第1話「相席の権利」(後半)


 小鳥のさえずりが聞こえる。木漏れ日が優しく降り注ぐ。

 マイナスイオンに満ちた大自然の中、ノアは虚ろな目で虚空を見つめていた。


(⋯⋯なぜ、私は森にいる?)


 記憶を遡る――ギルドで突っ伏していた。

 「出してくるね!」と言ってエレナが去った。そこまではよかった。


 問題はその後だ。戻ってきた彼女は「クエスト受注できたよ! 行こう!」と満面の笑みでノアの腕を引き、ズルズルと引きずってここまで連れてきたのだ。


 抵抗? した。

 「⋯⋯いや」「⋯⋯無理」と、これ以上ないほど明確な拒絶の意思表示を、蚊の鳴くような声で行ったはずだ。だが微塵も、このポジティブモンスターには通じなかった。

 「大丈夫! 薬草採取だから! ピクニックみたいなもんだよ!」

 その結果がこれだ。


「ふんふーん♪ いい天気だねノアちゃん! 絶好の冒険日和!」


 数メートル先を歩くエレナが、安物のショートソードを指揮棒のように振り回しながらスキップしている。

 無駄な動きだ。一歩ごとに消費されるカロリーを見ているだけで胃もたれがする。


(⋯⋯帰りたい。今すぐ布団にダイブしたい)


 ノアはゾンビのような足取りでついていく。

 ここから自力で帰るのと彼女についていってクエストを終わらせるのと、どちらがよりカロリーを使わないか。

 その計算だけが、ノアの足を動かす動力源だった。


「あ! 見て見てきれいな花! ⋯⋯あっちにはキノコ! 毒かな食べられるかな!」


 エレナは立ち止まっては寄り道し、しゃがみこんでは何かに感嘆する。

 進まない。驚くほど進行速度が遅い。

 このペースだと日が暮れて野宿という最悪のイベントが発生してしまう。

 ノアが「⋯⋯先、行こう」と声をかけようとした、その時。


 ガサガサッ!!


 藪の中から、巨大な影が飛び出した。

 全身が泥と苔にまみれた、身の丈2メートルはあるオークだ。

 手には丸太のような棍棒。鼻息荒く、目の前の獲物を睨みつけている。

 Fランク冒険者が遭遇していい相手ではない。明らかに森の奥から迷い出てきたイレギュラーだ。


「ひゃあああああっ!? お、お、オークだあああ!?」


 エレナの悲鳴が森に木霊する。鼓膜が痛い。

 彼女は慌てて剣を構えるが、切っ先がプルプルと震えている。


「ど、どうしようノアちゃん! 私これ実技試験で見たことないよ! ていうかデカい! 顔が怖い! 無理無理無理!」


 戦意喪失まで0.5秒。

 オークが雄叫びを上げ、棍棒を振り上げた。

 そのまま振り下ろせば、エレナという名の騒がしい物体は、静かな肉塊へと変わるだろう。


(⋯⋯見殺しにするか?)


 一瞬、悪魔的な選択肢が頭をよぎる。

 ここで彼女がいなくなれば、パーティは自動解散。静寂な日常が戻ってくる。

 とはいえ流石に目の前で人が潰れる音を聞くのは寝覚めが悪い。


 それに死体遺棄の現場に居合わせたとなれば衛兵への事情聴取、ギルドへの報告書作成、現場検証への立ち会い――。


(⋯⋯事務手続きが、多すぎる)


 結論。

 生かしたほうが手間が少ない。


 オークの棍棒が風を切る。

 エレナは「ごめんなさいいいい!」と頭を抱えてうずくまった。

 その刹那、ノアはあくびを噛み殺しながら人差し指だけをスッと前に出した。


(⋯⋯デコピンでいいか)


 魔力を練る必要すらない。ただの身体能力による空気弾。

 狙うはオークの眉間――ノアの指先が、親指の腹からパチンと弾かれる。


 ドォン!!


 大砲を撃ったような破裂音が響いた。

 衝撃波が直進し、オークの上半身を綺麗に消し飛ばす――と、グロテスクなので衝撃で彼方まで吹き飛ばした。


 キラーン☆ と空の彼方でオークが星になる。

 風圧で周囲の木々がざわめき、エレナのスカートがめくれ上がった。


「⋯⋯え?」


 恐る恐る顔を上げたエレナが、ポカンと口を開けている。

 目の前にあったはずの脅威は消滅し、代わりに地面には一直線に伸びるわだちが刻まれていた。

 静寂ののちに再び小鳥がさえずり始める。


「⋯⋯な、なに? 何が起きたの?」


 エレナがキョロキョロと周囲を見回し、そしてノアを見る。

 ノアは既に指を引っ込め、興味なさそうに道端の石ころを眺めていた。


「ノアちゃん! 今の! 今の見た!? オークが突然ドカーンって! ビューンって!」

「⋯⋯さあ」

「さあってことないよ! だって、ノアちゃんが手を向けたら吹き飛んだもん! もしかして、魔法!?」


 エレナの瞳が、これ以上ないほどキラキラと輝き始めた。

 まずい。非常にまずい展開だ。

 適当に「つまづいて転んで飛んでいった」とでも誤魔化そうと思ったが、目撃されていたらしい。


「すごい! すごいよノアちゃん! 無詠唱魔法だよね!? 私、本で読んだことある! 達人は呪文を唱えないって! まさかノアちゃんがそんな凄腕の魔法使いだったなんて!」

「⋯⋯いや、ただの」

「隠してたんだね! かっこいい! 能ある鷹は爪を隠すってやつだ!」


 否定する隙がない。

 言葉のキャッチボールではない。剛速球のドッジボールだ。

 エレナは興奮冷めやらぬ様子で駆け寄ってくるとノアの両手をガシッと握りしめた。

 熱い。体温が高い。


「私、決めたよ!」

 エレナは、ノアの目を真っ直ぐに見つめて宣言した。


「私、ノアちゃんの最強の盾になる! 魔法使いって詠唱中は無防備なんでしょ? だから私が前で敵を食い止めるの! で、ノアちゃんがドカンとやっつける! 完璧な作戦だね!」


(⋯⋯いや、詠唱してないし)

(⋯⋯そもそも、お前が食い止められたら苦労はない)


 ツッコミどころが満載すぎて、どこから訂正すればいいのか分からない。

 思考のリソースが追いつかない。

 何より、このまっすぐな信頼と好意の眼差しを前にして、一つ一つ事実関係を説明する労力を考えると、目の前が暗くなった。


「これからよろしくね、相棒(バディ)!」


 ブンブンと手を上下に振られる。

 握られた手から逃げることは、もう不可能だった。

 この瞬間、ノアの「平穏な隠遁生活」というクエストは失敗に終わり、新たに「騒がしい守護対象との共存」という超難易度クエストが強制受注されたことを悟る。


 空は青い。

 小鳥は歌う。

 そして隣には世界一うるさい親友(予定)。


 ノアは、その日一番の深さを込めて、肺の中の空気をすべて吐き出した。


「⋯⋯はぁ」

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最強の私は放っておいてほしいのに、彼女が断る隙をくれない 抵抗する拳 @IGTMJ

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