7. 聖域を侵食する「純真」――ヒナタ、あるいは乙女座のペルセポネ

「失礼します。入部希望なのですが……こちらでよろしいでしょうか」


 静かな声なのに、部室の空気がわずかに震えた。

 私とイサムは反射的に入り口へ視線を向ける。


 逆光の中に、一人の少女が立っていた。

 背筋の伸びた、無駄のない立ち姿。

 指先まで迷いのない所作。

 私のように熱で突っ走るタイプでも、イサムのように勢いで押し切るタイプでもない。

 どこか、現実から半歩だけ浮いているような気配。


 春の光を背負ったその姿を見た瞬間、胸の奥がひゅっと縮んだ。

 まるで――

 神話の檻から抜け出してきた「乙女座のペルセポネ」。

 清らかなのに、足元だけが静かに冷えているような、そんな印象。


「ええ、歓迎するわ。……なかがわ、ひなたさん、ね。私は副部長の如月ナツミ。よろしくね、ヒナタちゃん」


 ナツミ先輩が入部届を受け取り、指先で名前をなぞる。

 その仕草が、紙を扱っているというより、何か大切なものを撫でているように見えた。


「丁寧なご挨拶、ありがとうございます。如月先輩」


 ヒナタは静かに会釈した。

 だが、その視線は先輩の顔に留まらず、窓の外――まだ明るい昼の空へ吸い寄せられていく。

 何かを探しているような、遠い目。


「こちらの二人は一年のアカリちゃんに、イサムくん。中学からの後輩なのよ。――ねえ、ヒナタちゃんはどうして天文部に? 経験者かしら」


 ナツミ先輩の声に、ヒナタの視線がゆっくりと戻る。

 その目の奥で、光がほんのわずかに揺れた気がした。

 理由は分からないのに、胸の奥がひとつだけ重くなる。


「経験……と言えるほどではありませんが、占星術や星座神話には少し詳しいです。――五年前、ある方に夜空の綴り方を教わりました。その方の見ていた景色を、私もなぞりたくて」


「夜空の……綴り方?」


 言葉の端が胸に刺さる。

 息がひとつ浅くなる。

 ヒナタはその揺れを拾ったのか、わずかに目を細めた。


「はい。そうすれば、また会える気がして。どうしても、見つけたい星があるんです」


 静かな声なのに、空気が少しだけ沈んだ。

 その沈みが、私の胸にも落ちてくる。


「へぇ、ロマンチックだな。俺なんて、ナツミ先輩がいるからここに来ただけだぜ」


 イサムの声が乱暴に空気を割る。

 ヒナタが驚いたように瞬きし、その視線が私へ移った。


「アカリさんは……?」


「……私、小さい頃から、空を見るのが好きでした。

 いじめられて、教室に行くのも怖くて……家に閉じこもってばかりで。

 カーテンの隙間からたった一人で星を数えることだけが、私がこの世界に繋ぎ止められている唯一の理由だったから」

 


 言葉にすると、胸の奥の古い傷がじわりと疼いた。

 それでも、もう隠す必要はないと思えた。



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