第12話:癒えぬ傷跡、永遠の刹那

 異種族総合TVネットワーク(ITN)が放った「地獄の三連企画」は、大陸全土に空前絶後の衝撃を与えた。あの泥沼の野球拳とお天気キャスター、逆献血。美優の名は、もはや単なる「珍しいクリーチャー」ではなく、見る者の本能を揺さぶる「エロティシズムの権化」として、異世界芸能界の頂点に刻まれようとしていた。

​ そんな狂騒のさなか、美優に舞い込んだのは、かつてのセレーヌさえも辿り着けなかった、超一流ファッション誌『Beyond Vogue』の巻頭グラビアの仕事だった。


​「……ミユ。今日のロケーションは、北の最果てにある『静寂の氷晶宮』だ。これまでのバラエティとは違う。一切の誤魔化しが効かない、静止画(スチール)の真剣勝負になる」


​ ゼノの言葉には、いつになく重みがあった。彼は100年前の悲劇を二度と繰り返さないと誓い、美優のスケジュール管理から衣装の選定まで、そのすべてに神経を研ぎ澄ませていた。

​ 撮影現場は、氷の彫刻のように冷たく、澄み渡った空間だった。

 美優が纏うのは、魔糸で編まれた銀糸のモノキニ。彼女の白い肌を強調しつつ、肢体の曲線をこれ以上なく冷徹に描き出す。


​「いいぞ……。そのまま、右肩を少し下げて。氷の柱に体を預けるように」


​ カメラマンがシャッターを切る。だが、その直後だった。

 背景として置かれていた巨大な魔氷のオブジェが、過酷な照明の熱に耐えきれず、鋭い音を立てて爆ぜたのだ。


​「――っ!?」


​ 逃げる間もなかった。

 飛び散った氷の破片の一つが、美優の右腕を浅く、しかし鋭く切り裂いた。

 白い肌に、鮮烈な「赤」が線を描く。滴り落ちる血が、透明な氷の床を汚していく。


​「美優!!」


​ ゼノが真っ先に駆け寄る。撮影現場は騒然となった。立ち会っていた魔族のスタッフや、ライバルのモデルたちは、その様子を見て口々に嘲笑った。


​「なんだ、やっぱり人間か。あんな小さな傷一つで、もう『商品』としては終わりだな」

「見てろよ。俺たち魔族なら、今の今でも再生が始まる。数秒後には傷跡一つ残らない。だが、あの女……あの『欠陥品』は、あんな傷一つを一生抱えて生きていくんだろ? 滑稽(こっけい)極まりないぜ」


​ 魔族にとって、肉体の損壊は一時的なエラーに過ぎない。超回復を持つ彼らにとって、傷跡が残るということは、生存競争における敗北を意味していた。

​ ゼノは怒りに肩を震わせ、野次を飛ばすスタッフを睨みつけた。だが、止血のために彼女の腕を掴もうとした時、美優が静かにその手を遮った。


​「……待って、ゼノ。拭かないで」


​ 美優は痛みに顔を歪めながらも、流れる血を指先でなぞり、それを自身の頬へと塗りつけた。

 彼女の瞳には、涙が溜まっていた。だが、それは恐怖や痛みによるものではなかった。


​「……あんたたち、さっきから欠陥品だ、滑稽だって……笑わせてくれるわね」


​ 美優は震える声で、しかしはっきりと、周囲を射抜くような視線で言い放った。


​「この傷はね、私が今、ここで本気で生きてる証なの。魔族のあんたたちみたいに、無かったことにできる安い体じゃない。治らないから、消えないから……だからこそ、この瞬間が一番美しいって、どうしてわからないの?」


​ 彼女は涙を流しながら、氷の壁に背を預け、最高のポーズを取った。

 切り傷から滲む血が、銀の衣装に染み込んでいく。痛々しいはずのその傷が、彼女の白すぎる肌の上で、どんな宝石よりも残酷な輝きを放っていた。


​「撮りなさいよ。……この『欠陥品』が、あんたたちの完璧な退屈を、今ここで殺してあげるから」


​ カメラマンの手が止まった。スタジオ中を支配していた嘲笑が、潮が引くように消えていく。

 

 ゼノは、ただ立ち尽くしていた。

 美優が放った言葉が、空気の振動となって、スタジオの隅々まで染み渡っていくのを、肌で感じていた。

 怒りではない。悲しみでもない。

 もっと根源的な――「生きている」という事実そのものが、言葉に乗って叩きつけられた感覚。

 誰かの胸が締め付けられ、誰かは視線を逸らし、誰かは無意識に息を止めた。

 理屈では説明できない。ただ、その場にいた全員が理解していた。

 ――今、この瞬間に立っている彼女の言葉だけが、本物なのだと。

 

 100年前のセレーヌは、完璧であろうとした。自分の美しさが永遠に続くものだと過信し、誰にも傷つけられない場所へ行こうとした。

 だが、目の前のこの女はどうだ。

 自分の脆さを、弱さを、そしていつか朽ち果てる運命をすべて受け入れ、それを「美」として昇華させている。

​(……ああ。俺は、何を勘違いしていたんだ)

​ ゼノの心の中で、何かが音を立てて崩れ去った。

 マネージャーとして彼女を「守る」とは、傷一つつけないように箱に閉じ込めることではない。彼女がその短い命を燃やして放つ、一瞬の閃光を、最期まで見届けることだったのだ。

​ 冷徹なマネージャーとして300年以上生きてきたゼノの瞳が、初めて熱くなった。


​「……最高だ、美優。お前が世界で一番、美しい」


​ シャッター音が、静寂の氷晶宮に鳴り響く。

 その一枚に写っていたのは、負傷によって血を流し、涙を流し、それでもなお気高く微笑む、一人の「人間」の勝利宣言だった。

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