第3話:共闘

「ちょっとおぉぉ! 何やってんのよ、このバカイト!!」


 鼓膜を破らんばかりの金切り声が、闇に沈んでいたカイトの意識を無理やり引きずり戻した。

 カイトは慌てて上体を起こす。そこは、さっきまでいたはずの魔王城の玉座の間だった。

 空は赤く、魔王は剣を掲げ、リアナが背中に手を置いている。

 何一つ変わっていない……。


「あ、あれ? なんで……俺、死んだはずじゃ……」

「なんでじゃないわよ! あんた、今、キャンセルを押したでしょ!  正気なの!?  私がせっかく『貸し』を……いえ、『助け』を出してあげたっていうのに!」


 リアナの言葉に、カイトは戦慄した。

 彼女の右手には、禁忌の魔導書が握られ、その頁が不気味な光を放っている。

 時を巻き戻す究極魔法『Re:リピート』。

 カイトは確信した。こいつ、俺が「はい」と言うまで、何度でもこの地獄をやり直すつもりだ、と。


「さっさと押しなさいよ! 世界を救うのよ! 私は伝説の賢者として崇められ、あんたは私を一生敬い、感謝し続ける。これ以上のハッピーエンドがあるっていうの!?」

「それはお前にとってのハッピーだろう! 俺は絶対に嫌だね。あんな悪魔みたいなドレス姿で、掃除を強要される未来、お断りだ!」

「……え、ちょっと待って。なんでドレスの事知ってるのよ!?」


 二人が激しい言い争いを繰り広げている間、ずっと剣を掲げたままの存在があった。魔王である。魔王は、今まさに振り下ろそうとしていた巨剣を空中でピタリと止めたまま、困惑と驚きが入り混じった表情で二人を見つめていた。


「あ、あのう……。はいつ始めてもよいのだぞ? 余はすでに三度ほど、最高に格好良い決め台詞と共に剣を振り下ろす予備動作を完了しているのだが……。この、溜めた力の行き場がなくて、腕の筋肉が非常に痛いのだが……」

「うるさいわね、魔王! こっちは今大事な話をしてるのよ、黙ってなさい! 次に時間を戻した時に、また同じポーズで待ってればいいでしょ!」


 リアナの容赦ない罵声に、魔王は「ひっ!」と肩をすくめ、あろうことか一歩後ずさった。

 その光景を見て、カイトは呆然としていた。世界の破滅を象徴する魔王が、一人の人間の女に気圧されている。

 魔王は、重厚な鎧の音を立てて、その場にどっかりと座り込んだ。


「勇者よ……。確かカイトと言ったか。貴様の気持ち、痛いほどわかるぞ」

「え……?」

「我が家もそうなのだ。魔界を統べるこの余とて、城に帰ればただの夫。魔妃……我が妻は、貴様の隣にいるその娘同様に恐ろしい女だ。三〇〇年前に、余がうっかり伝説の剣で斬られそうになった際、彼女が救ってくれた『窮地』の話を、未だに三食のたびに蒸し返されるのだ……」


 魔王の禍々しい面頬の奥で、その瞳が優しく、そして深く沈んだ色に揺れた。


「『あの時、私が魔法で勇者の動きを鈍らせてあげなかったら、あんたはやられてたのよ。十五歳くらいの伝説の勇者とか名乗るガキに。ほんと、感謝しなさいよね』……。その一言で、余の尊厳はズタズタだ。小遣いは魔貨三枚に減らされ、晩酌の酒は水で薄められ、寝室の温度設定すら余に権限はない。逆らえば、今回のような『時の魔法』で、説教の最初まで巻き戻されるのだ……。勇者よ、貴様が戦っているのは、余ではない。――『支配』という名の終わらぬ鎖だ」


 カイトは、流れ落ちる血を拭うのも忘れ、魔王の言葉に聞き入っていた。

 種族も、立場も違う。だが、今、この瞬間にカイトの心を最も理解しているのは、間違いなく目の前の宿敵だった。


「魔王……あんたも大変なんだな」

「カイトよ、貴様は正しい。一度でもその『はい』を選べば最後だ。それは魂に刻まれた不渡り手形となり、貴様の自由は永遠に失われる。……よし、決めたぞ」


 魔王が再び立ち上がった。その手には、先ほどまでの殺意ではなく、奇妙な連帯感が宿っている。


「勇者よ、キャンセルし続けろ。余も、この『振り上げた剣』を何度でもやり直してやる。貴様が自力で、あるいは誰にも借りを作らずに余を討つ、その瞬間まで付き合おうではないか。あのアマに、男の意地を見せてやるのだ!」

「……魔王! おう、やってやるぜ! 自由を、俺たちのスローライフを掴み取るんだ!」


「ちょっとぉぉ! 何なのこの展開! ふざけんじゃないわよぉぉ!!」


 激昂したリアナが、狂ったように魔導書をめくる。


[ はい] ▶[ キャンセル]


 カイトの指が、光速でキャンセルを叩いた。

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