第32話 決戦準備
甘い花の香りが、夕暮れの坂道を静かに満たしていた。
花野は亜里野たちの前で一度まばたきをし、
胸に手を当てたまま、ゆっくりと語り始める。
「まず……僕たちの“正体”から話すね。」
翔馬は息を呑む。
与志野も身構えたまま、花野の言葉を待っていた。
花野は優しい声で続ける。
「僕たちは元々、無い野の
でも──その“力”を神界の連中が恐れた。」
花びらがひらりと舞い落ちる。
「無い野は封印された。
そしてね……彼は逆に、“自分の祝福”であるはずの多重人格の“ひとつ”へ落とされた。」
翔馬の心臓が強く脈打つ。
(無い野が……人格のひとつ……?
じゃあ今までの俺は……)
花野は静かに言った。
「封印されて、力を奪われた無い野の代わりに……
蒼の気も使えず、一番害のない“人格”が外に出てきた。」
当て野が補足するように口を開く。
「それがお前──“亜里野翔馬”。
無害で、扱いやすくて、神界が一番危険視しない人格。」
翔馬は言葉を失った。
「俺が……一番弱いから選ばれた……?」
花野は首を振り、優しく笑った。
「違うよ。
弱いからじゃない。“純粋”だからだ。」
与志野が歯を食いしばった。
「……俺は信用出来ねえな……
こうやって近づいてきたのも隙を見て亜里野を吸収するつもりなんじゃねえのか?」
当て野が冷静に返す。
「そんな必要はない。
俺たちは無い野を止めたいだけだ。」
花野も続ける。
「無い野は……再び人格の主導権を握ろうとしている。
そしてすべての力を取り戻して、
自分を閉じ込めてきた“神界”と……
この“下界”そのものを破壊しようとしてる。」
翔馬の頭の中が真っ白になった。
「神界……下界……全部……?」
花野は前へ一歩進み、まっすぐ翔馬を見た。
「僕たちが亜里野に近づいた理由は……
一番長く“身体の中”にいたから分かる。」
花野は亜里野の目をしっかり見ながら言った。
「君は……ぼくらの中で一番“純粋な心”を持っていた。
だから……君にしか無い野は止められないと思った。」
翔馬は拳を震わせたまま、俯く。
純粋──
そんな言葉で、自分が選ばれるなんて思っていなかった。
だけど──
(……逃げられねぇよな……
俺のせいで……ここまで巻き込んで……)
翔馬は深く息を吸い、花野と当て野を見据えた。
「……分かった。
協力する。無い野を……止める。」
与志野が驚いたように目を見開く。
「翔馬……!」
花野の表情は、どこか救われたように緩んだ。
当て野も短く頷く。
「決まりだ。
俺たちは敵じゃない。これからは同じ陣営だ。」
夕暮れの風が三人の間を吹き抜ける。
こうして──
亜里野翔馬は、自らの“人格”と手を組み、
かつてない戦いへと踏み込む覚悟を決めた。
⸻
翌朝。
冷たい空気が、肌にひんやりとまとわりつく。
昨日の出来事が嘘のように静かだが、
翔馬の胸の中は落ち着かないままだった。
(今日……無闘達に花野たちを紹介するのか……
どう説明すりゃいいんだよ……)
そんな思いを抱えたまま、翔馬と与志野は集合場所へ向かう。
そこにはすでに、無闘とFが腕を組んで待っていた。
「おい亜里野、妙に遅かったな。
ていうかそいつら……」
無闘が眉を上げる。
翔馬は深呼吸して、後ろに立つ二人を振り返った。
「実は……今日、紹介したい奴らがいる。」
花びらがふわりと舞い、花野が穏やかな笑みを浮かべて現れる。
「はじめまして。花野です。」
その隣に、フードを軽く下げながら当て野が立った。
「……当て野だ。」
無闘とFは、一瞬で警戒態勢に入った。
空気がわずかに張り詰める。
Fが目を細める。
「……なんか亜里野と似てるね、もしかして……」
翔馬は覚悟を決めて言った。
「二人は……俺の人格なんだって。
無い野の《多重人格》で生まれた存在らしい。」
無闘が片眉を持ち上げる。
「……人格? こいつらも“お前の中身”ってことか?」
花野は静かに頷いた。
「はい。僕たちは無い野の祝福が生み出した人格です。
今は……無い野を止めるために来ました。」
当て野が続ける。
「重要なのはこれからだ。
無い野は「多重人格」の主、祝福で生み出したものがどこにいるかが分かる…つまり俺達の場所は筒抜けだ。」
無闘とFの視線が鋭くなる。
「位置が分かる……ってことは……」
花野は真剣な表情で、翔馬の前へ一歩出る。
「僕たち三人の人格が揃った今、
無い野は必ずここに来る。
どこに隠れていても関係なく……必ず。」
嵐の前の静けさが走る。
無闘が腕を組んだまま、低く言った。
「なるほど……なら場所を選ぶしかねぇな。」
Fも頷く。
「このまま街中にいたら被害が出る。」
翔馬は嫌な予感に喉を鳴らす。
「ど、どこで戦うんだよ……?」
無闘は迷いなく答えた。
「決まってんだろ。
人気のねぇ場所……お前らが修行してた“山奥”だ。」
Fも納得したように頷く。
「あそこなら、無い野が本気で来ても迎え撃てる。」
無闘は振り返り、亜里野達をまとめて見た。
「よし。準備しろ。
今日これから……山奥で無い野を迎え撃つ。」
翔馬は息をのみ、拳を握った。
(ついに……無い野と正面から……か。)
花野と当て野は、翔馬の左右に自然と立つ。
人格でありながら、今は確かに“仲間”だった。
風が強く吹き、花びらが舞い散る中──
亜里野、与志野、田野、無闘、F、花野、当て野の7人は静かに覚悟を固め、山奥へ向かって歩き出した。
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