3. 百合の香りと狂気の輪郭――そこに、誰かがいるの?

 さらりと揺れる黒髪が、部室に漂う古い紙の匂いをかき消した。

 夕光を透かす深い瞳が、驚愕で固まる私たちをまっすぐ射抜く。

 その声が落ちた瞬間、背骨の奥で熱い震えが跳ねた。


「待ってたわ。アカリちゃんに、イサムくん」


 鈴のように澄んだ声音。

 先ほどまで望遠鏡を触っていた指先が、黒髪をゆるくかき上げる。

 百合の香りがふわりと広がり、肺に溜まっていた冷たい空気が押し流された。


「せ、先輩……っ」

 イサムが喉を詰まらせる。


 如月ナツミ。


 さっきまでの“戦慄”が、別の熱に変わって全身を駆け抜けた。

 心臓が肋骨の内側を叩く。

 頬が焼ける。

 逃げ場のない重力に引きずられるような感覚。


「二人が来てくれてよかった」


 ナツミ先輩の微笑が、主を欠いたままの空席へ流れた。

 誰かの肩を抱き寄せるような、温度を帯びた視線。

 そこには何もないはずなのに、

 先輩の狂気が“まだ温かい誰か”の輪郭を浮かび上がらせる。


 その“姿なき誰か”へ向けられた献身。

 視線の先で溢れ落ちる愛情。

 そのすべてが、私の胸の奥に泥のような焦燥を沈めていく。


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