第4話
金曜日の放課後。いつもなら、ここから十五分ほどの他愛のない会話を楽しむのが僕たちの「暗黙のルール」になっていた。けれど、今日ばかりはそうもいかない。
「じゃあ、お先に。また月曜日な」
鞄を肩にかけ、僕は軽く手を振った。窓際の席で本を閉じた崎村が、心なしか寂しげな視線を僕に向ける。
「……今日は、もう帰っちゃうの? 少しも、お話していかない?」
「悪い。明日、部活の試合なんだ。コンディション整えなきゃいけないから、今日は早めに帰るよ」
「……そっか。試合、頑張ってね」
彼女の穏やかな声に見送られ、僕は教室の出口へと向かった。早く帰って、早めに夕飯を食べて、明日に備えて寝る。そんな当たり前の日常の延長線上に、僕はいたはずだった。
――ガチッ。
滑らかに動くはずの戸が、何かに突き当たったような硬い音を立てて止まった。もう一度、今度は少し肩に力を込めて引いてみる。
――ガリ、ガチリ。
「なんだこれ。……崎村、ちょっと手伝ってくれないか? なんだか扉の向こう側に、掃除用具の箒か、木の棒でも突っ込まれてるみたいなんだ」
レールの隙間に、何かががっしりと噛み合っているような、嫌な手応え。
「うん……。わかった」
崎村が椅子から立ち上がり、音もなく僕の隣へ歩み寄ってくる。二人で取っ手を掴み、同時に力を込める。けれど、扉は数センチの隙間さえ見せず、びくともしない。
まるで、扉の外側から、巨大な何かが全力で押さえつけているような、不自然なほどの抵抗感だった。
「教室の前のドアは?」
「……だめ。こっちも同じ」
「参ったな。誰かの悪ふざけにしては質が悪い。……崎村、ごめんな。巻き込んじゃって」
困り果てて謝る僕に、彼女はゆっくりと首を振った。
「ううん。……気にしないで」
いつ見回りの警備員が来るかもわからない。僕たちは救助を待つことに決め、窓際の席に並んで座った。
「結局、こうなっちまったな」
「……私は、君とお話できて嬉しいよ」
「まあ、なんだかんだ俺も、この時間は好きだけどさ」
本音を漏らすと、崎村ははっとしたように目を見開き、次の瞬間には微笑みに変わっていた。
「……はい、これ」
「なんだこれ? 」
「コンビニで売ってるソーダ味のグミ。少しでも、お腹が空くのを紛らわせたらいいなと思って」
「おお、サンキュー。まあ、そのうち見回りが来るだろうし、永遠に閉じ込められるなんてことはないっしょ」
僕が軽く笑い飛ばすと、彼女は窓の外を見つめたまま、消え入りそうな声で呟いた。
「……永遠だったらいいのに」
「え、今、なんか言ったか?」
「……なんでもない。早く出られるといいね」
寂しげな彼女の横顔を見て、僕は少しだけ胸が痛んだ。
「……まあ、正直、一緒に閉じ込められているのが崎村で良かったよ」
「え?」
「ほら、うちの部活の野郎どもだったら、パニクってすぐ無駄に動いて、体力使い果たして死にそうだろ? こんな状況でも冷静に対処できる崎村で良かったって話」
「……そっか。私も……君でよかったよ。君としかこんなに喋れないし、君の隣だと、すごく……安心するから」
「こんな俺で安心してくれて、ありがとな」
会話の合間、机の上に置かれた彼女の手に目が留まった。
……異常に白かった。
もともと色の白い子だとは思っていたけれど、その指先は、夕日に透けてしまいそうなほど血の気が引いている。僕は、何かに突き動かされるようにして、その手を掴んだ。
「おい、真夏だぞ。冷房もついてないのに、いくら冷え性にしては冷たすぎるだろ」
掴んだ手は、氷そのものだった。
「ほら、部活のジャージだけど、これ貸してやるから。上着、着てろよ」
「……ありがと。君は、本当に優しいんだね」
彼女は僕のジャージを羽織り、その袖をぎゅっと握りしめた。僕の体温が残った服に包まれて、彼女の頬がほんのりと、けれどどこか儚げな赤色を帯びる。
それから僕たちは、いつものように他愛のない会話を続けた。
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