第26話:言葉が軽すぎる世界
この世界では、言葉が毎日、生まれては死んでいた。
ある繁華街のメインストリート。
巨大なスクリーンが、昼夜を問わず光を吐き続ける。
『史上最高!』
『伝説級!』
『二度と見られない奇跡!』
昨日も、同じ言葉を見た気がする。
いや、確実に見た。
だが、誰も気にしない。
言葉は消耗品だ。
新しい刺激の包装紙として使われ、剥がされ、捨てられる。
美優は、移動車の中からその光景を眺めていた。
次の撮影まで、あと三十分。
台本は相変わらず、検閲済みの定型句で埋め尽くされている。
『応援ありがとうございます』
『とても楽しかったです』
『これからも頑張ります』
どれも間違っていない。
どれも、何も残らない。
街角では、新人アイドルが即席ステージに立っていた。
魔族、エルフ、獣人、etc。
種族の違いは、もはや個性ではなく、装飾だ。
「可愛いー!」
「最高ー!」
「尊い!」
観客の声は大きい。
だが、薄い。
次の瞬間、隣のステージにもっと派手な演出が始まれば、
歓声はそちらへ流れていく。
奪い合っているのは、感情ではない。
**注意(アテンション)**だ。
消費される側も、それを分かっている。
分かっているから、叫ぶ。
笑う。
煽る。
言葉を強くしなければ、存在が薄れるから。
美優は、胸の奥に奇妙な静けさを感じていた。
羨ましくも、虚しくもない。
ただ、距離がある。
――私は、あそこにいない。
自分が舞台に立つ時、
ああいう叫びを浴びているはずなのに。
なのに、思い出そうとすると、
歓声ではなく、沈黙が浮かぶ。
息を止めたような空気。
誰も言葉を発さない瞬間。
撮影現場でも、同じだった。
「はい、じゃあ次は“挑発的に”!」
ディレクターの指示は軽い。
何度も使われ、すり減った形容詞。
美優は、何も言わず、ポーズを取る。
視線を落とし、ほんの一拍だけ間を置く。
シャッター音が、遅れる。
スタッフの誰かが、息を呑む音。
「……今の、もう一枚」
理由は説明されない。
説明できないからだ。
撮影が終わっても、美優は疲れていなかった。
体力ではなく、内側が減っていない。
一方で、周囲は確実に消耗している。
刺激を作る側も、
煽る側も、
規制する側も。
夜。
観測者の領域。
窓のない部屋で、複数のモニターが同時に稼働していた。
「消費速度が、また上がっています」
「言語反応指数は?」
「低下しています。強い言葉ほど、持続時間が短い」
観測者たちは、感情を挟まない。
事実だけを積み上げる。
「……やはり、同じだな」
誰かが呟く。
「人間が滅びた時と、全く同じ兆候だ」
別のモニターに、過去の記録が映し出される。
古い都市。
言葉が溢れ、思想が乱立し、価値が爆発的に増殖した時代。
「物質主義が行き着いた先。意味を大量生産し、意味を信じなくなった」
「言葉は世界を定義する。だが、定義が軽くなりすぎた」
観測者の一人が、画面を切り替える。
そこに映っていたのは、美優だった。
特別な演出はない。
派手な言葉もない。
それでも、周囲の数値だけが異常を示している。
「……彼女だけ、消耗していない」
「正確には──」
分析担当が訂正する。
「彼女の周囲だけ、言葉の摩耗が起きていない」
沈黙。
ー
「なぜだ?」
答えは、誰も出さない。
分かってしまえば、
対処しなければならなくなるからだ。
「龍族でもない。魔族でもない。サキュバスでもない」
「だが、人間だ」
その言葉だけが、重く残った。
一方、美優は自室に戻り、
台本を机に置いたまま、窓辺に立っていた。
外では、今日も言葉が消費されている。
でも。
胸の奥にある、
まだ形になっていない何かは、
削られていなかった。
言いたいことはある。
伝えたい気持ちもある。
だが、それを今、
この軽すぎる世界に投げる気にはなれなかった。
(……まだ、言わない)
それは逃避ではない。
沈黙という選択だった。
言葉が軽すぎる世界で、
美優だけが、言葉を抱えたまま立っていた。
観測装置の針が、わずかに揺れる。
その揺れは、
かつて人間と龍族がまだ一つだった世界のときに、観測されていた種類のものだった。
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