8. 剥き出しの傷跡――カーテンの隙間から星を数えていた私アカリの理由

「一人で星を見上げていた私に、あの日「あの星座は何?」と、ナツミ先輩が声をかけてくれたんです」


 その声は、閉ざしていた世界の扉をそっと叩くように響いた。

 誰にも見つけられないと思っていた自分が、初めて誰かの視界に入った気がして、胸の奥に温かな波紋が広がった。

 孤独はまだ消えなかったけれど、それでも夜空が少しだけ明るくなったように感じられた。


「あの時、初めて“ここにいていいんだ”って思えたんです。

 だから……私の居場所は、先輩の隣だって、ずっと……」


 そこまで言った瞬間、喉の奥が熱くなり、声が少しだけ震えた。

 ヒナタみたいに綺麗な比喩は言えない。

 ただ、抑えきれない何かが、言葉の端に滲んだだけだった。


 沈黙が落ちる。


 ナツミ先輩は、何も言わずに私をじっと見つめていた。

 その瞳には、私のすべてを知っている者特有の、深い慈しみと包容力の色が湛えられている。


 横でイサムが、気まずそうに鼻を鳴らして視線を逸らした。

 あいつも、私のあの「暗黒時代」を間近で見てきた一人だ。


 そして――

 ヒナタだけが、まるで別の空気を吸っているかのように固まっていた。


 驚き。

 戸惑い。

 理解しようとする真剣さ。

 その全部が、彼女の瞳に揺れていた。


 “そんな過去があったの……?”

 言葉にしなくても、そう問いかけているのが分かった。


 私は、胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。

 知られたくなかったわけじゃない。

 でも、初対面の相手にこんな弱さを晒した自分が、

 急に心もとなく思えてしまった。


 それでも――

 ヒナタの視線には、軽蔑も同情も感じなかった。

 ただ、静かに受け止めようとする誠実さだけが伝わってきた。


 そのことに気づいた瞬間、

 胸の奥の緊張が、ほんの少しだけほどけた。


 三人の視線が交わる。

 空気がきしむような感覚がしたのは、

 きっと私の心が、

 過去と今の狭間で揺れていたからだ。






 ガラッ――。


 潤滑油の切れた音が、その緊張を断ち切った。


「……ただいま。ああ、疲れた。」



 扉の向こうから現れたのは、よれよれの制服に分厚い眼鏡の男子生徒だった。

 抱えた書類の束が、今にも崩れそうに傾いている。

 その後ろに、長い前髪で表情を隠した女子生徒が、影のように寄り添っていた。


 部室の空気が、一瞬だけ止まった。

 華やかさの欠片もない二人の姿に、喉の奥で言葉が固まる。


「あ、部長! サチコ先輩! お帰りなさい!」


 ナツミ先輩が、今日いちばんの笑顔で駆け寄っていく。

 その明るさが、さっきまでの静けさを一気に塗り替えた。


 ……え。

 嘘でしょ。


 この、どこにでもいるような、冴えない眼鏡の塊が――

 私たちの「上」に立つ、部長?

 しかも、ナツミ先輩は熱い眼差しを向けている。


 ゼウスの浮気を許せなかったヘラのように、

 その気持ちはゼウスを魅了した相手を串刺しにする。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2026年1月17日 12:14
2026年1月17日 15:14
2026年1月17日 16:14

壊れたメンヘラ女神を抱きしめて――腐りゆく星座、先輩に依存する重い私の唯一の居場所 なつきコイン @NaCO-kaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画