第4話

 雅人まさとの物柔らかでありながら、どこかいたずらっ子のような微笑み数瞬の間、圧倒されていたロミヤックだったが、彼は我に返ったように口を開く。

「ハース……ハースにお言葉を返すは不敬の極みではございますが、あなたさまはハースに相違ございません」

 ロミヤックはきっぱりと言い切った。

 それを聞いて、雅人はふわりと微笑う。

「……さすがは、ロミヤック。アディファートの教育係だっただけのことは、あるね」

「ハース?」

「他の連中なら、僕をハースだって言ったらもう、言い返すことなんかできないだろうから」

「それは、おっしゃる通りでございますが、私は、恐れ多くも教育係として、大変親しくさせていただいておりましたので……お怒りでございますか?」

「まさか」

 雅人は微笑う。

「自分を特別扱いしないロミヤックが、アディファートは好きだったんだよ。僕はね、アディファートの記憶を持ってる。だから、ロミヤックに対する好意をちゃんと覚えてる」

「身に余る光栄でございます」

「雅人さま、ココアをどうぞ」

 タイミングも何も考えずに、ジェイが雅人に声をかけ、ココアを手渡す。

「ありがとう、ジェイ。ジェイも、座って。ロミヤックも」

 雅人は、ひざまずいたままのロミヤックに言った。彼はその言葉に即座に従った。

 ジェイも、雅人の隣に腰を下ろす。

「それにしても、ロミヤック。本当によく見つけたね。どうやって見つけたの? 志雄しおがアディファートじゃないって思ったことはわかるけど、でも、だからって久我くが雅人がアディファートの生まれ変わりだってことはわからないでしょう?」

「それは……確かに苦労致しました。しかし、ハースがこの惑星に転生なされていることだけは確かなことであったので、全住民のデータを洗い出し、何とか辿り着くことができた次第です」

「それをお前一人でやったの?」

 雅人は驚きを隠さずそう言った。

「はい。左様でございます」

「すごい執念だねぇ……」

 雅人は正直な感想を述べた。

「あのような者に恐れ多くもハースの御名をかたらせておることなど、とても容認はできませぬ」

「そう……」

 うなずいて、雅人は熱いココアに何気なく口に運ぶ。

「あつっ」

 ココアは雅人が思っていたよりも熱かったようだ。

「大丈夫ですか、雅人さま。熱くしすぎましたでしょうか?」

「ううん。おいしいよ、ジェイ。あんまり甘くなくて。ジェイが淹れてくれるココア。僕、大好きなんだ。外、寒かったしね。ところで……ロミヤック。お前は、いったいどうしたいの?」

「私は、あのハースを騙る愚か者を排除したいと思っております」

 うなずいて、雅人は今度は慎重にココアを口にした。

「でも、みんなは、志雄がアディファートだと思ってるんでしょう?」

「皆は欺かれてておるのです」

「欺かれて……か……アレを見つけて、アディファートだって決めたのは、レスタの方でしょう? もちろん、アレの方はわかっててあの姿なんだけどね」

「わかっていて?」

「うん。あれは、役者不足とはいえ、まがりなりにも、敵だから。その程度のことは、やってのけるだろうね」

「敵? ハースの敵でございますか?」

「何言ってるの。僕に敵なんて、いるはずがないでしょう」

 雅人は呆れかえって言う。

「ロミヤックは僕をアディファートだって言うのに、本当には僕のこと、わかってないんだね」

 雅人はまたこくりとココアを飲んだ。

「ハース……」

「ロミヤック。僕はね、アディファートだったけど、今は久我雅人で、そして、雅人だよ。まさと。レスタでは何を意味する?」

「それは……奇跡を……」

「そう。僕は奇跡。奇跡の中の奇跡。ロミヤックが考えている以上に、大きな存在なんだ。志雄は、その僕の敵になるには、あまりにも小さすぎるよ」

 柔らかく微笑って、雅人は言った。

「では、あの者は何者の敵なのでございましょうか」

「王の敵。人界の王の敵だ」

 雅人は淡く笑みを浮かべて言った。

「人界の……王でございますか?」

「うん」

「それは、何者なのでございましょう」

「それは言えないなぁ……」

 雅人はくすくす微笑いながら言う。

「ロミヤックも人だからね。教えてあげられないんだよ」

「ハース……」

「……食事に出かけようか……」

 雅人は、唐突に言った。

「ハース?」

「ロミヤック。お腹、空いてない?」

「は……」

 あまりにも唐突な雅人の言葉に、ロミヤックは一瞬反応が遅れた。

「僕は、お腹空いてるんだよ。いつもジェイと二人でゴハン食べに行くんだよ。今日はロミヤックも連れて行ってあげる」

 雅人は言うが、ロミヤックとしては、恐れ多くもハースと食事を共にしても良いものなのかと、困惑を顔に浮かべている。

 そこへ、ずっと無言で経緯を見守っていたジェイが助け船を出す。

「雅人さま」

「なあに? ジェイ」

「お困りのようですよ」

「なんで困るの?」

 きょとんとして雅人はジェイを見やる。

「彼からすれば、雅人さまはハースであるのでしょう? その、至高の存在と食事を共にと言われても、お困りになるだけなのではありませんか?」

「そう? そう言えば、ロミヤックと一緒にゴハン食べたことなかったね。でも、今僕は久我雅人で、ハースじゃないよ」

「ハースはたとえ転生なされても、ハースであられることは間違いのない事実でございます」

 ロミヤックは頑なに言い切った。その頑なさに雅人はとうとう声を上げて笑い出す。

 その、笑顔にロミヤックは息を飲んだ。彼はアディファートの笑顔など見たことがなかったのだ。何と言う愛らしさなのだろう。ハースという重圧から解放され、ただの人として生まれ変わったアディファートは、彼が望んでいたようにごく当たり前の生活を手に入れたのだろうか。

「ロミヤックにとっては、僕はあくまでもハースなんだね」

 笑顔のまま、雅人は言った。

「左様でございます」

「じゃあ、僕に逆らっちゃ、ダメ。一緒に食事に行くよ。ゆっくり食べられる店がいいね。ジェイ。松に今から行くって電話して」

「はい。雅人さま」

 ジェイは笑っている。

 ジェイにはロミヤックの記憶はないが、レスタの人々にとってハースがどれだけ重要な存在であるかは雅人に聞かされたので知っていた。彼にとって何よりも大切な雅人だが、レスタの人々にとってみても、神と等しき存在であるハースと食事を共にするなど、あまりにも恐れ多いことなのだろう。

 しかし、雅人の言葉である。

 ジェイが雅人に逆らうことなどありえず、彼は言われるがままに、雅人が気に入っている和食の店である松に電話を入れた。

「僕はね、ロミヤック。お前なら、志雄がハースじゃないって気付くと思っていたよ。でも、まさか、お前が僕に辿り着くとは思っていなかった。だから、これはそのご褒美」

 雅人は微笑う。

「ハース……」

「それと、ハースは禁止。僕は雅人だから、そう呼んで。あの、志雄と同じ呼ばれ方なんて、我慢ならない」

 口調は穏やかだった。しかし、ロミヤックは並々ならぬものを感じたのだろう。即座に言い改めた。

「では、雅人さまと、そうお呼びさせていただいてよろしゅうございましょうか」

「うん。それでいい。じゃあ、行こうか」

 当然のように雅人が先に立ち、ジェイ、ロミヤックと続き、事務所を後にした。

 ジェイが同行する際の護衛は必要ないと言われている大野おおのは、静かに頭を下げてそれを見送った。


「ようこそ、いらっしゃいませ」

「こんにちは」

 雅人は柔らかな笑顔を浮かべて言う。

 松は、こじんまりとした和食の店で、雅人のお気に入りの店だ。昼は定食なども出しているが、雅人たちは当然のように奥の座敷に通された。

 掘りごたつが設えられた座敷には、さりげなく冬の白い椿が生けられている。

「今日は、良いヒラメが入っておりますから、いかがですか?」

「うん。お願いするね。あとは……いつも通りお任せでいいけど……ロミヤックは何か食べたいもの、ある?」

「私のことまでをお気遣い頂き、恐れ入ります」

 ロミヤックは深く頭を下げた。

「私は、こちらのことがまだよくわかりかねますので、ハ……雅人さまにすべてお委ねさせていただきたく存じます」

 この、丁寧と言うにも程がある返答に、さすがの雅人も苦笑を浮かべた。

「じゃあ、お任せで。お腹空いてるから、早くしてね」

「はい、すぐに」

 女将が席を外したので、雅人はロミヤックに微笑いかけた。

「ここはね、僕のお気に入りの店なんだ。いつも、ジェイと来るんだよ」

「ハ……雅人さま……」

 ロミヤックはなかなか雅人と呼ぶことに慣れない様子であった。

「彼は……ロト・ジェイの生まれ変わりでございますか?」

「そうだよ」

 雅人は微笑う。

 それはそれは、幸せそうに。

 それを見て、ロミヤックはホッと息を吐いた。

「ハ……雅人さま……心より、お喜びを申し上げます」

「ありがとう。ロミヤック」

 雅人は鷹揚にうなずいてみせた。

「あのね、ジェイ。ジェイは覚えていないだろうけど、ロミヤックはね、アディファートとロト・ジェイの味方だったんだ。ロミヤックと、ヴァストウォールだけだと言っても過言じゃないくらいだ。アディファートの教育係で……そうだね、ロト・ジェイが現れる前まで、唯一心を開ける……ううん、アディファートにも心があるって知ってる相手だったんだよ」

「ハース……もったいなきお言葉でございます……」

「だから、ロミヤック。ハースじゃないってば」

 言って、雅人は微笑う。

「失礼を申し上げました。雅人さま……」

「ジェイにはロト・ジェイの記憶はないんだよ。だから、もちろんお前のことも覚えていないんだ」

「左様でございますか……それでも、雅人さまのお側にあるのでございますね」

「当たり前だよ」

 雅人は微笑う。

「そのための殉死なんだから。あのね、ジェイ。ロト・ジェイはね、アディファートに殉じて死んだ。それは前にも言ったよね?」

「はい。雅人さま」

 雅人の口調が、ジェイに対する時とロミヤックに対する時と微妙に違うことにジェイは気付いていた。ロミヤックと対すると、微妙にアディファートの記憶が喚起されるのか、口調が多少傲岸なものになる。

 それは、ジェイの知らない雅人だったが、当然と言えば当然なのかもしれない。

 ジェイの知る雅人は雅人だ。アディファートではない。

 この、ロミヤックという男はジェイの知らない雅人を……アディファートを知っている。

「どうしたの? ジェイ」

「何が……ですか?」

「何か、気にかかる?」

「いいえ。ただ、私がアディファートさまのことを知らないのに、この方は知っていらっしゃるので……」

 ジェイの言葉に雅人は微笑う。

「そうだね。でもね、ロミヤックは雅人のことは知らないんだよ。雅人のことはジェイの方が知ってるんだよ」

「そうですね」

 そう。

 この四年間。ジェイは雅人にずっと寄り添って来た。

 それは動かしがたい確固たる事実だ。

 雅人はジェイにふわりと微笑いかけてから、ロミヤックに話しかける。

「兄上も、この世界にいるよ」

「ヴァストウォール陛下がこちらにいらっしゃるのでございますか?」

「うん……また、僕の兄として生まれてきてる」

「ヴァストウォール陛下におかれましても、雅人さまのすぐお側にいらっしゃるのでございますね……陛下におかれましては、深くハースのことを思っておられました。ハースのお近くにおられないなりに、心を尽くして、ハースのことをお考えになっておいででございました……その陛下が、ハース……いえ、雅人さまのすぐお側に……」

 ロミヤックが一人そう言った時に、障子が開いて仲居を伴った女将が現れた。

「お待たせしました。まず、前菜にフグのてまり寿司。鮭の辛子味噌。牡蠣のポン酢浸しをご用意いたしました。お酒は真澄の原酒をご用意させていただきました。少し発酵しておりますので、スパークリングワインのように飲んでいただけると思いますよ」

「やった。大好き」

 雅人は手を叩いて喜んだ。

「あとからズワイガニのゆずとゆり根の味噌焼きと、蛤の炊き合わせをお持ちしますね。鴨の炭火焼と、平目のお造りはそのあとで……そのあとにフカヒレの茶碗蒸し……いつもは海老真薯ですが、今日はいいカニがありますからカニ真薯をご用意しますね。〆に河豚の白子と唐墨が入ったご飯をご用意しましょうか」

「何か……すごくおいしそう……聞いてるだけで全部食べたくなる……」

 雅人は本当に嬉しそうにそう呟いた。

「いつもたくさん召し上がって下さるから、板前も喜んでおりますよ。お献立はこういったものでよろしですか?」

「うん」

 雅人は嬉しそうに微笑う。

「とりあえず、出てきたものを食べようか……ロミヤックも食べて食べて」

「は、はい……」

「ここってね、いつ来ても新しいメニュー用意してくれるんだよ。だからよくジェイとこの店でゴハン食べるんだけど、いつ来てもホントにおいしいゴハン出してくれるんだ。ロミヤックもきっと気にいると思うよ。ロミヤックはこっちに来てから、和食食べた?」

「いえ……」

「だろうね……とにかく、僕と一緒にいておいしくもないゴハンをただ栄養を摂る目的だけで食べるなんて、言語道断だよ。だからさ、ロミヤックをこの店に連れてきたんだ。僕が、この世界でどうやって過ごしてるか知ってもらいたくってね……ほら、それがフグのてまり寿司。そっちが鮭の辛子味噌。その奥のが牡蠣のポン酢浸しだよ。真澄の原酒もおいしいから飲んでごらん?」

 ロミヤックに勧めながら、雅人はフグのてまり寿司をひょいっとひと口食べる。

「ん……おいしいっ」

 言って、雅人はガラスのぐい飲みに入った真澄の原酒を口にする。

「最高!」

 アディファートだった雅人は、贅沢な食事に囲まれながら、まったく感情というものを見せなかった。それなのに、この目の前にいる彼は美味い食事と酒を堪能している。

 その差にロミヤックは正直違和感を覚えながらも、雅人の柔らかな笑顔に応じるように、箸を伸ばす。

 フグのてまり寿司を口にして、ロミヤックは笑顔を浮かべる。

「おいしゅうございますね……」

「そう? 良かった……」

 雅人は鮭の辛子味噌。牡蠣のポン酢浸しを次々に口に運びながら、にこやかにそう言った。

「おいしいよね? ジェイ」

「はい。とても……松は雅人さまをご満足させていただけるお店ですね」

「うん。イタリアンも、フレンチも。おいしいお店はいっぱいあるけど、松は別格だよねぇ……ロミヤック、おいしく食べてる?」

「はい……ハ……雅人さま……」

「お前にとっては、どこまでいっても僕はハースなんだねぇ……」

 そんなロミヤックに雅人は微笑いかける。

「申し訳ございません……」

「謝らなくっていいよ……」

 鷹揚に雅人は言った。

「お前はロト・ジェイを除けば一番アディファートに近い人間だった。アディファートの一番近くにいて、彼を教育する立場だった。そんなお前に、いきなり僕のことをアディファートじゃなく雅人だって言われても困惑するのはわかってる」

 雅人は天から降る花のような笑顔を浮かべた。

「でも、とにかく食べよう。僕はね、出された食事が目の前で冷めていくのを放っておけるほど無礼じゃないんだ。温かい物は温かいうちに。冷たい物は冷たいうちに食べるのは最低限の礼儀だよ。あと、出された料理を残さないことも、ね」

 こういうポリシーの持ち主であるから、どの店に行っても雅人は上客として歓迎されるのだった。

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