15
七年住んでた家を出ると決め、引っ越し先をネットで探した。いろいろ引越しの記事を読み込んで、直接聞くのがいいらしいという情報から、あちこち、不動産屋に出向いた。その土地によって、見えるものが見える。その土地によって、活気があるものと、ないもの。治安がいいもの、よくないもの。人の気配や、その周りを取り巻く空気も。
先々のことも考え、家賃が安く、風呂付きの2DKを探した。猫も広い所が喜ぶだろうと思った。多間地区の北西部で条件を一つ見つけた。けど遠いが、祖母がいる間は、都内にいたい。祖母がいる所は、真幸の同級生と出くわすかもしれないので、恐い。新横濱から遠くなるが、駆け付けられない距離ではない。調べたら、二時間で到着できる。
退職金は期待してなかったが、なぜか出た。しかも、やや多い気がする。その内訳とは? と想像して、うんざりした。風評被害の予防だろう。もう知ったことではないが助かったのは事実だった。
引っ越ししてから一ヶ月して、季節は、秋へ変わった。もうすぐ父の一年忌でもある。会える口実があった。でも、そんな口実はなくとも大節に会えることになった。
待ち合わせは、展望台タワーの最上階。予定より三十分前に、真幸は着いた。山無県のあの展望台が良かったなと思った。高層ビルがあるから、天高く馬肥ゆる秋の空に全く相応しくない。まだ残暑が残る天候ではあるが。
大節は、その五分後にやって来た。なぜか、タオルを首に巻き付けている。しかも、髪も濡れている。大節は、いつものように頭を下げた。「痩せたな」と真幸は、大節のこけた頬を見て思った。
大節はあらぬ方向へ向けたが、視線を真幸に戻した。そして、真幸の隣のベンチに腰を掛けた。疲れているようだが、身なりは清潔だ。でもこの人は、誰でも気を遣う性格だ。
だとしたら?
『ご無沙汰しています。受け取りに行くのが遅くなってすみません』
用件を送信したのは、三か月前。たしかに、遅い。遅かった理由は、あったのだろう。大節の、やけに疲れたような表情が何かを物語っている。
『わざわざすみません』
やたら謝るのは、大節のクセだ。それは障害者という生まれに来るのかもしれなかった。しかし、真幸は、首を大きく振った。
『改めて尋ねたいんですが。あなたは、今でも、日高さんを恨んでいますか?』
もう、真幸は固まっていなかった。しかし、父のことは相変わらず恨んではいる。でも、仕方なかったのだと思っている。父も一所懸命だった。その中で、よくあちこち連れて行ってくれた。不器用なりに息子を愛していた。
『わかりません。ただ、今は、父を通して、大節さんに会えたことを感謝しています』
大節が固まった。ぐっと、堪えるように唇を噛みしめている。それから、目を細め、あの黒い、布が薄めのリュックサックから通帳と判子の入ったジッパーを取り出す。そのジッパーは野菜などを入れる専用であったような気がする。
『中身はすみません。他に丁度いいのがなくて。日高さんが、あなたに残したものです。六百万円ほど入っています』
信じられない気持ちになりつつも、今度は、真幸は父を信じた。
あの父なら、やりかねない。本来の父は、そもそもそうだった。通帳に記載されている名前は、日高勉。紛れもなく、父だ。
『これを渡したかった。渡せるか、不安でした』
真幸が受け取ると、大節は微笑んだ。「良かった」と、人の幸せを心から喜んでいる。
この笑顔がとても神々しいように思われた。
どこかで見たことのある、自分では獲得できないと思っていたものだ。遠くの虚実がこんなにも、近くに、存在していることに遅まきに驚いた。
大節がちらりと、骨が入った袋を見遣った。真幸は、小さな袋を取った。
葬儀で、あまり残さなかったので呆気ないほど軽かった。大節が受け取ろうと構えている。
これを渡したら、この関係は、終わると直感した。
真幸は無視した。完全に、無視をした。
大節は、十分待たされると、立ち上がり、名残惜しそうに骨を見た。ふっと表情を変えた。「おまえもか」と恐ろしい表情と成り代わった。真幸が動くより先に、大節はエレベーターへ向かった。真幸は、その背を追った。
大節の肩をつかんだ。つかんで、離すまいと、腕を取った。自分でもよくわからない。こんなふうに人を引き止める自分を、真幸は知らなかった。
大節は何も言わなかった。ただ、じっと真幸を見ていた。衆人が自分たちに注目されると、思わず、手を離した。離した後に、大節がさっとこのまま消えていくのではないかと危ぶんだ。再び、腕を掴んだ。
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