第5話 自由の始まり

 山を越えた雲の前に、遮るもののないひらけた世界が飛び込んできた。それは果てのない青の平原。空と海が互いの境目を忘れたまま溶け合い、ひとつの巨大な光の塊となって、ゆらゆらと揺れていた。


 雲はそのあまりの広大さに、思わず息をのむ。海は、ただそこに在るだけだった。それなのに、その存在は空の広さとは別の重厚な圧倒感を持って迫ってくる。静かで、どこまでも深い。遠くで白く砕ける波のきらめきが、雲の胸の奥に、小さな光の粒としてしんしんと降り積もっていく。


 雲は海の上を低く漂いながら、水面に映る自分の姿をじっと見つめた。鏡のような水面で、自分の影は揺れ、伸び、時にはちぎれ、そしてまたひとつに戻っていく。それはまるで、定まることなく形を変え続ける自分自身の心そのものを見ているようだった。


 海は何も語らない。けれど、その沈黙はあの流暢な風の言葉よりも雄弁に、世界の真の大きさを雲の内側に刻み込んでいく。不思議なことに、その果てしない重さに触れても、雲は押しつぶされることはなかった。むしろ、身体が以前よりも軽くなっていくのを感じる。この広さを知ることは、決して恐ろしいことではない。それは、本当の意味での「自由」の始まりだったのだ。


 海の眩しさは、単なる光の強さではなかった。それは、世界がどれほど広く、深く、そして静かに自分という存在を受け入れてくれているかという、あまりに優しい証だった。


 雲は胸いっぱいに、海に跳ね返る光を吸い込む。その輝きを大切に抱えたまま、彼はさらに遠い地平へと進み出す。自分がどこまで行けるのか、この命がどこまで届くのか。初めて、まだ見ぬ未来の景色を想像しながら。




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