静夜の星空と、引力を持つ声

甘寝むい

前編

 『引力』


 この世には、目に見えないそんな力が働いているらしいです。

 


 偉い人は、『引力』のことをこう言います。

 『引力』とは単純に、地球が『物を引っ張る力』にしかすぎない。

 けれど、私は、この『引力』というものに、『一種の特別なもの』を感じます。


 本題です。


『あなたは、『運命』というものを信じますか?』


 もしも、この世に『運命の赤い糸』が存在するのだとしたら――


 私はその『赤い糸』を『運命』と呼び、また『かけがえのない引力』と呼ぼうと思います。

 『あの時』の『彼女』の声には、確かにその『引力』が満ちていたのだから。


 私の名前は、月影つきかげ みなと。静夜に寄り添う、あくあ色の月光。


 新参者の駆け出しVTuberです。ASMR系動画の配信をメインに活動しています。文学作品をこよなく愛しています。

 どうぞ、以後お見知りおきいただけますと幸いです。


   *


 今でもはっきりと思い出せます。

 この世には、確かに何かの力が働いていて、その目に見えない絶対的な力は、私の中の『大切なもの』を根底から確実に変えてくれたのだと。

 『静夜さん』は、あの日、まだ何も知らない私に新たな世界を広げてくれました。


 皆さん、ご存知ですか?

 今年、2026年は、ある界隈においてちょうど大切な節目の年に当たることを。当時も社会現象として大ブームを巻き起こしたジャンルが今も根強いファンの方に支えられ、ついに本年で10周年を迎えるのです。

 あの、『VTuber』という文化が誕生してから、早くももう、今年で10年目になるんですよ。


 そして、今や世界中でその数を増やしているVTuberですが、皆さんはその数がおよそどのくらいであるかはご存知ですか?


 『10万人』


 個人大手、全てのVTuberを数えると、今やもう、そのくらいの活動人数に至っているようです。 

 その中でも、専業で食べている方はごく一握りです。私たちがよく目にする耳にするトップ層は、およそ150人ほどしかおそらく存在しません。熱狂的なファンの方に支えられている中堅層ですら、多分数千人ほどしか存在しないのがVTuber業界です。そのほとんどの方々が、いまだ静かに自分の中のダイヤの原石を磨き続けている状態なのです。


 さて、あなたにもう一度この質問を伺いたいです。


『あなたは、『運命』というものを信じますか?』


 私、月影 湊は、あの日『奇跡の音』と出逢いました。

 『静夜』という名の、凛とした鈴の音のような、誰よりも人に寄り添い、誰よりも人の心を温かくしてくれる、『本物の音』に。


 お恥ずかしながら、私自身、VTuberの方々のことは存じておりました。

 けれど、私が知っていたのは、大手事務所で活躍する華やかなVTuberたちの存在のことしか知らなかったのです。


 この世には『個人VTuber』という、企業や事務所などに所属せず、自分一人の力で活動している配信者の方々がいます。

 制作・企画・編集、全てを自分一人の力で担って、リスナーの皆さんにただひたすら温もりという名の『楽しさ』をお届けする。

 娯楽の化身。そんな真なるエンターテイナーを私は心の底から尊敬します。


 『静夜さん』


 孤高の個人VTuber『静夜』さんもそんな真なるエンターテイナーの一人です。


 静夜さんは普段、取り止めのない雑談をその自前のトークスキルで面白おかしく配信することを主としています。

 とにかく、リスナーさんが笑顔になってくれることを最優先としているらしく、私も彼女の配信をよく見ていて、笑顔にさせてもらっていました。


 ここで言う静夜さんの容姿は、あくまで俗に言うVTuberとしての『ガワ』にしかすぎないのかもしれません。

 ですが、私は彼女の容姿がとても大好きなのです。肩よりも下に伸ばした黒髪姫カットのそのあどけなさが私には声と相まってたまらないのです。


 静夜さんの声は、ハチミツよりも甘美で濃厚でした。

 しかも、静夜さんの凄さはそれだけにとどまらず、彼女の本領発揮はその時々行われる日本文学の朗読にありました。

 静夜さんの口から紡ぎ出される言葉には、その文字の一つ一つに確かな生命いのちが宿ります。

 荒野に力強く一輪の産声が上がるように。大地に優しく草木が芽吹くように。まるで銀河を溶かした夜の帷のように温かで優しく。

 それは、百の言葉でも千の言葉でも語り尽くせず、私たちリスナーの心をギュッと鷲掴んでは離しません。


 完璧パーフェクト個人VTuber、『静夜さん』――


 私は、『あなたのようになりたい』。


 月光に縁取られた静かな夜に、凛と強く鳴り響くような、希望と自信に満ち溢れた『本物という名の原石』に――。


「――まぁた、なんかあんたは難しい顔をしてるわねぇ」


 長机に肘をつきながら深く考え込んでいた。顔を上げると、目の前にはクラスメイトの朝比奈あさひな 灯華とうかが私を見下ろしていた。


「灯華ちゃん」

「ちょっと、あんた! 気安く下の名前でなんか呼ばないでよね! あたし、あんたのこと嫌いなんだから! あたしのことはちゃんと、朝比奈さんと呼びなさい! いい? 朝比奈さんよ!? わかった!?」

「わ、わかったよ、灯華ちゃん」

「いや、まったく! 何一つとしてわかってねーし! あんた、あたしのこと馬鹿にしてんの!?」


 カッと目を見開いて、私の鼻先にぐりぐりと指を押し付けてくる灯華ちゃんだったが、私はそのまま意に介さずこう伝える。


「ま、まぁいいじゃない。灯華ちゃんが花火みたいにパッと咲いて、すぐに消える人だってことはわかったから」

「はあ!? 辛辣すぎでしょ、あんた!? あたしのこと、泣かすつもり!?」

「そ、そんなことないけど、灯華ちゃんのことはいつだって言い負かしたいと思っているよ」

「タチが悪いわよ、あんた!?」


 私に抗議申し立てをしてくる灯華ちゃんはすでにもう半泣きだ。間違いなく、べそっかきとも言っていいだろう。


「あはははっ! お二人ともまたやってるんですかぁ? 今日もイチャイチャっぷりが熱いですねえ」

「星川ー! 会いたかった! ずっとずっと会いたかったよー! 月詠つくよみにいじめられたから、あたしのこと、あんたのとびっきりの愛でたくさん慰めてー!」


 灯華ちゃんは両手を広げて、あまつさえ口まで窄めて、星川ちゃんにこれでもかっていうほど思いっきり泣き付きにいった。

 しかし、目の前で近づいたところで、両手で遮られる。


「のーせんきゅーです、朝比奈先輩♡」


 その表情にはありえないくらいの拒絶の意思が示されている。


「きゃはは、この星川ほしかわ 希衣きいには、湊先輩という心に決めた人がいますから。ねっ? 湊先輩」


 バチン☆


 奥にいる私の方へと向き直ると、思わず、ご丁寧にありがとうとまで言いたくなるような力強いウインクを決め込んでくる星川ちゃん。

 ウインクで流れ飛んできた『星ちゃん』は頭に当たったら痛そうだ。


「星川ちゃんはいつも通りだねぇ。鳩尾に鋭利な肘を捻り込んでくるかのような、格闘家も真っ青な愛称表現だと思うよ。今すぐ高校辞めて、女子格闘家に転向したほうがいいんじゃない?」

「……それ、まんま湊先輩にお返ししますよ。希衣には湊先輩の方がよっぽどキレッキレな愛情表現を示してくれている気がしますから。ねねっ、そうは思いません? はじめ先輩?」


 星川ちゃんがそう言うと、私の目の前で視線を落としながら本を読んでいた一ノいちのせ りん先輩が、視線をそのままにこう言った。


「まぁ特段間違っていないかもしれないわ。湊、あなたは少し人の心を持ちなさい。灯華と希衣が可哀相よ。ただ、生きていることが幸せである石の下の団子虫のような二人に、生きている権利までを奪っちゃいけないわ」


 狂気。一ノ瀬先輩は眉ひとつ動かさずに、視線を本に落としたまま、平然と灯華ちゃんと星川ちゃんに残酷な真実を告げた。


「……いや、ぶっちゃけ、そういう一ノ瀬先輩も本当に大概ですよ。毒の吐き方がキレッキレです」

「そうかしら?」

「当たり前でしょ! この『月と花たば文芸部』には、いつもあたししかまともない人がいないじゃないですか!」

「ああ、それはそうと、湊。ちょっといい?」

「ほら! 人の話すら聞いてくれない!」

「まぁまぁ。大丈夫ですよ、朝比奈先輩。ここにも湊先輩一筋の、こだわりのイデオロギーを最優先しまくりのすっごくまともな後輩ちゃん、星川希衣、略して『汚い花火は打ち上げてなんぼ』がいますから」

「あんたが一番ひどいわよ! この、大馬鹿イカレフルーツポンチちゃらんぽらんギャル後輩めが!」

「おお、よくそんなに長い言葉を舌を噛まずに言えましたね。偉いですよ、朝比奈先輩。よーしよしよし」

「えへへへ……ってそうじゃないわよ! 一瞬本当に喜んじゃったじゃないの、ばっか! 本当にもう、ばっかすぎなんだからもう!」


 なんだかよくわからないけど、灯華ちゃんはえらい幸せそうに喜んでいる。


「汚い花火が打ち上がったところで、そういえば、一ノ瀬先輩。さっきいったい何を言いかけたんですか?」


 私は肘をつきながら、一ノ瀬先輩に問いかける。


「もしかしたら、その気はなかったかもしれないし、忘れているかもしれないから、だから、あらためて確認するわよ。本当にいいのね?」


 一ノ瀬先輩が私の気持ちを探るように、顔を上げ、一直線に私の視線を静かにそれでいて強く覗き込む。


「……はい。もう、決めたことですから」


 一ノ瀬先輩は表情を崩さず、そのまま読んでいた本にまた視線を落とした。

 一ノ瀬先輩の指が、本の次のページを捲る。


「わかったわ。それなら、問題ないの。私もいちいちあなたの心配をする必要はないし。でも、あなたが決めたことは一筋縄ではいかないわよ」

「まずは、チャンネル登録者数100人。大丈夫です。私には灯華ちゃんや星川ちゃんがついてくれていますから」

「クレバーね。そこに私の名前を入れなかったことは偉いわ。私はあなたにとってのライバル。これからも助言はしても、直接的な物事の介入は一切しないわよ」


 ぺら。一ノ瀬先輩が再び本の次のページを捲る。


「上ってきなさい。上れるものならね。私はいつだって相手になるわ。それが、『ナンバーワン個人VTuber』の矜持だから」


 一ノ瀬先輩の声に微かな熱が灯る。その穏やかな『凛』とした澄み切った声に、私の心は抗いようのない『運命』と『引力』を感じる。


「ちょっといいですか、一ノ瀬先輩。あんまり、月詠のこと舐めない方がいいですよ。こいつはあたしが認めた、世界に一つだけの『特別な宇宙』ですから」


 灯華ちゃんが長机を叩くように手を置き、一ノ瀬先輩を見下ろすように睨みつける。

 しかし、一ノ瀬先輩は、その視線を感じ取っているはずなのに、本を読んだまま、ただ笑い続けるだけだった。


「ふふふふっ。楽しみにしてるわよ。その特別な『宇宙』がどれほどの『運命』と『引力』と『リスナーさん』を引き寄せるられるかしら」

「なりたい」


 私は唐突にそれを口にする。


「いつだって、私は、誰かの『特別な存在』になりたい。誰かの心の穴をそっと埋めてあげられるような、ふわふわとした優しいわたあめのような存在になりたい」


 視線を落としたまま、強く拳を握り込み、私は抱いた決意を再確認するようにそう呟いた。


「ふふっ、その意気よ。昔、私の好きな本の作者がこう言っていたわ。『人が人たり得るのは、人という存在がこの世に常に隣り合わせだからだ』と」


 ここにきて、初めて一ノ瀬先輩は読んでいた本を静かに閉じた。そして、含み笑いを浮かべながらさらにこう続けた。


「湊、あなたはその『声』で誰を救うのかしら?」


 皆さんにもう一度、お伝えします。この世には、『引力』という、目に見えないそんな力が働いているらしいです。

 あの日、『特別な引力』に引き寄せられて、私は、『静夜』という『劇的な運命』と出逢いました。


 気高い静寂を纏ったその声は、ときに優しく、ときに毅然としていて、それは私という『月の雫』に太陽の恵みが注がれ、まるで凍てついた心へ、暖かな光が浸透していくようでした。


 『彼女』の、『静夜』の、『一ノ瀬先輩』の声は、決して抗うことのできない真理のように、いつまでも消えない鮮やかな余韻を、私の胸の奥に刻みつけたのです。


 『VTuberとは』


 きっとそれは、単純に人と人の心のつながり。心と心の結び合い。


 『VTuberとはきっと、心の奥で希望を求める誰かにとっての『特別な誰か』になれる、気高くも慈しみ深い温かな職業なのです』


 だから、私は大丈夫。自分の『コンプレックス』なんかには絶対に負けてやらない。


 もう、二度と、心が折れたりもしない。


「たった今、今日これから行う配信は、私の全アイデンティティーをかけた魂の証明だ」

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