第4話:地獄のハーモニー
何十回目かの「キャンセル」の衝撃が収まった直後、魔王は掲げていた大剣を無造作に放り投げた。
派手な音が玉座の間に響き渡り、城の外で羽根を休めていた蝙蝠たちが一斉に飛び立つ。
「……ふわぁ。……もう飽きたぞ、勇者。余は少し寝る。頑張るのだぞ」
「えっ、おい魔王!?」
カイトが驚きの声をあげる中、魔王は漆黒の鎧を着たまま玉座に座り、腕を組んでそのまま目を閉じた。
「ちょ……お前、ラスボスだろ!? 俺が最後の力を振り絞っての一撃をお前に叩き込むところを待っていたんじゃないのかよ」
「無理だ……。貴様のステータスはもはや限界なのだ。余がどれだけ隙を作っていても、貴様の剣では余の鎧を掠めるのが精一杯。あのアマ……賢者の魔法が割り込む隙がないほどに素早い一撃を余に入れようなんぞ、あと一〇〇回やり直したとして、お前には出せぬ。期待させて悪かったな、勇者。せいぜい、キャンセルを繰り返して、力を溜めよ。その頃になったら、余は目を覚ます。妻の説教のない、この『巻き戻しの静寂』こそが、余の求めていた安らぎなのかもしれんな……」
魔王はそう言うと、会議中に居眠りを決め込むポンコツ上司のように、腕組みをして何かを考えている振りをしながら、幸せそうな寝息を立てはじめた。その姿は、世界の終わりを司る王というよりは、休日に居間のテレビの前から動かない、粗大ゴミ扱いの
「寝てんじゃないわよ、このポンコツ魔王!! あんた、自分の立場をわきまえなさいよ!」
リアナの怒りがついに臨界点を突破した。彼女の周囲には、これまでとは違う物理的な熱量を持った魔力が渦巻いている。彼女が抱えている魔導書からはパチパチと火花が散り、その背後には怒髪天を突く憤怒の女神のような幻影が見える。
「あんたもよ、カイト! なんで『はい』を押さないわけ!? 押せばすぐに終わるのよ。終わった後は、王都で豪華なパレードが待っているの! 押せば美味しい食事が待っているの! 押せば暖かい布団で眠ることができるの! 押せば私の温かい(支配的な)愛が手に入るのよ!? 一体、何が不満だっていうのよぉぉぉぉぉ!!!」
「ぜ、全部だよ! むしろ今のリアナを見て、誰が『はい』なんて押すものか! 命と引き換えにこのヒステリックを浴び続けて、下僕のように扱われる一生なんて、ここで魔王の
「なんですってぇぇ!! 絶対に許さない。あたしは絶対にそんなのは許さないわよ!!!」
リアナは狂ったように時を戻す究極魔法『Re:リピート』を使って時を戻し、カイトは魂の叫びと共にキャンセルボタンを連打する。
数えきれないほどの「やり直し」の中で、カイトの精神はもはや研ぎ澄まされすぎて、悟りの境地に達しつつあった。
三〇〇回目。リアナの詠唱が始まる前に「キャンセル」に指を置く、カイト。
五〇〇回目。リアナのヒステリックな罵倒のリズムに合わせて「キャンセル」を連打し、不気味なパーカッションのごとき音を鳴らす、カイト。
八〇〇回目。魔王はついに玉座から滑り落ち、床で本格的に横になって「ぐう、ぐう」と大いびきをかき始めた。
「魔王! あんた、せめて敵らしく構えてなさいよ! 絵面が締まらないでしょ!」
リアナが魔王の尻を蹴り飛ばすが、魔王は「むにゃ……悪いな、今月は小遣いが足りないんだ……」と寝言で応えるだけだった。
「カイト! あんたもよ! この『キャンセル』の一瞬の隙に、さっきからチョコチョコと私の鞄から干し肉を盗んで食べてるんじゃないわよ!」
「うるさい! こっちは腹が減って力が出ないんだよ! 一〇〇〇回も最終決戦をやってるんだぞ、腹が減るに決まってんだろ!」
絶望の決戦場は、いつの間にか「起きない夫」と「意固地な息子」にキレる「教育ママ」の修羅場のような、世俗的で醜い地獄絵図へと変貌を遂げていた。
カイトは、膝をつきながらも執拗に浮かび上がるウィンドウを睨みつけた。
もはや魔王を倒すという目的すら霞んでいる。
今の彼を突き動かしているのは、自分という一個人の尊厳を守り抜くという、勇者以前の、一人の男としての意地。そして、リアナという強権的な支配者への、全霊を懸けた「拒絶」だけだった。
「……見てろよ、リアナ。俺は、お前の思い通りには絶対にならない」
「言ったわねカイト! いいわよ、あんたが『はい』って泣き叫ぶまで、一〇〇年でも一〇〇〇年でもやり直してあげるわ!」
魔王城の玉座の間には、再び時が巻き戻る不気味な光が満ち溢れた。
魔王の心地よさそうないびきと、リアナの呪いのような絶叫、そしてカイトの魂のクリック音がどこまでも続く地獄のハーモニーを奏でていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます