蒼穹の女神と、黄泉帰りの学徒兵たち ~元零戦エースのおばあちゃん神様と、曾孫が異世界侵略をぶっ潰す!~
石橋凛
第1話 冥府の進路指導室
目を開けると、そこは柔らかな陽光が降り注ぐ縁側だった。
鼻をくすぐるのは線香の香りではなく、どこか懐かしい焙じ茶と、甘いおはぎの匂い。 瓦礫に押し潰されたはずの全身の激痛も、喉を焼いた粉塵の味も、嘘のように消え失せている。
「……ここ、どこだ?」
体を起こすと、私が着ているブレザーには皺ひとつなかった。 あんなに血まみれだったはずなのに。 状況が飲み込めず、視線を彷徨(さまよ)わせた私の目に、一人の少女が映り込む。
透き通るような銀の髪に、輝く光の粒子をまとった豪奢な着物姿。 背中には、まるで後光のような淡い光の環が浮かんでいる。 年齢は私と変わらない……いや、下手をすれば年下に見えるほどの美少女だ。
この世の者とは思えないほど神々しい。 けれど、その少女は両手で包み込むように持った湯呑みを「ズズッ」と少し音を立てて啜ると、「あぁ、極楽極楽」と老婆のような安堵の息を漏らした。 さらに、湯呑みを置く際の「よっこいしょ」という掛け声と共に、痛むはずのない腰をトントンと拳で叩く仕草を見て、私は思わず声を上げていた。
「……おばあ、ちゃん?」
ありえない。 私の曾祖母である貴志姫乃(きし・ひめの)は、私が小学生の頃に大往生したはずだ。 だいいち、仏壇の写真で毎日拝んでいたおばあちゃんは、もっと皺くちゃで、優しそうな老婆だった。 こんな、アイドル顔負けの美少女じゃない。
けれど、彼女は私を見て、懐かしそうに目を細めた。
「おや、やっとお目覚めかい。随分と寝坊助だったじゃないか、レイ」
その口調。間違いなかった。 私が呆然としていると、彼女は居住まいを正し、鋭い眼光を向けてきた。 そこにはかつて「空の英雄」と呼ばれた女傑の威圧感があった。
「さて、感動の再会といきたいところだけどね。まずは状況を整理しようか」
彼女は湯呑みを置くと、私の目を真っ直ぐに見据えて告げた。
「単刀直入に言うよ。――お前たちは全員、死んだんだ」
ドクン、と心臓が跳ねるような錯覚を覚えた。 死んだ。その言葉を聞いた瞬間、寸断されていた記憶が濁流のように蘇る。
午後の授業中。突如として鳴り響いた警報音。 窓の外、校庭のアスファルトを突き破って隆起した、黒い岩塊。 そこから溢れ出した異形の怪物たち。 逃げ惑う友人たちの悲鳴。崩落する校舎。そして――。
「あ……ぅ……」
「無理に思い出さなくていい」
震える私の肩に、温かい手が触れる。 いつの間にか目の前に立っていた姫乃――おばあちゃんが、私を抱き寄せていた。見た目は少女なのに、その包容力は私の知る祖母そのものだった。
「お前たちの高校は、敵対する異世界のダンジョン侵食に巻き込まれた。生存者はゼロだ。教師も生徒も、誰ひとり助からなかった」
彼女の視線の先を見る。 この美しい日本庭園のさらに向こう。白い霧の中に、何百人もの影があった。 見覚えのある制服。泣き崩れる女子生徒、呆然と立ち尽くす男子生徒、頭を抱える先生たち。 みんな、ここにいる。
「ここは地球の冥界と、アタシが所属する神界の狭間だ。本来なら、お前たちはそのまま輪廻の輪に戻るところだったんだけどね……。ちょいと、アタシが上に掛け合ったんだよ」
おばあちゃんはニヤリと不敵に笑うと、指を三本立てた。
「かわいい曾孫(ひまご)と、その学友達だ。ただ死なせるには惜しい。そこで、お前たちには特例として三つの『進路』を用意した」
進路、と彼女は言った。まるで学校の三者面談のように。
「一つ目は【安息】。全ての記憶をこの場に置いて、安らかに成仏する。苦しみも悲しみもない、通常の死だ」
霧の中の生徒たちがざわめく。 「もう怖いのは嫌だ」「お母さんに会いたい」……啜り泣く声が聞こえる。
「二つ目は【転生】。これはアタシの上司からのプレゼントだね。記憶と人格をリセットして、平和な異世界の住人として生まれ変わる。エルフでも獣人でも、好きな種族を選びな。向こうじゃ戦争もダンジョンもない、スローライフが待ってるよ」
その言葉に、数人の生徒が顔を上げた。 「エルフになれるの?」「もう受験も就活もしなくていいのか……」 現実の理不尽な死に絶望した彼らにとって、それは甘美な救済に見えただろう。
「そして、三つ目」
おばあちゃんの瞳から、柔らかな色が消えた。 そこに宿るのは、かつて数多の空戦を生き抜き、敵を撃ち落としてきた撃墜王の冷徹な光。
「【還生(かんせい)】だ。アタシの部下として地獄の訓練に耐え、英霊兵士となって、現世を侵略している敵共を叩き潰す。その功績次第で――お前たちを『元の人間』として生き返らせてやる」
生き返る。 その単語が、雷のように私の脳髄を貫いた。
「ただし、楽な道じゃない。魂ごと消滅するリスクもある修羅の道だ。……さあ、選びな。どの道を行くも、お前たちの自由だ」
静寂が落ちる。 最初に動いたのは、隣のクラスの男子だった。 「お、俺……転生します! もう戦うとか、死ぬとか、絶対嫌だ!」 彼は光の扉へと走っていく。それを皮切りに、次々と生徒たちが転生や安息の扉へと流れていく。
それを責める気にはなれなかった。 あんな地獄を味わって、まだ戦えなんて正気の沙汰じゃない。
でも。 私は、拳を握りしめた。爪が食い込む痛みが、まだ魂に残っている「怒り」を呼び覚ます。
理不尽に殺されたまま、記憶を消して、別の誰かになって幸せになる? 冗談じゃない。 私は、貴志 零(きし・れい)だ。 代々、この国を、家族を守るために戦ってきた「姫武将」の血を引く者だ。 あんな化け物共に、私の人生を、未来を、勝手に終わらせられてたまるか。
「――おばあちゃん」
顔を上げると、おばあちゃんは試すような目つきで私を見ていた。
「なんだい、レイ。お前もエルフになりたいなら、コネで美人にしてもらえるよう頼んでやるよ?」
「いいえ。私は貴志の家の女です。やられたまま尻尾を巻いて逃げるなんて、死んでも御免です」
一歩、前に出る。 ブレザーの裾を翻し、私は宣言した。
「私を使いなさい、貴志姫乃航空隊長。――私の命、あんたに預けるわ」
一瞬の沈黙。 やがて、おばあちゃんの顔がくしゃりと歪んだ。それは少女のような、けれど年相応の慈愛に満ちた笑顔だった。
「……はっ。生意気な口をきくようになったねぇ。おしめを替えてやったのが昨日のことのようだよ」
彼女は私の前に歩み寄ると、小さな手で私の頭を乱暴に撫でた。
「合格だ。よく言った、レイ」
そして彼女は、霧の中に残っていた数少ない生徒たち――恐怖に震えながらも、逃げないと決めたクラスメートたちに向けて、高らかに声を張り上げた。
「聞いたね、若人たち! これより貴志姫乃による特別補習を開始する! 泣こうが喚こうが知ったこっちゃない、アタシが叩き直してやるから覚悟しな!」
おばあちゃんの背後で、光の粒子が翼の形を成していく。 それは、かつて彼女が駆ったという伝説の鉄鳥――零式艦上戦闘機の主翼に見えた。
「レイ。お前のコードネームは『ゼロ』だ」
彼女は私の手を強く握り返した。
「アタシの翼の名をやる。――さあ、反撃といこうか」
その時の私は、まだ知らなかった。 この頼もしく美しい女神の笑顔が、死ぬよりも辛い「冥府の地獄訓練」への入り口だったことを。 死んだはずなのに筋肉痛に悶絶し、三途の川をバタフライで往復させられる日々が始まるまで――あと数秒。
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