第5話 旋律は硝子の檻の中で

「急げ! 反応が消えかけている!」


 階段を駆け上がる私たちの先頭を走っていたのは、いつだって最後尾で冷静に指示を出していたはずの天城恭平だった。  彼の呼吸は乱れ、常に冷静だった瞳には焦燥の色が浮かんでいる。


「おい天城、突出するな! フォーメーションが崩れる!」 「構っていられるか! ……美緒(みお)がいるんだ!」


 美緒。  さっき拾ったスマホの持ち主であり、天城がたまに愚痴っていた「うるさい妹」の名前だ。  普段は「非論理的な生き物だ」なんて憎まれ口を叩いていたくせに、その表情は必死そのものだった。


 ***


 三階、音楽室。  そこは、不協和音の嵐が吹き荒れる地獄と化していた。


 教室の中では、グランドピアノや太鼓、木琴といった楽器がひとりでに宙を舞い、デタラメな旋律を奏でている。  その中心で指揮棒を振るっているのは、燕尾服を着た骸骨の怪人――『指揮する亡霊(マエストロ・ファントム)』だ。


「キキキ、キキキキキッ!」


 指揮棒が一振りされるたび、楽器からカマイタチのような衝撃波(ソニックブーム)が放たれる。  その標的となっているのは、教室の隅。  長机と椅子をバリケードにして固まっている、数名の女子生徒たちだ。


 バリケードは衝撃波で削り取られ、今にも崩壊寸前だった。  その一番前で、震える手でフルートを握りしめ、友人たちを庇うように立っている少女がいる。


「美緒ッ!」


 天城が叫んだ。  妹の姿を見た瞬間、彼の頭から「計算」も「確率」も吹き飛んだようだった。


「離れろ、化け物ォォォッ!」  彼はハンドガンを抜き、遮二無二突っ込んだ。  だが、それは悪手だ。


 亡霊が指揮棒を振るう。  宙に浮いた三つのトランペットが天城を向き、圧縮された音波砲を放つ。


「ぐあぁッ!?」  直撃を受けた天城が、紙切れのように吹き飛ばされ、廊下の壁に叩きつけられる。  HPゲージが一気にレッドゾーンへ突入する。


「お兄ちゃん!?」  少女の悲痛な叫びが響く。


 天城は血を吐きながら立ち上がろうとする。  眼鏡が割れ、冷静さの欠片もない。ただの兄としての執着だけで動こうとしている。


「どけ……俺が、行かなきゃ……」


 バヂンッ!!


 乾いた音が響いた。  私が、天城の頬を力任せに張った音だ。


「……ゼ、ロ……?」


「頭を冷やせ、参謀(タクティクス)!」  私は彼の胸ぐらを掴み、怒鳴りつけた。


「妹が見てるぞ! お前はカッコ悪い死に損ないのまま終わるつもりか!? それとも、あの理不尽な暴力から妹を守る『英雄』になるのか、どっちだ!」


「天城! アンタの指示がないと、アタシはどこに突っ込めばいいかわかんねーんだよ!」  千歳がハンマーを構えて叫ぶ。


「そうですわよ! 私の火力、適当に撃ったら妹さんごと消し炭ですわ! 座標を出しなさい、このシスコン眼鏡!」  加賀が杖に膨大な魔力を溜めながら悪態をつく。


 天城が、ハッとして私たちを見る。  そして、涙で濡れた瞳で、妹の方を見た。  震える美緒の視線が、彼に向けられている。


 天城は深呼吸を一つ。  割れた眼鏡を指で押し上げ、自身の頬を叩いた。


「……すまない。再計算完了だ」


 その顔にはもう、焦燥はない。  あるのは、頼れる参謀の冷徹な知性。


「敵の音波攻撃には0.5秒の予備動作(インターバル)がある。……全員、僕の指揮(タクト)に合わせろ。勝率を100%に書き換える!」


 ***


 そこからは一方的な蹂躙だった。


「千歳、右斜め45度! ピアノの死角から突撃!」 「ういッス!」  千歳が衝撃波を紙一重でかわし、亡霊の懐へ飛び込む。ハンマーの一撃が骸骨の肋骨を砕く。


「加賀、天井のシャンデリアだ! 根元を焼切って落とせ!」 「注文が細かくてよ!」  加賀の炎弾が金具を溶かし、巨大なシャンデリアが亡霊の頭上に落下する。


 動きを封じられた亡霊が、最後の悪あがきで全方位に音波を放とうとする。  だが、天城にはそれすら見えていた。


「ゼロ、今だ! 喉笛を潰せ!」


 私は駆けた。  天城が切り開いてくれた、音の壁の僅かな隙間。  そこを一直線に突き抜け、亡霊の目前へ。


「演奏終了(フィナーレ)だ!」


 白燕が閃く。  亡霊の首が宙を舞い、主を失った楽器たちがガタガタと床に崩れ落ちた。


 ***


 静寂が戻った音楽室。  生存者たちが、安堵の涙を流して抱き合っている。


 私たちは、その様子を少し離れた場所から見守っていた。  やがて、遠くからサイレンの音が近づいてくる。救助隊が校舎に入ってきたようだ。


「……行かないのか、天城」  私が尋ねると、天城は壁に寄りかかったまま、短く首を横に振った。


「僕は死人だ。それに……こんな物騒な格好じゃ、怖がらせるだけだ」


 彼は飛行帽を目深に被り直し、背を向けようとする。  その時。


「……お兄ちゃん」


 小さな声がした。  美緒が、バリケードを乗り越えて、ふらふらとこちらへ歩み寄ってくる。  彼女の視線は、ゴーグルとマスクで顔を隠した天城に釘付けだった。


「お兄ちゃん、だよね? 恭平お兄ちゃんでしょう!?」


 加賀と千歳が息を呑む。  天城の背中が、ぴくりと震えた。  正体はバレている。兄妹だ、雰囲気や立ち姿で分からないはずがない。


 天城は足を止めた。  けれど、振り返らなかった。  彼はわざと声を低く変え、冷淡な兵士の口調で告げた。


「人違いだ、お嬢さん。俺たちは冥府の航空隊。……死にぞこないの亡霊さ」


「嘘よ! だって、その計算高い喋り方……!」


「救助が来る。じっとしていろ」


 天城はそれ以上何も言わず、歩き出した。  私たちもそれに続く。


 すれ違いざま、私は見た。  美緒が、去っていく天城の背中に向かって、涙を拭いながら深々と頭を下げているのを。


「……ありがとう。バカ兄貴」


 その言葉は、確かに天城の背中に届いたはずだ。  だって、インカム越しに、鼻をすする微かな音が聞こえてきたのだから。


 校舎を出て、空を見上げる。  天城は割れた眼鏡を捨て、ゴーグル越しに空を仰いだ。


「……行くぞ、ゼロ。次の戦場が待ってる」


「ああ。頼りにしてるぞ、参謀」


 私たちは空へ飛び立つ。  地上に残した想いを、生きる力に変えて。  世界にはまだ、私たちの助けを待つ「誰かの大切な人」がいるのだから。

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