第9話 茜さす確信

 太陽がゆっくりとその重みを増し、地平線へと傾いていく。

 空の色は、まるで誰かが深い藍の絵の具をひとしずく落としたように、刻一刻と深まっていく。昼間の眩い光が静かにその座を譲ると、世界は柔らかな赤と、沈みゆく金のあいだで、穏やかなひとつの呼吸を繰り返しているようだった。


 雲は、その燃えるような残光を全身で受け止める。

 胸の奥から熱い温度が広がり、保ち続けてきた自らの輪郭がゆっくりと融け始めていく。雲にとってこの夕暮れの色は、すべてが消え去る終わりの合図ではなかった。それは、変わりゆく運命を拒まずに受け入れるための、静かな、そして聖なる灯火のようだった。


 雲は思う。

 自分は失われてしまうのではない。ただ、別の姿へと移ろっていく。今、身体を染め上げるこの鮮烈な赤は、新しい命の準備をしているあかしなのだ。その柔らかな光は、雲の内側に「これでいいのだ」という静かな確信を、そっと育んでいった。


 地上では、あの子どもがまた空を見上げている。

 子どもの瞳に映る雲は、昼間の白さとは違う神秘的な色をまとい、どこか遠い場所へと旅立とうとしているように見えた。雲はその真っすぐな視線を感じ、胸の奥で心地よく揺れる。それは決して別れの痛みではなく、自分の旅が次の段階へ進むことを知らせる、淡い合図のようなものだった。


 夕暮れは、雲に影を与え、光を与え、そして何よりも静かな勇気を与えた。

 変わることを恐れず、沈むことを悲しまず、ただ大きな時間の流れに身を委ねる。そのための、慈愛に満ちた柔らかな時間。


 雲は赤く、どこまでも深く染まりながら、ゆっくりと夜の入口へと歩を進める。

 その色は、決して「終わり」などではなかった。それは、次の始まりの前に灯される、たったひとつの祈りのように。

 雲は、美しく燃え尽きるのではなく、美しく空へと溶けていった。


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