16

 力を込めて抜け出そうとして大節は、とても疲れた顔を一瞬見せた。それから隠さなくなった。それでも真幸は離さなかった。抜け出せない力にふっと力が抜けたように、大節は今にも泣き出しそうな表情をした。


 真幸が申し訳ない気持ちで口を噤むと、大節は、掴まれたまま、そっと両手を挙げた。逃げないので離してほしい、と言いたそうだった。


 恐る恐る、掴んだ手を離すと、大節は指先をベンチの方へ向けた。ベンチまで寄ると二人で座った。目の前には曇り一つない晴れた青空があった。大節はゆったりとした動作で、スマホを操作した。真幸も合わせてスマホを取り出した。


 空気が僅かに緩んだ。でも重たい気配が潜んでいた。大節は、頭を掻きながら打ち込んだ。大節のため息がきこえた。


 『私生活で色々あって、すっかり落ち込んでいました。いつものことなのに、今は勉さんがいなくて堪えていました』


 真幸は、父の存在が大節を支えていたのを改めて知り、その深さを垣間見たような気がした。


 『何があったんですか』


 『言いたくありません』


 真幸は、拒絶された気になった。どこかで踏み入れてはいけない領域があることを肌で感じた。大節は、「すみません」というように頭を下げた。まるで、いつも頭を下げることが当たり前の環境に慣れてしまった所作だ。余裕がないためか、いつもより謝っている。引き留めた自分が悪いのだから。謝らなくて良いのに、でも謝罪の中に真幸を慮ってくれているのが伝わる。


 『言えないですけど、真幸さんに会えて、また勉さんのよすがとなるものを頂けることは、俺にとって至福で、……だから』


 何を言わんとするのかわかった。骨が入った袋を取り出した。


 改めて骨が入っている袋に触れた。小さいのに、もう死んでいるのに、まだいる。そのついでに自分も含まれているのは、妙に複雑なようで、でも嬉しかった。


 そっと大節に渡すと、大節は「ありがとうございます」というように軽く礼をした。沈黙が再び降りた。気持ちが先にあるのに、どうすればいいか、扱いかねている。気持ちがざわつく。喉が渇き始める。居づらい無言が続いて、大節は視線をさまよわせた。


 昼時に近づいたためか、人混みが混みだした。立ち去るタイミングを大節がはかろうとしていた。


 真幸にとって、これは正解なのか、わからない。伝わらないかもしれなかったが、伝えないといけなかった。指を動かすと、急にせりあがるような怖さがあった。


 『……大節さん、いいでしょうか』


 大節は、少し余裕のある間を置いてからゆっくり打ち込んだ。


 『はい』


 『また一年後、二年忌の時、父の骨を一度返してもらいませんか?』


 大節は、うつむいて、目を伏せた。


 少しの間を置いて、それから、強く確かな視線で真幸を見つめた。


 『はい。それは当然です。もともとは安河さんのものですから。それまで大事に預からせていただきます』


 『でも、また大節さんに持っていただいていいですか』


 抱えていた骨の袋は今にも消えそうなほど軽いのに、まだ、ずっしりと重たかった。


 大節は意味を測りかねたように、真幸とはっきり視線を合わせた。


 何かの真意を探るようだった。


 『俺は、まだ父をゆるせていません。これからもゆるせないだろうと思います。でも、あなたと、過ごした父のことをもう一度信じていいかもしれない、そう思っています』


 どうして、大節に会いたくなったのか、大節のことを思い出したくなったのか。画面に一滴の水がこぼれた。俺は、父のことをゆるしたくて、できなくて、歳を取って、今なら父の苦悩がわかるような気がした、と言葉にしてしまえば簡単だった。でも今は、抱えきれない。


 『一年後、またここで会う。そういうことなら、それまで、俺が持っていいんですよね?』


 大節が強くしっかりと袋を受け取り、真幸は大きく頷いた。


 もう視界がぼやけて何も見えない。でも満点の青空だろう、その天辺から射し込まれてくる陽光だけを目蓋で感じた。また来年も大節に会える。


 頼りない中で、光り放たれたなにかは、見えない明日の連日を約束してくれる指針のようで、それまで生きようと思えた。



(了)

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幸福は、まだ遠く 箸代守 @hashishiro_mamoru

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