第27話:龍族が滅んだ理由

 夢の始まりは、音がなかった。

 白でも黒でもない、薄い膜のような空間。

 上下も、距離も曖昧で、ただ“静止している”という感覚だけがあった。

 美優は、そこに立っている。

 いや――立っている、という認識すら後付けだった。

 気づいた時には、すでに“在った”。


「……ここは……」


 声に出したつもりだったが、音は生まれない。

 代わりに、空間そのものが、わずかに揺れた。

 次の瞬間、世界が流れ込んでくる。

 青い空。

 高層ビル。

 走り抜ける光の帯。

 それは、美優が知っている

 「元の世界」だった。

 だが、少しだけ違う。

 街は、今よりも静かだ。

 人々は立ち止まり、空を見上げ、言葉を選んでいる。

 そして――空の彼方に。

 巨大な影が、悠然と漂っていた。

 鱗が光を反射し、雲を裂く。

 だが恐怖はない。

 その存在は、脅威ではなく、風景だった。

 ――龍。

 美優は、なぜかそれを「懐かしい」と感じた。

 場面が切り替わる。

 時間が、加速する。

 街は高くなり、

 光は速くなり、

 言葉は短くなる。


『効率』

『最適化』

『即応性』


 画面の端に、文字が浮かび、消える。

 誰かの思想。

 誰かの正義。

 人々は忙しくなり、

 立ち止まらなくなり、

 空を見なくなる。

 龍は、まだ空にいる。

 だが、その姿は、少しずつ薄くなっていく。

 誰かが言う。


『非合理だ』

『再現性がない』

『説明できない力は、危険だ』


 龍族は、反論しなかった。

 争いもしなかった。

 ただ、待った。

 言葉が、追いつくのを。

 世界が、呼吸を取り戻すのを。

 だが――

 世界は、止まらなかった。

 速くなる。

 さらに速くなる。

 感情は処理され、

 祈りは装置に変換され、

 「意味」は数値化されていく。

 龍族の言霊は、

 遅すぎた。

 それは即効性がなく、

 成果が測れず、

 使用者の精神を深く要求する。

 “待てる者”にしか、使えない力。

 ある日、会議室のような場所で、

 人間たちは静かに決断する。


『龍族を排除する必要はない』

『ただ、不要になる』

『記録から外そう』

『観測をやめよう』


 誰も剣を振るわない。

 誰も炎を放たない。

 世界が、振り向かなくなっただけだ。

 龍は、消えていく。

 敗北ではない。

 殺戮でもない。

 ただ――

 

──世界が、共存を選ばなくなった──


 最後に残った龍が、空の高みで目を閉じる。

 その瞳に、怒りはない。

 あるのは、静かな理解。

(ああ……速すぎたのだ)

(世界が、言葉を待たなくなった)

 その瞬間、美優は確信する。

 龍族は、負けたのではない。

 選ばれなかったのでもない。

 世界が、彼らを必要としない速度に到達しただけだ。

 場面が崩れる。

 白い空間に戻る。

 そこに、誰かが立っていた。

 長い赤い髪。

 静かな眼差し。

 リナに、よく似た誰かだった。


「……見ちゃったんだね」


 声は、今度は聞こえた。


「これが、あなたの世界で、龍族が消えた理由」


 美優は、胸に手を当てる。

 苦しくはない。

 悲しくもない。

 ただ、重い。


「戦わなかったんだね」

「戦う理由が、なかったから」


 その存在は、空を見上げる。


「精神主義は、時間を必要とする。

 感じて、待って、沈殿させて……

 やっと言葉になる。」


「でも、人間は速くなった。

 というか効率主義になっていった。

 直ぐに結果を求めたり、

 数値化出来ることを重視していった。

 もちろん速さは悪じゃない。

 ただ……相性が、最悪だった」


 美優は、思い出す。

 今の異世界。

 言葉が軽く、

 消費が速く、

 沈黙が許されない場所。

 そして――

 そこに「人間が滅びた理由」。


「……同じこと、起きてるんだ」


 リナは、否定しない。


「ええ。今度は、逆の立場で」

「この世界では、人間が“遅すぎた”」


 美優の中で、点と点がつながる。

 物質主義と精神主義。

 消費と、蓄積。

 速さと、待ち。

 どちらが正しいかじゃない。

 同時に存在できなかっただけだ。


「じゃあ……私は」


 美優が言いかけた、その時。

 その存在は、静かに首を振る。


「あなたは、例外」

「あなたは、両方を知っている」

「分かれてしまう前の“感覚”を」


 夢が、薄れていく。

 現実の気配が戻る。

 目を覚ます直前、美優は最後に問いかける。 


「……じゃあ、今度はどうなるの?」


 リナは、微笑わなかった。


「分からない」

「でもね」


 彼女の声は、確かだった。


「世界が速くなりすぎた時、

 “待てる存在”が一人でも残っていたら……」


 言葉は、そこで途切れた。

 美優は、ベッドの上で目を覚ます。

 朝日が、カーテンの隙間から差し込んでいる。

 胸の奥に、

 説明できない確信が残っていた。

 ――龍族は、滅んだのではない。

 ――人間も、滅んだのではない。

 ただ、

 世界の速度が、二度、間違えただけだ。

 そして今。

 その速度の中に、

 言葉を抱えたまま立つ人間が、

 再び一人、存在している。

 観測装置が、

 これまでにない波形を描き始めていた。

 それは「再臨」でも「破滅」でもない。

 ただ――

 世界が、少しだけ減速する兆しだった。

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