第17話 : 写真の力

 それは、よくある月刊誌の発売日だった。

 書店の棚に並ぶ、色とりどりの表紙。

 仕事帰りの魔族、通学途中のルナ族、森から街へ出てきたエルフ。

 誰もが、いつも通りの無意識で、その雑誌を手に取った。

 理由は説明できない。

 ただ、目が止まった。

 表紙の中央にいるのは、人間の女性。

 特別に派手な衣装ではない。露出も控えめだ。

 それなのに、視線を外せない。


「……あれ?」


 最初に異変を感じたのは、書店で立ち読みをしていた若い魔族だった。

 ページをめくった瞬間、胸の奥が、ふっと緩んだ。

 重かった何かが、ほどける。

 理由のない焦燥感が、音もなく消えていく。

 心が穏やかになる感覚を覚えた。

(……なんだ、これ)

 写真の中の美優は、ただ立っているだけだ。

 こちらを見ているようで、見ていない。

 微笑でもなく、無表情でもない、曖昧な顔。

 なのに。

 魔族の青年は、気づかないうちに深く息を吐いていた。

 長く、ゆっくりと。


「……疲れてたのか、俺」


 自分にそう言い聞かせる。

 説明はそれで十分なはずだった。

 別の場所。

 森の外れの集落で、エルフの女性が同じ雑誌を開いていた。

 夜。

 ランプの灯りの下、何気なくページをめくる。

 次の瞬間、彼女の手が止まった。

 視界が、写真に吸い寄せられる。

 美優の立ち姿。そのわずかな重心の置き方。

 風を受ける前の、静止した瞬間。

 胸が、きゅっと締めつけられた。

(……懐かしい)

 理由は分からない。

 記憶を探っても、該当する情景は存在しない。

 それでも、確かに“知っている”感覚があった。

 幼い頃、まだ言葉を覚える前に感じていた、世界との距離。

 エルフの女性は、無意識に背筋を伸ばし、

 写真の美優と同じ姿勢を取っていた。

 しばらくしてから、はっと我に返る。


「……なに、今の」


 苦笑し、雑誌を閉じる。

 だが、その夜、彼女は久しぶりに夢を見た。

 森の中。

 名前もない空間で、誰かが何も言わず、ただそこに立っている夢。

 目覚めたとき、涙が一筋、頬を伝っていた。

 都市部では、別の現象が起きていた。

 雑誌の写真が、次々と切り取られ、SNSに流れていく。

 コメントは、奇妙なほど似通っていた。


『なんかわからないけど、落ち着く』

『今日、久しぶりにちゃんと眠れた』

『見てると、胸の奥が静かになる』


 誰も「すごい」とは言わない。

 誰も「革命的だ」とは叫ばない。

 ただ、共有する。

 説明ではなく、感覚として。

 その夜。

 同じ夢を見る者が、静かに増えていった。

 街角。

 酒場。

 森の奥。

 地下の居住区。

 夢の内容は違う。

 だが、共通点があった。

 ――誰かが、言葉を発さずに、そこにいる。

 目覚めた人々は、不思議と心が軽かった。

 解決した問題は何一つない。

 世界は、何も変わっていない。

 それでも。


「……まあ、いいか」


 そう呟ける自分がいる。

 翌日。

 事務所の編集部では、異様な光景が広がっていた。


「……回収率、異常です」

「え?」

「返品が、ほとんどない。地方も含めて」


 売上は爆発的ではない。

 だが、減らない。

 何度も読み返され、捨てられず、

 本棚でもなく、枕元に置かれる。

「保存……されてる?」

 誰かがそう言ったが、誰も否定できなかった。

 一方、その中心にいる美優は、何も知らない。


「え、夢?」


 控室で、リナにそう聞き返す。

「最近、みんなよく言うよね。変な夢見たって」

「……ミユは?」

「私は……うーん」


 少し考えてから、首を傾げる。


「よく眠れてる、かな。前より」


 それだけだった。

 その言葉に、リナは何も言えなくなる。

 夢を与えている本人が、

 最も深いところに触れていない。

(……これは、まだ“入口”)

 リナはそう直感した。

 写真は、ただの媒体だ。

 写っているのは、能力そのものではない。

 無意識になにかの能力を発動しているのだ。それぎ媒体を通して伝播している。

 その夜。

 世界のどこかで、また一人、同じポーズで立つ者が現れる。

 理由もなく。

 意味も知らず。

 それでも、確かに――

 何かが、静かに、広がり始めていた。

 まだ誰も、その名前を知らないまま。

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