第2話

「今日はありがとうね、慎太郎しんたろう千陽路ちひろ。気を付けて帰ってね」

「こちらこそ、ありがとございました。雅人まさとさま」

 慎太郎は気を付けて帰ってくれとは言わない。

 神たる雅人に災難など起きるはずもないことを知っていたからだ。

 ハイヤーに乗り込んだ雅人とジェイを見送り、慎太郎はホッと息を吐いた。

「パパ……大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。ちょっと神気しんきに当てられちゃっただけだから」

 慎太郎は千陽路に笑顔を見せた。彼にとっては、雅人はあまりにも尊い存在で、直接相対すると言うことは相当な胆力が必要になる。

「帰ろうか、千陽路」

「うん」

 駐車場で祐佑ゆうすけが待っているのでそちらに足を向ける。

「千陽路は大丈夫だった?」

「え? 何が?」

「うん……あの方はとても強いお力をお持ちだから……神気に当てられなかった?」

「雅人さまは私にはとても優しくしてくださるから、大丈夫よ」

「そうだね……あの方は優しい方だけれど、奥底にとても強い物を秘めておられる……千陽路を脅すわけじゃあないけど、優しい方だと思って気安く接していたら、ちょっと怖い方だよ」

「うん、それはわかる……雅人さまは私が子供だから優しくしてくださるのかな?」

「どうだろうね……千陽路が松岡家本家まつおかけほんけ当主を継いだら、そうは言っていられなくなるかもしれないよ?」

 千陽路の目には、雅人と言う存在は確かにただの人でないことはわかるものの、そこまで恐ろしいものだとは思えなかった。

「慎太郎さま、千陽路さま。お疲れさまでございました」

「祐佑」

「ああ、待たせて悪かったな、祐佑。ほら、千陽路。乗って」

 出迎えた祐佑が後部座席のドアを開けてくれたので、慎太郎は先に千陽路をクルマに乗せた。

「お疲れのご様子でございますね……慎太郎さま」

「ちょっと神気に当てられただけだよ」

「千陽路さまは大事ございませんか?」

「私は平気」

「さようでございますか、それはよろしゅうございました。慎太郎さま、すぐにお屋敷に向かいますので、どうぞごゆっくりなさってくださいませ」

「ああ……ありがとう。祐佑」

「パパ……大丈夫?」

「大丈夫だよ。どこか悪いわけじゃあないんだから」

「慎太郎さまにおかれましてはお能力ちからがお強い分、強いお力に反応されるのでしょう」

「そうなの?」

「そうかも知れないね……あの方は本当の意味での神でいらっしゃるから……」

 慎太郎はふっとため息をついた。

「あの方にお会いできることはとても光栄なことだけれど……正直なことを言うと、とても気を張ってしまうんだよ」

「……怖い?」

「そう……本当はとても怖い方なのかもしれないね……パパはね、あの方の前に出ると……そうだね……レントゲンで自分の全部がられているような気がしてしまうんだ」

 言って、慎太郎は柔らかく笑んだ。

「だけど、とても優しい方であることも間違いないことなんだよ。千陽路は雅人さまのそちらの面を感じ取っているのかもしれないね……」

「……そうなのかな……」

「少なくともあの方は、とても人という存在を思ってくださっている。千陽路は自分が思うようにあの方に接して行けばいいんだからね」

「……うん……」

 雅人の爆弾発言を千陽路も口にはしなかった。あれはあの場にいた者だけに対してだけの言葉であることは、幼い彼女にもわかっていた。

 父、慎太郎の消耗が気にかかる千陽路だったが、その彼が柔らかく笑んだのでホッと息を吐いて父の肩に身を預けた。


 一方で、話題に上がっていた雅人はと言えば、渋谷にあるタワーマンションに戻っていた。

「あー。寒かった」

 雅人は冬が苦手なようだ。

 ハイヤーでの移動であったのに、寒そうに両手をこすり合わせている。

「ジェイ。ココアちょうだい」

「かしこまりました」

 雅人が寒そうにしているので、ジェイはあえて彼にコートを脱ぐようには言わず、キッチンに立つ前にさり気なく部屋の暖房の温度を上げた。

 雅人がこの部屋で口にするのは紅茶とココアと軽いアルコール。そしてクッキーくらいで食事は原則的に外食だ。

「お待たせいたしました。雅人さま。ココアです。温まりますよ」

 温かいココアにマシュマロが浮いている。

「ありがとう、ジェイ」

 雅人は微笑ってココアを受け取り、ひと口飲む。

「暖まられたらコートをお脱ぎくださいね」

「あ、うん……」

 雅人はカップをテーブルに置いて立ち上がり、コートを脱ぐ。それをすかさずジェイが受け取ってハンガーにかける。

「先ほどのお話ですが……」

「ん? 何?」

「レスタの探し人の話です」

「ああ……」

 合点がいったように雅人はうなずいた。

「何? 何が訊きたいの?」

「彼らは何故、アディファートさまを探しているのでしょう?」

「そうだねぇ……まぁ、お家騒動?」

「お家騒動……とおっしゃいますと?」

「レスタは今現在、皇帝の地位が空いてるんだよねぇ……ヴァストウォール……つまり、前皇帝だけど……アディファートより先に死んじゃってるから……」

「そうでしたか……」

「そう。だからレスタとしては何としても、アディファートの生まれ変わりを見つけ出したいんじゃないかなぁ……」

「雅人さまを政治に利用しようなど……言語道断です」

 きっぱりはっきり。ジェイは言い切った。

「ホントに、ジェイって……」

 そのジェイの言葉に雅人は柔らかく微笑った。

「雅人さまは政治などの些末事に関わられる必要はございません」

「そうだねぇ……僕もそんな気はないよ。今さらレスタに戻るくらいなら、そもそも地球に来たりはしないもの」

 言って、雅人はふわりと微笑う。

「そうなのですね。それは、よかった……」

「よかったって?」

「この地にいてくださる……つまり、私の側にいてくださるということですから」

「僕は二十歳まではここにいるよ。そう約束したでしょう?」

「はい。お約束いただきましたね」

 雅人の言葉にジェイは笑顔を浮かべた。

「慎太郎が言っていたように、レスタは騙されてるのかもしれないね。近いうちに、何かしらの発表があるかもしれない……」

「発表……ですか?」

「うん。アディファートが見つかったとか、ね……」

 そう言って、雅人はココアをこくりとひと口飲んで、ふわりと微笑ったが、それ以上何か口を開くこともなく、無言だった。

 そして翌日。

 雅人の予言は的中することになる。


 その日は日曜日だった。

 雅人はあまり、寝起きの良い方ではない。

 オフィスJは土日は休みであるので、ジェイは仕事に出ることもなく、雅人が目を覚ますまでの時間に、海外株の値動きなどを見ていることにした。

 それも、日常の風景のいちページだ。

 しかし、その日に限って言えば雅人は朝の早い時間に部屋から出て来た。

「おはようございます、雅人さま」

「……おはよう……ジェイ」

 まだ、寝惚けている様子の雅人が目をこすりながら現れたので、ジェイはノートパソコンを閉じて席を立った。

「お茶でも差し上げましょう。紅茶でよろしいですか?」

「うん……」

 寝惚け眼のまま、雅人はソファーに腰を下ろす。

 キッチンに立って行ったジェイは目覚めの紅茶を淹れ、リビングに戻って来た。

「お茶です。どうぞ、雅人さま」

「ありがとう……ジェイ……」

 紅茶を受け取り、ひと口飲んでも雅人はかなり眠そうだった。

「お珍しいですね。こんな時間にお目覚めになるのは」

「ん……あぁ、ジェイ……テレビ、つけてくれる?」

 そう雅人は口にした。

 珍しいこともあるものだ、とジェイは思う。思いはするが彼にとって雅人の言葉は絶対であったので、即座にテレビのリモコンを取ってスイッチを入れた。

 この部屋を購入する前からあったテレビの画面が点いたのは、これが初めてだった。

 大型のテレビ画面に年頃は雅人と同じ頃合いの少年が映っていた。

 雅人はティーカップを手に持ったまま、ぼんやりとその画面を眺めている。ジェイにはその顔には何の表情も浮かんでいないように見えた。

「雅人さま? この、少年は何者なのでしょうか……」

「ああ……ジェイは会ってないか……志雄しおだよ」

 志雄。

 数瞬考えて、ジェイはその名に思い至った。

「あの、銀行籠城事件を起したものですか」

「そう。これを見る限り、志雄は上手くレスタの懐に入り込んだようだね」

「あの者は、アディファートさまをかたっているのいるのですか」

「そうみたいだねぇ……」

 そう口にする雅人からは、何の感情も伺えない。

 その雅人を見やってから、ジェイはテレビ画面に視線を移した。

 確かに美しい造作をしてはいる。しかし作り物のように、生気を感じない少年。

 そう。

 まるで作り物のような。

「雅人さま……放っておいてよろしいのですか?」

「いいんじゃない? だって、僕の方がレスタに用があるわけじゃあないんだし……あっちが志雄をアディファートだって言うんなら、それで僕に何か起きるわけじゃあないし」

 では、何故雅人はこうして苦手な早起きをしてまでこの放送を見ているのか。

 そう訊ねたいジェイだったが、基本的に雅人は彼が話したいことしか口にしない。

 雅人が何を考えているかわかるのは、もう少し未来にの話になるようだった。


 ところで。

 志雄の姿を知る者は雅人以外にもいる。

 慎太郎と誠志朗せいしろうもそうであったし、安藤あんどう以下、元自衛隊員だった者たちも志雄を知っている。

 共同生活を送るマンションのリビングで、彼らはテレビ画面に釘付けになっていた。

「……司令……この、者は……」

 恐らくは、その場の全員の思いを代表した中岡なかおかの言葉。

「落ち着け」

 安藤は低くそう言った。

「我らだけであれこれと考えていても埒が明かん。もう少し時間が過ぎてからあの方をお訪ねする。自分が皆の代表として、あの方にお話を伺ってくる」

「司令……」

「まだ朝が早い。あの方は朝が遅くていらっしゃる。まだお目覚めではないだろう」

 そう。

 普段の雅人であればまだ眠っている時間だ。

 安藤以外の者たちは、日替わりで雅人の護衛をしているのでそれは熟知している。

「とにかく、食事にしよう。当番は誰だ?」

「自分と大倉おおくらです」

 声を上げたのは黒木くろきだった。

「では、黒木、大倉。支度を頼む。皆も不安だろうが、今我らだけであれこれと考えても埒が明かん」

 安藤自身が当惑を隠せないでいたので、すぐにでも雅人を訪ね、事の次第を訊きたいのは彼の本心でもあった。

 それでも。

 安藤たちは雅人の生活のリズムを乱す気持ちは欠片もなかった。

 それほどまでに、雅人と言う少年は安藤たちの心の支えとなっていたのだった。


 朝の十時を過ぎて部屋のインターフォンが鳴ったため、ジェイが応答ボタンを押した。

「安藤さん……あなたがおいでになるのは珍しいですね。今日は日曜日なので護衛は必要ありませんが……」

『いえ、本日は雅人さまにお訊ねしたいことがあり、お会いできればと思い参りました』

「……少しお待ちください……雅人さま。安藤さんが何かお訊きになりたいとのことですが、いかがしましょうか?」

 ジェイは一旦応答ボタンから手を離し、雅人を振り返り訊ねた。

「……志雄のことだろうね……いいよ。入れてあげて」

「かしこまりました……お会いになるそうです。どうぞお入りください」

『ありがとうございます』

 オートロックを解除し、ジェイは雅人を振り返る。

「雅人さまも安藤さんにお会いになるのはお久しぶりになるのではありませんか?」

「そうだねぇ……安藤さんは僕のボディーガードはしてないからね」

 雅人は柔らかく微笑った。

「彼らからすれば、志雄はトラウマだろうしね。でも、全員で来ないで安藤さんだけっていうのが、どうもねぇ……」

「彼らも随分長い期間上意下達の関係にあったのでしょうし……今も共同生活を続けているようですから」

「何て言うか……」

 雅人には理解できない出来事なのだろう。考え込む時の癖で、雅人は右耳の後ろをカリカリと掻いた。

 そこへ、部屋のインターフォンが鳴り、ジェイが応対する。

「お久しぶりです、安藤さん。雅人さまがお待ちです。どうぞ、お入りください」

「せっかくお休みのところに突然お訪ねし申し訳ありません」

 安藤はリビングに通されるなり、最敬礼をもってそう挨拶をした。

「久しぶり、安藤さん。座って。ジェイ、お茶をね。僕の分も」

「かしこまりました」

 雅人の言葉にジェイは気安く立って行き、キッチンでお茶を淹れて戻って来た。

「お待たせいたしました、どうぞ」

「ありがとう、ジェイ。さてと……志雄のことだね?」

「はい……あのモノはいったい……」

「レスタ側がアディファートだって判断したってことなんだと思うよ。まぁ、姿形はそっくりだもの」

「その……雅人さま……アディファートという方は?」

「彼らが捜してるレスタの皇子。外見だけはそっくりだからね」

「レスタ……銀河連邦とか言う異星人のことでしょうか?」

「うん、そうだよ……あれ? 彼ら名乗ってなかったっけ?」

 思考を巡らせるように雅人はジェイを見た。

「私は雅人さまからお聞きしましたが、ニュースベースではどうでしょうか……」

「そっかぁ……」

 雅人は困ったように小首を傾げた。

「まぁ、言っちゃったからにはもう聞かなかったことにしてとは言えないしね……」

 ふっとため息をついて雅人は微笑った。

紫苑しおんはね、ほとんどテレビ観てばっかりなんだ。今回のレスタが来たことが余程気にかかるみたいでね。安藤さんはどう?」

「我らの責務は雅人さまのお身の安全をお守りすることにあります。それ以外は些末事でありますので、日々のニュースとして目にしてはおりますが……」

「足して二で割れば丁度いいのにねぇ……」

 安藤の言葉に雅人はふわりと微笑った。

「まぁ、紫苑がああなのは仕方がないことなんだけどね……」

「何故でございますか?」

「ん-……まぁ、紫苑はそういう立場だからって言えばいいかな? 今回の出来事って、人間にとってはかなり大きな出来事って言っていいでしょう? 紫苑にとっては一大事だよ」

「あの……」

 安藤は遠慮がちに口を開いた。

「今回の出来事は、誰にとっても大きな出来事ではありませんか?」

「そうだねぇ……ただ、ジェイにしろ、安藤さんにしろ……慎太郎たちにしろ。僕の周囲まわりにいる人たちは、今回のことにそこまで重きを置いてないんだよね。だけど、紫苑は重大事件として受け止めてる。面白いよね」

 そう言って、雅人はふわりと微笑う。

「あの……彼も雅人さまの身近な存在なのではないのでしょうか?」

「紫苑は違うよ。紫苑は確固たる自分を持っているんだ。僕の影響を受けるようなことはないよ」

 その言葉に安藤は、この強大な力を持つ雅人の影響を受けない人間がいると言うことに驚きを隠せない。驚きを隠せずにいる彼を見て、雅人は微笑う。

「まあ、紫苑のことはいいじゃない。紫苑には紫苑の人生がある。僕の側にいてもね、紫苑は僕の影響は受けないんだよ。安藤さんが訊きたいのは、紫苑のことじゃあないでしょう?」

 そう。安藤にとって紫苑のはこの際関係ない。彼をあざむいたあのモノについて皆を代表してここへ訪ねて来たのだから。

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