一文字の重みと、AIの影
未人(みと)
第1話
小説公募は、商業的に成立する作品を探す場だ。
少なくとも私は、長いあいだそう思ってきた。完成度が高く、多くの人に読まれ、書籍として並ぶ可能性がある。それを見つけるための仕組みなのだと、疑いもせずに受け止めていた。
だからこそ、ある出来事を知ったとき、思考が止まらなくなった。
完成度や評価とは別に、「AIを利用していた」という理由で、最終的に選考から外された作品があったという話だ。
それが正しい判断だったのかどうかを、ここで決めつけたいわけではない。ただ、その判断が下されたのが「商業性を掲げる小説公募」であったことに、強い引っかかりを覚えた。
多くの公募は、「売れる可能性」を重視すると説明されている。
実際、読者の反応や評価が選考に影響することも少なくない。そう考えれば、公募が見ているのは作品そのものの力なのだろうと理解していた。けれど今回の例では、作品の出来とは異なる軸が、決定的な判断材料になったように見えた。
公募は、作品を見ているのだろうか。それとも、「誰が、どのような手段で書いたか」という純血性を見ているのだろうか。
確かに、自分の指先だけで言葉を紡ぐ苦しみや、その過程で磨かれる作家性の尊さは何物にも代えがたい。心血を注いで一文字ずつ書き上げている作家の研鑽が、正当に評価されるべきだという考えも、痛いほどよくわかる。
しかし、商業創作の現場を思い返せば、編集者の介入や企画の修正を経て、最終的に「作者の名前」で世に出る構造を、私たちは当たり前のものとして受け入れてきた。
では、どこまでが許容される制作過程で、どこからがそうでなくなるのか。
もし、公募が「作家個人の能力」を測る場であることを最優先するのだとしたら、AI利用者は実のところ、最初から同じ土壌にすら立てていないのではないか。
形式上は応募を許容しながら、裏側では「AIを使っているから」という理由で評価の対象から外される。もしそんな不透明なフィルターが存在するのだとしたら、それは書き手の熱量に対してあまりに不誠実だ。
それはAI利用者にとっての不利益であると同時に、純粋に独力で挑む作家にとっても、「何と競わされているのかが分からない」という歪な状況を強いることになる。
誤解のないように言えば、私はAI創作を無条件に肯定したいわけではない。
ただ、求めるのは「定義」だ。
AIを排除し「個人の資質」を純粋に競う場なのか、それとも手段を問わず「作品の面白さ」を競う場なのか。
その方針が明確に言葉にされないまま、後出しの判断だけが示されるとき、書き手はどこに情熱を傾ければいいのか分からなくなってしまう。
カクヨムのような、創作と商業のあいだに位置する場所だからこそ、問いかけたい。
本当に求められているのは、売れる作品なのか。それとも、AIを排した純粋な「書ける作者」なのか。
私たちが今、どの土壌に立って、どのルールで競っているのか。
創作の形が激変している今だからこそ、その境界線だけは、曖昧なままにしてほしくない。
これは主張というより、消えない違和感に近い。
私は今も、その違和感を抱えたまま、この問いの答えを待ち続けている。
一文字の重みと、AIの影 未人(みと) @mitoneko13
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