後編

 自分の『声』が嫌いでした。低くて可愛くない男の子みたいな声が。

 気づいたら、それがコンプレックスになっていて、次第に声が小さくなっていきました。次第に声がまったく出なくなっていきました。


 ある日、仲の良かった幼なじみの『のっこ』にこう言われました。


「……あのさ、湊。気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど、あんたってさ、『好きな音』ってある?」


 私はそれに対し答えることができませんでした。声が出なかったから。自分の声が大嫌いだったから。

 いつまでも答えずに、ただ口を紡ぐ私を見て、のっこは呆れたように深いため息をつきました。


「あーしたち、少し距離を置いたほうがいいよ、湊。あんたがそんなんじゃ、あーしたち、きっといい関係にはなれないと思う。今後この先、ずっと、あーしたちの関係はダメなままだよ」


 ショックでした。考えたこともありませんでした。信頼していた人にそんなことを言われるなんて、正直夢にも思っていませんでした。

 だって、おそらく彼女は知らなかったけれど、私にとっての彼女は、この世で一番大切なかけがえのない特別な存在だったから。

 私たちの絆は何があっても絶対に壊れない。唯一無二の完璧な繋がりだと思っていました。

 出会いがあれば別れもある。そんなことは至極当然で、それが世の中の摂理なのに。


 もう今となっては、全てのことが遅いけど、およそこの世の中において、ほとんどのことは親愛という名の『キセキ』で成り立っています。それは、驚くほど脆く尊く素晴らしいもので、一度失ったら、二度と手に入らないものです。


 けれど、どうか笑ってください。浅はかだった大馬鹿者の私は、その何物にも代えがたい宝物のような『キセキ』の上に、土足で無神経に胡座をかいてしまったのです。


 言うまでもないかもしれませんが、それからの私はより深く人と関わることが怖くなりました。

 学校に行くどころか、外にも出られなくなり、ただずっと、家に引きこもり、部屋でひとり自分の世界に閉じこもるようになりました。


 やがてそして、外の世界と隔たりができ、数年が経った頃です。


 そのときの私は、インターネットのNeuTubeというサイトで、貪るように動物動画ばかりを見ていました。

 いまや説明するまでもないかもしれませんね。あの、世界中の誰もが気軽に利用している動画共有プラットフォームのことです。そこで私は延々と、繰り返し繰り返し同じ動画ばかりをよく見ていました。


 家に引きこもってなお、人との触れ合いを欲していた私は、ここで世界中の皆さんが投稿している、それぞれの想いが詰まった貴重で大切な動画を眺めることでようやく正気というものを保っていられたのです。飽きませんでした。飽きることなく、ずっと他人の宝物を眺め続けました。そして、そんな特に変わり映えのない、平坦な日常を過ごしていたある日のことです。


 何気なく見ていた動画に、こんなおすすめ動画が紹介されました。それは、俗に言うショート動画というもので、さらに言えば、視聴者のタイムパフォーマンスを重視した『切り抜き動画』というものでした。


 切り抜き動画というものは、単純に配信者さんのライブ配信や長尺の動画コンテンツを短く上手くまとめ上げて、短時間で見やすいように編集して自分の好きに抽出した動画のことです。


 その切り抜き動画の『黒髪ロングの姫カット』のVTuberさんは、ありえないくらいどこか耳に残るとても『不思議な声』をしていました。


 いえ、誤魔化すのはやめます。切り抜き動画から発せられる彼女のその声は、明らかに私と『同質のもの』だったのです。


 そう、彼女――静夜さんの声も私と同じ、男の子のように『低い声』だったのです。


 しかし、私と同じ男の子のような低い声でも決定的にあることが違っていました。

 彼女の声には、『自信のなさ』がなかったのです。自分の低い声に対して、なんの葛藤もなく、ただただ前向きで底抜けに明るい。その抑揚ある楽しげな喋り方は、見ている者をとても幸せな気持ちにさせてくれました。


 無我夢中でした。私は心底静夜さんに惚れてしまい、彼女のVTuber活動を追いかけ続けました。

 やがて、静夜さんの声を聞くたびに元気をもらえるようになり、私は社会復帰まですらもできるようになりました。

 さらには、気づくといつからか私は、普段とは別の、まるで彼女が発しているかのような妙に巧みで、ヘンテコリンな言葉遣いまでも日常的に遣っていくようになりました。


 灯華ちゃんは、私が発するこの言葉遣いを単に気分の悪いものだと思っているかもしれません。

 でもね、実はそれ、違うんです。私が発している灯華ちゃんと星川ちゃんへの毒吐きは、あくまでも、『あなたたちだけのもの』なんです。

 他の誰でもない。心から信頼しているあなたたちだからこそ、口にできる言葉たちなんです。


 いつもごめんね。でも、わかって欲しいんだ。私という女の子が私でいられるのは、全てみんなあなたたちのおかげなんだよ。


 一ノ瀬先輩、見ててください。今日ここからが、私とあなたの戦場です。

 一ノ瀬先輩、どうか聞いてください。今日私が今から発するこれは、あなたに向けてのラブレターです。


 大きく深呼吸し、私はパソコンの電源を入れる。すると、暗闇に包まれていたモニターの中に、唯一無二の穏やかな希望ひかりが灯った。ゆっくりとそこに現れたのは、星川ちゃんが数ヶ月間、寝食を忘れて無我夢中で作り上げてくれた自慢のLive2Dモデルだ。スタイルの良い金髪ベリーショートのどこか知的で色っぽい少女が、マウスの動きに合わせて、まるで生きているかのように画面の中を抑揚のあるしなやかな動きで首をかしげ、パチリパチリと瞬きをする。その可憐な瞳と視線が合ったとき、ただのデータだったはずの彼女が、私にとってかけがえのない一人のパートナーになったことを確信した。


「私は無力だ。だからこそ、人に助けを求める。人に救いを求める。人に希望を求める」


 けれど、それの何が悪い。


 人が人たり得るのは、人という存在がこの世に常に隣り合わせだからだ。


 私は人に手を差し伸べる。だって、私自身が救われたいから。


 私は人に寄り添いたいと思う。だって、私自身が誰かにとっての『特別な存在』になりたいから。


 自分の気持ちと正直に向き合う。それがいつだって世界をより良くする一番の潤滑剤だからだ。


 とびっきりのエゴは往々にして、恋してる自分すらも愛せるんだ。


「初めまして、私の名前は、月影つきかげ みなとと言います。静夜に寄り添う、あくあ色の月光です。まだ、活動したての新参者の駆け出しVTuberです。ASMR系動画の配信をメインに活動しようと思っています。趣味は毎日の日課としている読書で、日本の文学作品をこよなく愛しています。どうぞ、以後お見知りおきいただけますと幸いです。さて、最初にまず、この作品を朗読しようと思います」


「太宰治『女生徒』――」


   *


「――で、最初の配信は、チャンネル登録者数100人どころか、同接ですら100人満たなかったと」

「だ、だって、初めてのことだったし、そんないきなり100人なんて……」

「はあ!? あんた、バカじゃないの!? なに、弱気なことなんか言ってんのよ!」

「え、ええっ……」

「そうですよ。湊先輩は普段毒ばかり吐いているくせに気が弱すぎます。多分、それが湊先輩の本来の性格なんでしょうね。どっかのはじめ先輩が湊先輩に悪影響を及ぼしているんでしょう」

「あら、心外ね。私は別にそんなに毒舌じゃないわよ。お分かりかしら? 孤独を盲目的にこよなく愛する人生の迷いびとさん」


 今日も今日とて。今日も今日とてだ。一ノ瀬先輩は一向に顔を上げようともせず、ただひたすらに本を読んだまま星川ちゃんにこれでもかってほどの毒を吐き捨てる。


「はいはい、勝手に言ってろですよ。超根暗本読みシンデレラコンプレックス女」

「言うじゃない、希衣」


 しかし、一ノ瀬先輩の眉はぴくりともしていない。視線も変わらず、本に落とされたままだ。


「あー、もう! あんたたちの細かい話はどうでもいいのよ! それよりもあたしは月詠にシンプルな答えを聞いてるの!」

「な、なに、灯華ちゃん?」

「あんたももう分かってるでしょ? 世の中はそんなに甘くないってことをよ」

「そ、それはまぁ、うん……」

「じゃあ、これからどうするつもり? まさか、尻尾巻いて逃げるとか言い出すんじゃないでしょうね?」


 私を見据えてきっと睨んできた灯華ちゃんに対してしっかりと否定の意思を示す。


「逃げないし、やり続けるよ。それが私という存在の全アイデンティティーをかけた証になるから」

「それなら、よろしい。頑張りなさいよね。あたしだって、自分のVTuber活動で毎日忙しいんだから!」

「朝比奈先輩が忙しいのって、ただ単になんでもできちゃう『器用貧乏』だからですよね?」

「うるさいわよ、星川! あんたは黙って、水飲み場で水を飲んできなさい!」

「おお、湊先輩とはじめ先輩には負けますが、一応毒は吐き捨てられたみたいですね。偉いからたくさん撫でてあげますよ。よーーーーしよしよしよしよしよし!!」

「えへへへへへっ!! って全く違うわよ、この大バカあんぽんたんドス恋シコ踏みマヌケ女!!」

「やりますね☆ あたしが教えられることは多分もう一つくらいしかないかもしれません」

「……一応、念の為言ってみなさい」

「湊先輩の戦いは終わってないということです。あと、朝比奈先輩や希衣たちもです。それとついでにおまけではじめ先輩もです」

「なんのことよ?」

「分かってて言ってます?」

「だから、なにがよ?」

「しらばっくれても無駄ですよ。希衣たちみんな湊先輩のことが好きですよね?」

「えっ!?」


 私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


「星川ちゃん、いつものあれはただのスキンシップとかそういうんじゃなかったの……?」

「…………」


 無視。清々しいまでの圧倒的な、完全なる無視。


 そして、ここにきてよくわからないけれど、灯華ちゃんのつぶらで大きな瞳がまるで壊れた扇風機のようにぐるぐると音を立てて回りそうになっている。


「はあ!? ば、ばばばばばばばばばばっかじゃないの!?」

「その焦りようやっぱりでしたか」

「希衣」


 突如、一ノ瀬先輩が星川ちゃんの名前を呼んだ。


 その手の中にさっきまで読まれていた小難しそうな本は一切入っていない

 星川ちゃんの名前を呼んだ一ノ瀬先輩の手の中にはもうすでにボールペンとノートの切れ端が握られていた。


「ふふふっ、仲間っていいわね。悔しいけど、その弱み、言い値で買い取ってあげるわ」


 冷静沈着の一ノ瀬先輩の顔が珍しく、ありえないくらいにひくひくと引き攣っている。


 そんなにも星川ちゃんの一言は一ノ瀬先輩の痛いところを突いたのか。


「分かってるでしょ? 希衣たちは一蓮托生です。湊先輩を高みに上げるため協力し合いましょうよ」

「い、嫌だからねっ! あたしはそんな不正みたいなこと絶対にしないからっ!」

「灯華に同意よ、希衣。私も湊にできることなにもないわよ」

「……いいんですね? 朝比奈先輩とはじめ先輩が湊先輩を使って夜な夜な……むぐぅ!?」

「な、何が何だかよくわからないけど、その先は言わせないからね!」

「……よくやったわ、灯華」

「じゃあ、湊先輩のこと、助けてくれますよね?」

「分かったわよ」

「仕方がないわね。もう、そうするしかないようなのが本当に悔しいわ……」


 結びに代えて。これは、私という露坊の石ころがダイヤの原石のように極限まで磨き続けられる『絆』と『魂』の『キセキ』――


 私たちはナンバーワン個人VTuberとなる為、ただひたすらに全力で明日に向かって愚直に直走っていく。


 それが、自分自身を証明する間違いのない正しい生き方だから。


 『進もう』


 『前を見よう』


 『まっすぐ立って一歩一歩着実に歩めば、仮に小さなその足跡ですらもやがて大きな確かな道筋の光となるから』


 『ヒカリ』を『キセキ』へと。


 『キセキ』を『ミライ』へと。


 銀ピカのロケットに乗せた私のミライVTuber活動は未だ見ぬ景色を求めて天高く上昇していく。


 『運命とは』


 『引力とは』


 『たった今、迷いなく私がその場で行動を起こすことだ』



        了

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静夜の星空と、引力を持つ声 甘寝むい @amane_mui

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