不毛の地に実りはあるか

淡瀬かがみ

本文

古びた木製の扉を開けば、「今日はもうお終いですよ」と、投げやりな声に迎えられた。声の主たる男は、振り向くことのないまま、祭壇に近い長椅子へと腰掛けていた。背もたれの上に両腕を預けた鷹揚かつ横柄な態度であるが、来訪者たる男は気にも留めず、擦り切れた絨毯の上を進んだ。

「日曜の朝だろう。ミサはやっていないのか」

「やっていたら、都合が悪いのはアンタだろう」

煙草をくゆらせ、神父服の男が不敵に笑う。

後ろでゆるく束ねられたプラチナブロンドの長髪は、遠目からでは彼を幾分か年嵩に見せるが、よくよく見れば青年と呼ぶのが相応しい年頃だった。右目を隠す前髪をさらりと揺らして、満足そうに煙を吐き出す様は、場所と服装さえ違えば路地裏でたむろする与太者と見紛うほどだ。

来訪者の男は、蛇を思わせる真紅の目を細めた。ステンドグラスから差し込む陽光は、古びた教会の中を七色に染め上げている。綺麗と形容できるものはそれ一つくらいで、ヒビの入った壁画に、身じろぎするだけで軋む床、うっすらと埃の積もった長椅子。振り返って見上げれば、パイプに穴の空いているパイプオルガン。酷いものだと思いはするが、寄付も修理もする気はない。

「お前は本当に、神父らしからぬ男だな」

男はうんざりとしたように、青年から煙草を取り上げた。即座に床へ投げ捨てられ、靴底でぐりぐりと踏みにじられた煙草は、床に焦げ跡と葉を残して鎮火した。

「汚すなよ」

不満げに男を睨みつける青年は、「最後の一本だったのに……」と小声でぶつぶつと呟く。しかし、箒を持ってくる素振りもなく、長椅子で寛いだままだった。

「説教か? 生憎と間に合っているぜ」

「そうだな。一応、お前の仕事だからな」

言うなり、男は青年の左腕を取って無理矢理に立ち上がらせた。青年は抵抗するでもなく、かといって諦観しているでもなく、されるがままに扉の外へと大人しく引きずられていった。

聖堂から出ると、漆喰の剥げた壁の続く薄暗い廊下が一本、小さな玄関に向かって延びていた。男の目的地は、その道程の中程にある、地下へと続く階段だった。一段降りるごとにぎしぎしと音を立て、足元が沈み込む感覚は、幾度渡り歩けど不安に襲われる。空気は次第にかび臭くなっていき、最後の段を降りきる頃には埃っぽささえあった。

突き当たりになっている空間に、ひとつだけ扉がある。男は躊躇なく室内へ入り、ランプに明かりを灯してから、部屋の大部分を占めているベッドへ青年を放り投げた。マットレスは跳ねた青年を受け止め、小さな埃を舞い上がらせる。投げ出された青年といえば、いそいそと起き上がり、ベッドの端へ腰掛けて男を見上げていた。

「するんだろ?」

誘いの声が孕む甘やかな響きは、ほんのり上気した頬の赤みと混ざり合り、青年自身が蜜を秘めた果実であるかのような艶めきを生み出していた。足をぱたぱたと上下に動かす子供っぽさすら、甘酸っぱさの象徴のようで、自然と男の喉は鳴った。

男が無言で頷けば、青年はしっとりと微笑んで立ち上がり、服に手をかける。ひとつひとつ、白い手袋に包まれた指がボタンを外していく。黒い礼服が、白いシャツが、スラックスが次々と床へ落ちていき、下着も、靴も投げ捨てられ、最後に残った手袋すらも外された。

地下室に浮かび上がった一糸纏わぬ青年の裸身は、びっしりと古傷で覆われていた。爪で引っかかれたような跡、火傷や肉の抉れて引き攣った跡。指先から足先に至るまで、日に焼けていない白い肌を半ば茶色に染め上げている。

男は目を逸らさず、青年も恥じる様子もない。当たり前のように青年はベッドに仰向けで横たわり、男は組み敷くように覆い被さった。シングルサイズの小さなベッドが悲鳴を上げるように深く沈み込み、重力に逆らわず、青年の前髪がシーツへと滑り落ちる。やっと顕わになった右目は、大きな傷跡で縫い合わされたように固く閉じられていた。

男には、その傷がいつ出来たものかはわからない。初めて出会った時には既に在り、青年の身体に増えていく傷の全てを把握していても、右目のものだけはついぞ知ることは叶わなかった。一度、事後にぼんやりとしている青年に聞いたこともあったが、困ったように笑われ、はぐらかされてからは二度と訊ねる気は起こらなかった。

どちらからともなく、二人の唇が交差する。深く深く交わるそれは、愛情と呼ぶにはどこか荒々しい。獣と獣が静かに睨み合う様相で、やっと離されたと思えば、混ざり合った唾液が糸のように二人を繋いでいた。

「とんだ神父様だ、本当」

青年の翠玉のような瞳に、男の赤い双眸が映される。

「『今日はもう終い』だって言っただろう?」

くつくつと忍び笑いを漏らした青年は、男のスカーフを奪い取り、シャツのボタンを外していく。覗いた首に口づけをひとつ落とし、満足したのか悪戯っぽい笑みを浮かべた。

ぷつん、と何かが切れたような音がした。男の視界は一瞬で赤く染まり、衝動に身を任せて青年へと食らいついた。男が前後に律動する度に、揺さぶられた青年は嬌声を上げる。伸ばされた傷だらけの腕は男の背中へ回され、襲い来る快感から逃れようと力任せに爪を立てた。

男の背中から流れる血が青年の指先を濡らすが、双方ともに気に留めることはない。ただ、目の前の快楽を貪るばかりだった。男が一際奥を突いた時、青年の身体が大きく跳ね、吐き出した精が彼自身の腹へ落ちた。達した感覚が抜けないのか、小刻みに震える青年は、途切れ途切れの声で続きを強請る。

男は涼しい顔のまま、青年に埋めた自身を再度律動させる。先刻よりも肥大化したそれは、より強く、深く掻き回し、もはや青年は声を上げることすらままならず、腕を男の首へ回して締め上げるように縋りつく。青年の二度目の絶頂と、男の欲が注がれたのは同時だった。互いに息も絶え絶えで、繋がったまま微睡みへ至った。


「お前は、大人しく此処に居るような質ではないだろう。人も来ない寂れた教会など捨ててしまえばいいものを」

事後の気だるさの中、狭いベッドに並んだ男はぽつりと疑問を吐き出した。青年とはそう長くない付き合いではあるが、彼の言動を鑑みると、この教会に居座っていることの方に違和感があった。面倒くさそうにしているくせに、離れたいという素振りは一度も見たことがなかったのだ。

「……今日のパンと、一袋の小麦」

枕を抱き締めて、男に背を向けた青年が低く掠れた声で呟いた。

「オレにとっちゃ、コレはただのパンだ。それは今も昔も変わらない」

指さした先には、情事の前に脱ぎ捨てた礼服があった。

「でも、オレを拾ってくれたあの人は、あちこちに小麦を蒔こうとしていた。オレの実にはなりやしなかったけど。あの人の真似だよ、単に。あの人がやってきたことの証人ってやつ」

礼服を指していた指は、ベッド脇の文机の上に置かれた写真立てへと伸びる。中には、一葉の古い写真――青年をそのまま小さくしたような、仏頂面で右目を隠した少年と、今の青年より少し年上のような、柔和な笑みをたたえた黒髪の男が映っている。

写真立てを掴む指の一本が、その男の頬を撫でるように触れる。その仕草に、男は密かに嫉妬する。いつか水面に映った己の顔と、写真の男はあまりにも酷似している。あまりにも不毛な関係だ。彼と己の間に、今更何が生まれようか?

それでも、傍らの温もりに焦がれ、男は青年へと腕を伸ばす。青年は身動きすることもなく、大人しく抱き締められていた。

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