第16話 : 撮影現場の違和感
遺跡エリアでの撮影は、午後に差し掛かっていた。
石柱と蔦、崩れた壁面を背景に、エルフと人間――異なる種族が並び立つ構図は、それだけで十分に絵になる。
「はい、じゃあ次、ミユさん一歩前で。セラフィナさん、少し後ろ、肩越しに」
カメラマンの指示が飛ぶ。
照明が調整され、レフ板が静かに位置を変える。
いつも通りの現場。
いつも通りの撮影。
少なくとも、始まるまではそうだった。
美優は言われた通り、一歩前に出た。
特別な意識はない。ポーズも、事前に決めたものではなかった。
ただ――
その瞬間、彼女は自然と、ほんのわずかに顎を引いた。
視線はカメラではなく、その奥を見るように。
唇は閉じきらず、息を残す。
身体の重心は、意識せずに“落ち着く位置”へと移動していた。
「……」
ファインダーを覗いていたカメラマンが、無言でシャッターを切る。
一枚。
もう一枚。
本来なら、ここで細かい修正指示が飛ぶはずだった。
「目線、もう少し右」
「肩、力抜いて」
「表情、ほんの少しだけ——」
だが、誰も何も言わない。
ただ、シャッター音だけが、一定のリズムで鳴り続けていた。
セラフィナは、背後でその異変に気づいていた。
美優の背中越しに、空気が変わっていくのを、エルフの感覚がはっきりと捉えていた。
(……近い)
距離の話ではない。
“場”が、近いのだ。
森の奥で、精霊が降りてくる直前の、あの感覚。
空気が張りつめ、音が吸われ、世界が一段深くなる感触。
(でも……魔法じゃない)
セラフィナは混乱する。
詠唱もない。魔力の流れも感じない。
それなのに、胸の奥がざわつき、心拍がわずかに速くなる。
「……セラフィナさん、大丈夫ですか?」
アシスタントが小声で声をかけてきた。
彼女は自分が、無意識に息を止めていたことに気づく。
「あ、うん……平気」
そう答えた声が、自分のものとは思えないほど、遠くに聞こえた。
撮影は続く。
「はい、今のまま。動かなくていい」
カメラマンの声が、低く、どこか抑揚を失っている。
「……いい。すごく、いい」
その「いい」は、評価というより、確認に近かった。
美優は何も考えていない。
ただ、そこに立っているだけだ。
なのに。
スタッフの一人が、時計を見て眉をひそめた。
「……もう、こんな時間?」
「え?」
別のスタッフが端末を確認し、首を傾げる。
「おかしいな。体感だと、まだ二、三十分くらいだと思ってた」
実際には、すでに一時間以上が経過していた。
しかし、疲労感はない。
むしろ、頭は冴え、気分は不自然なほど高揚している。
誰も口には出さない。
だが、全員が同じ違和感を共有していた。
――時間が、伸びている。
いや、正確には、忘れさせられている。
シャッター音が止まる。
「……一度、休憩入ろう」
ようやくカメラマンがそう言ったとき、現場にいた全員が、どこか名残惜しそうな表情を浮かべていた。
「ミユさん」
セラフィナが、美優の腕にそっと触れる。
「うん?」
「……疲れてない?」
「え? 全然」
美優は笑った。
「なんか、楽しかった。集中してたのかな」
その言葉に、セラフィナは何も返せなかった。
楽しい。
集中。
確かにそうだろう。
だが、それだけでは説明がつかない。
視線の端で、モニターに表示された撮影データが目に入る。
サムネイルの中の美優は、確かに“いつもの彼女”だった。
なのに、目を離せない。
理由は分からない。
技術的に突出しているわけでもない。
ただ、見てしまう。
(……これが、人間の……?)
セラフィナは、先ほどの雑談を思い出す。
――昔は、“ことば”で空気を変えたらしい。
美優は何も言っていない。
だが、代わりに――
(……在り方、なのかも)
休憩を告げる声で、現場はようやく現実に引き戻される。
美優は何も知らないまま、水を飲み、笑い、次の撮影に備えていた。
その背後で、誰かが小さく呟いた。
「……もう一回、見たいな」
その言葉が、誰に向けたものだったのか。
誰も、確かめようとはしなかった。
ただひとつ確かなのは――
この撮影現場で起きた“違和感”は、
確実に、世界のどこかに記録されてしまったということだけだった。
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