥へ向かう山道は、いつもより静かだった。

鳥の声さえ控えめで、まるで森そのものが“嵐の訪れ”を察して息を潜めているようだった。


誰も無駄口を叩かない。

ただ足音だけが、ざく、ざく、と規則正しく響く。


(……来る。必ず来る……)


花野の言葉が頭から離れない。


無闘が先頭で周囲を見ながら歩いていると、Fが口を開いた。


「本当に来るの?その、無い野ってやつ。」


花野は静かに頷く。


「来ます。僕たちの存在を“感知”してるはずですから。」


当て野が補足する。


「それに……“今の無い野”は、皆殺死野を吸収して蒼の気の大半を取り戻している。

 逃げる理由がない。」


Fは顔をしかめた。


「えー……めんどくさいなー……。」


無闘は顎をポキポキ鳴らしながら振り返る。


「まあ俺達2人が居れば大丈夫だろ。」


与志野が深く息を吐いた。


「緊張感ねえな……。」


翔馬は拳を握ったまま黙って前を見る。


(……本当に来るのか……無い野が……

 俺の、元の“主人格”が……)


胸の奥が重くなる。


そんな中──


花野が、ふっと翔馬の横に立った。


「翔馬君、怖い?」


正面を向いたまま翔馬が答える。


「……分かんねぇ。でも……覚悟はしてる。」


花野は穏やかに微笑んだ。


「なら大丈夫。

 だって君は、“僕たちの中で一番強かった”んだから。」


翔馬は驚き、花野を横目で見た。


「強い?俺が?」


当て野が表情を変えず続ける。


「強いってのは、腕力や蒼の気の話じゃねぇ。

 “心”だ。

 無い野が封印されて……人格がばらばらになったとき……

 一番最初に外に出たのはお前だった。」


花野が続ける。


「僕たちじゃ外に出られなかった。

 周りの視線…狂気も、憎悪も、殺意も強すぎて……

 “外の世界”に耐えられなかった。」


そして──


「君だけが……その全てを受け止められる“優しい”心だった。」


翔馬は言葉を失った。


「……いや……全然覚えてねえけど……。」


自分の“弱さ”じゃなくて、

“優しさ”だと言われたのは、生まれて初めてだった。


ほんの少しだけ、胸が軽くなる。


だが──


その瞬間だった。


ひゅう……


森の風向きが変わった。


葉がざわざわと震え、木々が一斉に同じ方向へ傾く。


無闘が振り返った。


「……来るぞ。」


全員が立ち止まり、周囲を警戒する。


花野が両手を胸の前で組み、わずかに震えていた。


当て野はフードを深くかぶり直す。


「……早いな。」


Fが小さく息をのむ。


「来たっぽいねー……。」


空気が、どす黒く染まり始めた。


殺気とも違う。

もっと深い、底なしの“闇”のような気配。


翔馬の心臓が強く脈打つ。


(……来た……!)


無闘が叫ぶ。


「全員構えろ!!」


その声と同時に──


空間が裂けた。


まるで布を引きちぎるように、

目の前の空気が“黒く”引き剥がされる。


そこから、ゆっくりと足が現れた。


裸足の足。


ひび割れた皮膚から、ドス黒い蒼の気が漏れ出している。


次に、ボロボロのズボン。


そして──


無い野が現れた。


以前見た姿とは違う。

髪は乱れ、瞳は赤黒く濁り、

口元には、ひどく楽しそうな笑みが貼り付いていた。


「待たせたな……。

 ようやく準備が終わった。」


声が、空気を震わせる。


花野が一歩前に出た。


「無い野……!」


無い野は花野を見てニヤリと首を傾ける。


「なるほどな……。

 変だと思ったが…そっちに付いたわけだ。」


当て野が前に出て睨みつけた。


無い野の笑みが深くなる。


「ようやくだ……待ちくたびれたぞ。」


一歩踏み込む。


その一歩で──

地面が抉れ、森が揺れた。


「ようやく俺の物語が始まる。」


翔馬の全身に冷たい汗が走る。


(……これが……無い野……

 俺たちの“元になった存在”……!)


無闘が構えながら呟く。


「来るぞ。」


その瞬間。


無い野の姿が消えた。


空気が割れる。


翔馬は直感で叫んだ。


「右だッ!!」


叫んだ瞬間──

右側の木々がまとめて吹き飛んだ。


無い野がそこにいた。


近くに居た与志野と田野は何とか躱したがその威力で数メートル吹き飛んだ。


「グッッ!!!」


その攻撃の直後。


ズ……ズズッ……!


当て野が目を見開く。


「……もう一体……!?」


その空間の穴から、

ゆっくりと影のような男が這い出してきた。


──《多い死》が現れた。


黒く濁った目。

無い野とは違う方向の狂気が、空気をねっとりと汚していく。


多い死は姿を現すなり、

無闘とFの方へゆっくりと顔を向けた。


「……お前ら、か。

 “戦力”として一番厄介なのは。」


Fが冷や汗を流す。


「…いや違うよ!強いのはこいつだけ!」


「仲間売ってんじゃねえよ!」


無闘はツッコミながらも拳を握り、口角を上げた。


「へっ……いいじゃねぇか。

 強ぇ奴相手の方が燃えるってもんだ。」


多い死は細く笑い、無い野に顔を向けた。


「厄介なのは私が相手する。

君はちゃちゃっと倒して吸収しちゃいな。

あんまり時間かけないでね。」


「フッ、かかると思うか?」


その声と同時に──

森が暗くなった。


空気が一瞬、重力そのものを変えたように沈む。


次の瞬間──


大地が鳴動した。


ゴゴゴゴッ……!!


無闘が即座に叫ぶ。


「全員離れろッ!!上だ!!」


翔馬たちが見上げた先──

そこには、雲を突き破るほど巨大な“岩の塊”が出現していた。


「なっ……!?」


まるで本物の隕石。


多い死の祝福巨岩


「まずは……分断。」


多い死が静かに手を下げた。


──落ちてきた。


轟音。

空気が弾け、地面が悲鳴を上げる。


「くっっそッ!!」


翔馬は必死に飛び退き、与志野と田野も転がるように避けた。


直後──


ドォォォンッッ!!!


大爆発のような衝撃波が森を抉り、

亜里野たちと無闘・Fの間に巨大な岩の壁が生まれた。


まるで山。


完全に通れない断絶。


無闘が舌打ちしながら瓦礫の中から飛び出す。


「ちっ……!やりやがったな……!」


Fも咳き込みながら叫ぶ。


「ずるい!それは違うよ!先生!!」


崖の向こう側には翔馬たち。


そして無闘の前には、

ゆっくりと着地した多い死が佇んでいた。


「校外授業と行こうか、問題児さん。」


無闘が構え、Fが大きく息を吸う。


「……はぁ~~~めんどくさーい……!」


「黙れ動け!!」


無闘が怒鳴る中、


多い死が静かに両手を組む──


「じゃあ……“潰れる”準備はいい?」


墓石(Grave)


どんっ……!!


空間が変形し、

無闘とFの真上に“巨大な墓石の柱”が生成された。


高さ10m。

幅は二人の立つ地面を丸ごと覆うほど。


影が落ち、空気が押しつぶされる。


Fが叫ぶ。


「ちょっ、やっばッ!!」


無闘が歯を食いしばり、両拳を構える。


「避ける時間ッ……!!」


バギィィィィンッッッ!!!


「ねえッッ!!!」


二人の拳と蹴りが同時に炸裂し、

巨大な墓石は破片になって空へ散った。


破片が降り注ぐ中、無闘が吠える。


「範囲も規模も……!やっぱ桁違いだな……!」


だが──


多い死は微動だにしていなかった。


「へぇ……壊せるのか……ただの人間と侮っていたよ……。」


その瞬間。


地面が震える。


ひび割れた土から、岩が伸びてくる。


石流せきりゅう


ドドドドドッ!!


地面から“岩の壁”が無数に隆起し、

Fへ襲いかかった。


「うわっ!?ちょ、はえぇッ!!」


Fが回避しようとするが──


「逃がさないよ。」


多い死が指を弾いた瞬間、

壁がさらに増え、Fの進路を塞ぐように迫る。


無闘が叫ぶ。


「F!!飛び上がれ!!」


「言われなくても──!」


Fが跳ぼうとした瞬間、

上空にも岩の柱が生成されて落下する。


「うそでしょぉ!?」


ギャリィィィンッ!!


Fは寸前で地面に滑り込み、落下岩を回避した。


同時に無闘が多い死へ突撃する。


「本体はお前だろうがッ!!」


ゴッ!!


拳が岩の壁で防がれる。


多い死が目だけ動かし、冷たく笑う。


「“岩の海”での戦闘は僕が一番得意なんだ。」


地面が波のようにうねり、

岩の刃、岩の柱、岩の鎖が無闘へ同時に襲いかかる。


一瞬で包囲された。


しかし──


無闘はニヤリと笑った。


「へぇ……そりゃあ面白ぇ。」


拳に蒼の気が宿る。


「壊せばいいだけだろうがァッ!!」


バッ……!!


蒼の気を纏った拳が、

迫る岩の全てを粉砕していく。


Fも背後から跳びかかる。


「ふはは!!すごっ!!」


多い死が口角を上げる。


「もって10分……かな?まあせいぜい走り回ると良い。」


三者は再び激突する。


岩が飛び、拳がぶつかり、

地面が波のようにうねる。


完全に互角。


無闘とFが押し返しても、

多い死は岩で全てを補い、攻撃へ転じる。


一進一退。


だが──

この“時間稼ぎ”こそ、多い死の目的。


──一方その頃、

崖の向こうでは無い野が翔馬へ歩み寄っていた。

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