第7話 静寂の道

 穏やかだった風が、出し抜けにその色を変えた。

 それまで雲を優しく包み込んでいた抱擁のような流れは、鋭い刃を孕んだ旋律へと変わり、雲の身体を細く引き裂くようにして通り抜けていく。雲には抗う術などなかった。ただ翻弄され、その暴力的なまでの力に身を委ねることしかできない。


 ちぎれ、散り、少しずつその密度が薄くなっていく。

 形が失われるたびに、雲の胸の奥には静かな空洞が生まれていった。それは鋭い痛みではなく、また耐えがたい悲しみでもない。ただ、「独りである」という剥き出しの感覚が、冷たいおりのようにゆっくりと沈んでいく……そんな透明な重さだった。


 雲は、地上に落ちる自分の影を見つめた。

 海に映った影は頼りなく細く伸び、山に落ちた影は無惨に途切れ、空に溶けゆく影はもはや形すら持たない。それらすべてが自分であり、同時に、どれひとつとして自分そのものではない。その救いようのない曖昧さが、雲の心を静かに、けれど確かに締めつけていた。


 けれど、この孤独は決して敵ではなかった。

 それはむしろ、世界を真に見つめるために開かれた、たったひとつの「窓」のようなものだった。誰の手にも触れられず、何者にも寄りかかれず、ただ吹き荒れる風の音だけを聴く時間。その中で雲は、自分の内側にどこまでも広がる、深い静寂をそっと抱きしめる。


 静寂の底で、雲はひとつの真理に辿り着く。

 孤独とは、何かが失われたあとに残る惨めな影ではないのだ。それは、まだ出会ったことのない「本当の自分」へと続く、細く、けれど確かな道のようなもの。その道には眩い光もなければ、凍えるような暗闇もない。ただ淡く、どこまでも続いているだけだ。


 雲はその未知の道を歩むように、ゆっくりと自らの形を変え、再び風へと身を預ける。

 孤独を恐れることもなく、かといってその闇に沈み込むこともなく。ただ、独りで在るというその事実を、静かなひとしずくの光として胸に灯しながら。



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