第2話 地獄のブートキャンプと、おはぎの味

「――というわけで。まずは基礎体力の測定だ。死ぬ気で走んな。まあ、もう死んでるけどね!」


 おばあちゃん――貴志姫乃(きし・ひめの)航空隊長が、縁側でお茶を啜りながら朗らかに笑った。  その愛らしい笑顔とは裏腹に、私たちに課せられたのは文字通りの「地獄」だった。


 美しい日本庭園だと思っていた場所は、一歩踏み出した瞬間に景色を変えた。  どこまでも続く、針の山と燃え盛る火の輪。  昭和の根性論を具現化したような障害物競走のコースが、視界の彼方まで続いている。


「ひぃ、ひぃ……っ! な、なんで霊体なのに息が切れるんですか……ッ!」


 悲鳴を上げたのは、隣を走る縦ロールの少女――**加賀麗華(かが・れいか)**だった。  生前は生徒会長を務めていた彼女は、その完璧な美貌を汗と泥で台無しにしながら、それでも脱落せずに私の横に食らいついている。


「魂の消耗は、肉体の疲労として知覚される……らしいよ。クソッ、ふざけたシステムだ!」


 答えたのは、眼鏡の男子生徒――**天城恭平(あまぎ・きょうへい)**だ。  彼は半透明のウィンドウ(恐らく彼にしか見えていない)を空中に展開し、ブツブツと文句を垂れながら走っている。


「姉御ーッ! 俺もうダメっス! 三途の川が見えるッス!」


「諦めるな千歳(ちとせ)! 足が止まるなら私が引っ張ってやる!」


 私は、後ろで倒れかけた陸上部の後輩――千歳ひなたの襟首を掴み、無理やり引きずり起こした。


 冥府の時間は曖昧だ。  数時間なのか、数日なのか。  感覚が麻痺するほど走り続け、数百人いたはずの生徒たちが次々と「もう無理です、転生します……」とリタイアしていく中。


 最後までコースに残ったのは、私を含めてたったの四人だけだった。


「……ほほう。生き残ったのは四機か。上出来だね」


 ゴール地点(元の縁側)に戻った私たちは、泥雑巾のように地面に突っ伏した。  そんな私たちを見下ろし、おばあちゃんは満足げに頷くと、指をパチンと鳴らした。


「じゃあ、初任給(ボーナス)といくか。各自、視界の『軍籍(レコード)』を開いてみな」


 言われるがまま、私は念じた。  すると、SF映画のように、視界に半透明の文字が浮かび上がった。


【冥府航空隊・個人識別票】


氏名: 貴志 零(コードネーム:ゼロ)


階級: 二等兵


蘇生功績点: 1,000 / 1,000,000 Pt


≪能力評価(人事考課)≫


機動:B+(見どころあり)


火力:E(豆鉄砲)


装甲:D(薄い)


霊格:C(凡人)


「……蘇生功績点、1,000ポイント?」


「それがお前たちの命の値段であり、通貨だ」


 おばあちゃんが説明を続ける。  このポイントが「100万」貯まれば、晴れて生き返ることができる。  だが同時に、このポイントは「ショップ」での買い物にも使うらしい。


「強力な武器、頑丈な鎧、便利なスキル。それらを手に入れるにはポイントを支払わなきゃならない。……貯金して裸で戦って死ぬか、散財して装備を固めて生き残るか。悩ましいところだろう?」


 なんて悪趣味なシステムだ。  私が歯噛みしていると、横から怒声が響いた。


「ちょっと! どういうことですの!? 私の評価、機動力が『E』ですって!? 私は文武両道、体育の成績だってずっと5でしたわよ!」


 加賀麗華が、自身のステータス画面を指差して抗議している。  それを見て、おばあちゃんは冷ややかに鼻を鳴らした。


「鈍重だからだよ。お前の魔力(火力)は凄まじいが、撃つまでの予備動作が大きすぎる。実戦なら的(まと)だね」


「なっ……」


「逆に、そっちのチビ。千歳だったかい」


「あ、ハイっス!」


「お前は機動力こそ『A』だが、周りが見えていない。突っ込んで自爆するのがオチだ」


 図星を指されたのか、千歳が「うぐっ」と唸る。


「個人の性能なんざ、どんぐりの背比べさ。重要なのは連携(フォーメーション)だよ。……よし、実践で教えてやる。構えな!」


 おばあちゃんが袖を一振りすると、無数の白い紙片が舞った。  それは瞬く間に形を変え、プロペラを持った小さな「紙の戦闘機」――式神となって、私たちに襲いかかってきた。


「ちょ、いきなり実戦形式かよ!?」  天城が叫ぶが、もう遅い。  紙の戦闘機からは、容赦のない魔弾がバラバラと発射される。


「やってやりますわ! 見てなさい、『炎弾(ファイア)』ッ!」  加賀が掌を向け、巨大な火球を放つ。凄まじい熱量だ。  だが――。


「うおっ!? 熱っ! バカ女、どこ撃ってんだ!」 「きゃっ!? あなたが射線に入ってきたんでしょうが!」


 前衛に飛び出した千歳に、加賀の炎が直撃しかける。  慌てて回避した千歳の隙を、式神は見逃さない。背後からの機銃掃射を受け、千歳が地面に転がる。


「くそっ、統制が取れてない! ゼロ、どうする!?」  天城が私に判断を求めてくる。


 私は――。


「ええい、私が前を抑える! 加賀は千歳が下がってから撃て!」  霊力で具現化させた模造刀を抜き、前に出る。  だが、付け焼き刃の指揮が通じるほど、甘くはなかった。


「遅い!」


 おばあちゃんの一喝と共に、巨大な式神が私たち四人をまとめて吹き飛ばした。


 ***


「……全滅。情けないねぇ」


 一時間後。  ボロ雑巾のようになった私たちは、縁側に並んで正座させられていた。  悔しさと疲労で、言葉も出ない。  特に加賀と千歳は、互いに睨み合って一触即発の空気だ。


「私の射線を塞ぐなんて、視野が狭いんじゃありませんの?」 「ああん? テメェの撃つのが遅ぇんだよノロマ!」


「やめろ二人とも」  私は痛む体を起こし、二人の間に割って入った。


「加賀。お前の火力は凄かった。あの式神を一撃で消し飛ばせるのは、この中じゃお前だけだ」 「ふん……まあ、当然ですわ」 「千歳。お前が最初に飛び出してくれたおかげで、式神の動きが見えた。助かったよ」 「へへっ、マジっスか姉御」


 私がそれぞれの良さを指摘すると、張り詰めた空気が少しだけ緩む。  天城が、やれやれと眼鏡を押し上げた。


「……君がトップ(空母)で、僕らが艦載機。そういう運用しかなさそうだね」


 その時。  鼻をくすぐる、たまらなく甘い匂いが漂ってきた。


「はい、お説教はおしまい。補給の時間だよ」


 おばあちゃんが盆に載せて持ってきたのは、山のような「おはぎ」と、熱いお茶だった。  餡子の艶やかな黒光りが、空腹の胃袋を刺激する。


「毒なんて入ってないよ。さあ食いな」


 促され、私たちは恐る恐るおはぎを手に取った。  一口、頬張る。  とろりとした甘さと、もち米の食感が口いっぱいに広がる。  死んでから初めて味わう「食事」の味。


「……ん」  加賀が目を見開き、口元の餡子を指で拭った。 「……悔しいですが、味だけは認めますわ。実家のシェフにも劣りません」


「うめーッ! なにこれマジ染みるんスけど!」  千歳は二個目を口に放り込み、天城も無言で咀嚼し、深く頷いている。


 私も、おばあちゃんの手作りおはぎを噛み締めた。  懐かしい味。  子供の頃、母に叱られて泣いていた時に、こっそり食べさせてくれた味だ。  不覚にも、涙が出そうになった。


「食ったら寝て、回復しな」


 おばあちゃんは、優しく私たちの頭を撫でて回った。


「ポイントは貯めるだけが能じゃない。時には美味いものを食って、鋭気を養う。これも『生きる』ための戦いだよ」


 生きる。  その言葉の重みを、甘い餡子と共に飲み込む。


 私たちは顔を見合わせた。  言葉はなかったが、通じ合うものがあった。  この四人で、生き残る。  おはぎの味は、私たちの「チーム・ゼロ」結成の儀式のような味がした。


「さて。腹も満ちたところで」


 空になった盆を下げると、おばあちゃんはニヤリと笑った。


「そろそろ実地研修(遠足)といこうか。――装備を整えな。現世のダンジョンへ降下(ダイブ)するよ」

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