最強の私は放っておいてほしいのに、彼女が断る隙をくれない

抵抗する拳

第1話「相席の権利」(前半)


 喧騒。汗と酒と、焦げた肉の匂い。

 王都最大の冒険者ギルド《銀の盾》は、今日も今日とて生産性のない熱気に包まれていた。

 依頼達成を祝う怒号のような歓声、報酬の分配で揉める怒鳴り声、ウェイトレスをナンパして玉砕する哀れな男の悲鳴。

 それら全てが混ざり合い、巨大な音の塊となって鼓膜を叩く。


(⋯⋯うるさい)


 ギルドの最奥、柱の影になって誰の視界にも入らないデッドスペース。

 その一番端にある丸テーブルで、ノアはテーブルに突っ伏していた。

 長い黒髪がテーブルクロスのように広がり、彼女の顔を外界から遮断している。


 呼吸は浅く脈拍は最低限、擬態だ。

 自分は人間ではない。ただの家具だ。あるいは部屋の隅に溜まった埃だ。

 そう自己暗示をかけることで、この空間における存在感を極限まで希釈しているのである。


(⋯⋯帰りたい)


 心の中だけで呟く。本来ならこんな場所に来る必要などなかったが、ギルドの規定には『Fランク冒険者は週に一度、生存確認のためにギルドへ顔を出すこと』という、余計なお世話極まりないルールが存在する。


 これを怠ると登録抹消になり再登録の手続きという想像するだけで吐き気がするほど面倒な事務作業が発生するのだ。

 だからノアはここにいる。


 あと十分。あと十分だけこの姿勢でやり過ごせば、受付嬢の「あ、ノアさん来てたんですね」という視界の端での確認が完了し、晴れて自由の身となる。


 それまでは、死んだふりをする虫のように動いてはならない。

 エネルギー消費ゼロ、カロリー保存の法則。

 平穏とは戦って勝ち取るものではない。気配を消してやり過ごすものだ。


 ――その時だった。


 タタタッ、と軽快すぎる足音がノアの聖域(ただの丸テーブル)に向かって一直線に近づいてきたのは。


「ここ空いてるね! やった一番奥だ!」


 許可を求める疑問形ではない。確信に満ちた感嘆符だ。

 ガタッ、と向かいの椅子が引かれる音がする。


 ノアは微動だにしなかった――動いてはいけない。反応したら負けだ。

 これは「席を探している誰か」が、たまたま死体のように突っ伏している自分を見つけ、気味悪がって立ち去るのを待つゲームなのだ。

 普通の人間なら陰気なオーラを垂れ流して寝ている女の相席など選ばない。


「ねえねえ起きてる? 寝てるのかな! まあいいや座るね!」


(⋯⋯座るのかよ)


 ノアの眉間が机に押し付けられたままわずかに寄る。

 ドサッと荷物が置かれ、向かいの席に誰かが着席した気配。


 空気が揺れ日向の匂いが鼻腔をくすぐる。

 干したての布団というか、焼きたてのパンというか、とにかく「陰」の対極にある「陽」の暴力的な匂いだ。


「ふう! やっと座れた! 今日も人多いよねえ! 私さっき依頼受けようと思ったんだけど全部強い魔物ばっかりでさ! Fランクの採取クエストなんて瞬殺でなくなっちゃうんだもん困るよね!」


(⋯⋯誰に話しかけてるんだ)


 ノアは死んだふりを継続する。返事をしてはいけない。相槌も打ってはいけない。

 この手合いは一度でも反応を示せば「会話が成立した!」と勝手に勘違いし、雪崩のように言葉を浴びせてくるのが相場だ。


 無視、そう徹底的な無視こそが最強の防衛策。

 私は家具。私は埃。私は無。


「あ! 君もFランクのタグつけてる! 奇遇だね私と一緒だ! やっぱり新米同士だとこの席が落ち着くよねわかるわかる! 先輩たちの圧がすごいもんね!」


 完全に顔を伏せているはずなのに、なぜ分かったのか。

 いや、ノアの首元からドッグタグがはみ出しているだけだ。しまっておけばよかった。後悔先に立たず。


「私エレナっていうの! 君は? ⋯⋯むにゃむにゃ言ってるから寝てるのかな! でもタグに『ノア』って書いてあるね! 可愛い名前!」


(⋯⋯名前まで割れた)


 情報の流出が止まらない。

 セキュリティ意識の欠如を呪いたいが、その呪うエネルギーすら惜しい。


 それにしても、この女――エレナと言ったか。

 こちらの沈黙を「拒絶」ではなく「就寝中」と解釈するポジティブさはどうなっているのか。

 普通、見ず知らずの人間が目の前で突っ伏していたら、もっと声を潜めるなり、別の席に行くなりするだろう。

 エレナの弾丸トークは留まるところを知らない。


「ねえノアちゃん! 私いいこと思いついたよ!」


(ちゃん付け⋯⋯)


 親しみの距離感がバグっている。猛烈に嫌な予感がした。

 最強の直感が今すぐ顔を上げて「失せろ」と言うべきだと警鐘を鳴らしている。


 がしかし、顔を上げるには首の筋肉を使う。

 口を開くには顎の筋肉を使う。

 さらに相手の目を見て、威圧的な言葉を選び、相手が怯えるのを確認し、立ち去るのを見届ける――その一連のプロセスにかかるカロリー計算が、ノアの脳内で瞬時に行われた。


 結果。

 ――コスト過多。却下。


 寝ていればそのうち諦めるだろう。

 嵐が過ぎ去るのを待つように、じっとしていればいい。


 カリカリカリカリ。


 不意に、小気味よい音が聞こえてきた。

 羽ペンが羊皮紙を走る音だ。


「よし! 私の名前はここに書いて⋯⋯と! ノアちゃんの名前はここね!」


(⋯⋯ん?)


 ノアは片目だけを、ほんの数ミリだけ開けた。

 黒髪の隙間から向かいの様子を覗き見る――栗色のボブカットが揺れている。

 その手元にあるのはギルドの受付に置いてある『パーティ結成申請書』

 そして彼女は今、迷いのない筆致で『メンバー2:ノア』と記入し終えたところだった。


(⋯⋯⋯⋯は?)


 思考が停止する。勝手に書いている。

 ⋯⋯なぜ? どうして本人の承諾なしに。しかも寝ている(と思っている)相手の名前を。


 これは犯罪ではないか? 公文書偽造の類ではないか?

 いや、ギルドの申請書など法的拘束力はないただの紙切れだが、それにしても無法が過ぎる。


 止めなければ。

 今すぐガバッと起き上がり「何をしている」と問い詰め、その紙を破り捨てなければならない。

 そうしなければ、何かが決定的に終わる気がする。


 だが。


(⋯⋯今起きると、『起きてたのに無視してた』ことの言い訳が必要になる)


 ノアの脳裏に面倒くさいシミュレーションが走る。

 起きた瞬間このハイテンション女は「あ! 起きた! おはよう! ねえ見てこれ書いちゃった!」とさらに加速するだろう。


 そこで「勝手なことをするな」と怒るには、かなりのエネルギーが必要だ。

 下手をすれば「照れてるの?」などと斜め上の解釈をされて、泥沼の問答に引きずり込まれる可能性もある。


 一方で、このまま寝たふりを続ければどうなるか⋯⋯申請書は提出されるかもしれない。いや、確実にされるだろうがパーティを組んだところで、活動の実態がなければ自然消滅するだけ。


 今日この場をやり過ごせば、次は来週まで会うこともない。

 名前を書かれるくらい実害はないはずだ。


 天秤が揺れる。

 『今すぐ起きて全力で拒絶するコスト』対『このまま流されて事後処理に期待するコスト』。


 カリカリッ。最後に勢いよく丸が描かれた。


「できた! これで私たち今日から相棒だね! 嬉しいな! ノアちゃん起きないかなあ! 見せたいなあ!」


 嬉しそうだ。無駄にキラキラした声を出している。


(⋯⋯面倒だ)


 ノアは再び目を閉じた。

 勝てなかった。圧倒的な「面倒くささ」の前に、未来のリスク管理能力が敗北したのだ。

 どうせFランク同士のパーティなど、おままごとのようなもの。

 適当に理由をつけて解散すればいい。明日以降の自分がなんとかするだろう。

 今の自分は、ただ家に帰って眠りたいだけなのだ。


「じゃあ出してくるね! すぐ戻ってくるから待っててね相棒!」


 椅子が鳴る音。

 遠ざかる足音。

 ノアはようやく、深く息を吐き出した。


「⋯⋯ん」


 相棒、という単語が妙に耳に残ったがノアはその不穏な響きごと意識の底へと沈めていった。

 これが逃げ場のない地獄の始まりだとも知らずに。

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