第一章 魔獣保護局という職場
「ええい、離せ! 誰か、鎮圧部隊を呼べ!」
王都の一角。重厚な石造りの建物――『王都魔獣保護局』のロビーには、怒号と悲鳴が響き渡っていた。
原因は、檻の中で荒れ狂う一頭の魔獣だった。
体長三メートル。鋼のような毛並みと、岩をも砕く牙を持つ『アイアン・ウルフ』。本来は深山に棲む狂暴なSランク魔獣だ。
それが、密猟者の罠にかかり、パニック状態で暴れ回っている。
「リーネ局長! もう限界です! 睡眠魔法も効きません!」
「くっ……殺処分は最終手段よ。でも、このままじゃ建物が壊されるわ……」
エルフの女性、リーネは唇を噛んだ。
その時だった。
「あの……すみません」
騒乱の真っ只中。
おばあさんに連れられて入ってきた、どこか眠そうな瞳の少年――悠斗が、ひょいと一歩前に出た。
「な、何よあんた! 危ないから下がってなさい!」
リーネが叫ぶ。だが、悠斗の耳には届いていなかった。
彼の目には、狂暴な魔獣が「怖ろしい怪物」ではなく、別のものに見えていたからだ。
(……なんだ。あの子、泣いてるじゃないか)
悠斗には見えた。
アイアン・ウルフの右前脚に深く刺さった、錆びた鉄の棘。
そして、その痛みに耐えかねて、助けを求めている魂の叫びが。
悠斗は、リーネの制止をすり抜け、無防備に檻へ近づいていく。
「ちょっ、死ぬ気!? アイアン・ウルフは人間を噛みちぎる――」
リーネの言葉は、そこで止まった。
悠斗が檻の隙間から、そっと手を差し入れた瞬間。
さっきまで牙を剥き出しにしていた魔獣が、ピタリと動きを止めたのだ。
「よしよし……痛かったね。もう大丈夫だよ」
悠斗が優しく声をかける。
すると、どうだろう。
あの『鋼の狼』が、まるで子犬のように「くぅん……」と情けない声を上げ、悠斗の手のひらに鼻先を押し付けたのだ。
「……え?」
リーネの口が、ぽかんと開く。
職員たちの時間が止まる。
悠斗はそのまま、魔獣の毛並みに指を沈ませ、問題の棘を迷いなく引き抜いた。
普通なら、激痛で腕を食いちぎられる場面だ。
だが、アイアン・ウルフは気持ちよさそうに目を細め、あろうことか悠斗の顔をベロベロと舐め始めた。
「わ、わかった。わかったから! くすぐったいよ!」
笑い声を上げる悠斗。
その光景は、地獄の騒動から一転、のどかな「モフモフタイム」へと変貌していた。
「な……な……なによ、それ……」
リーネが呆然と呟く。
アイアン・ウルフは本来、人間に懐くことなど万に一つもない。
ましてや、初対面の少年に全力で甘えるなど、伝説のテイマーでも不可能な芸当だ。
悠斗は服をヨダレまみれにしながら、リーネを振り返って言った。
「あの、おばあさんにここに来れば仕事があるって言われたんですけど……。僕、何か手伝えますか?」
リーネは、震える手で眼鏡を直した。
彼女の目には、悠斗の背後に、神々しいまでの黄金のオーラが見えていた。
「手伝う……? いいえ、違うわ」
彼女は悠斗の肩をガシッと掴んだ。
「あなた、今日から私の『右腕』よ。……いいわね、絶対に逃がさないわよ!」
「……えっ? あ、はい。公務員って、結構グイグイ来るんですね」
受験戦争に敗れ、一度は死んだ少年。
彼が「無自覚」なまま、この国の魔獣行政を根底からひっくり返すことになった瞬間だった。
次の更新予定
『受験勉強中に過労死した僕、異世界で“魔獣保護公務員”に採用される。〜理科が好きすぎて「現代知識」で業務改革してたら、いつの間にか伝説の魔獣に懐かれ、悪徳貴族をデータで論破してました〜』 斑目 睦月 @Sungarden101
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