第2話:異世界のとあるゴミ捨て場にて
肺の奥が焼けるように熱い。
意識の浮上と共に最初に感じたのは、地中海の爽やかな潮風ではなく、硫黄と饐(す)えた鉄の臭いが混じり合った、肺を拒絶するような重苦しい大気だった。
「……う、ん……。ここ……海の中、じゃないわね」
美優は、泥濘(ぬかるみ)のような地面に突いた手のひらの感触で目を覚ました。
瞼を持ち上げると、そこには到底日本とは思えない光景が広がっていた。空にはどす黒い紫色の雲が渦巻き、二つの月――一つは不気味な蒼、もう一つは血のような紅――が、歪な双子のように並んで浮かんでいる。
視線を落とせば、そこは「ゴミ捨て場」だった。
ただし、ただのゴミではない。巨大な魔獣の骨、ひしゃげた禍々しい鎧、得体の知れない粘液を放つ植物。そして何よりも絶望的なのは、美優自身の状態だった。
「……最悪。ビキニ、ボロボロじゃない」
崖から転落した際の衝撃か、それとも転送の負荷か。特注のビキニは見る影もなく裂け、かろうじて胸と秘部を覆っている程度だ。自慢の柔肌には擦り傷が走り、泥がこびりついている。だが、彼女の瞳には、死の淵から生還した恐怖よりも、被写体としてのコンディションを崩したことへの憤怒が宿っていた。
「……なんとか撮影場所に戻らないと。」
そこから数十メートル離れた裏勝手口の階段に、一人の男が座り込んでいた。
魔族の男、ゼノ。
元敏腕マネージャー。
現在はその肩書も虚しく、毎日何もせずに安酒を煽るだけの日々。
漆黒の髪に、鋭く後ろへ伸びた二本の角。仕立てのいいスーツを着崩したその姿は、かつてこの世界の芸能界で「原石を光らせることに並外れた才覚を持つマネージャー」と謳われた面影を残していたが、今のその瞳には深い絶望の影が落ちている。
「俺がアイツを殺した。俺も、このゴミと一緒に処分されるのがお似合いか」
ゼノが投げやりな手つきでタバコを咥え、煙を吐き出した、その時だった。
背後のゴミの山から、ガサリ、と場違いに「生命力に満ちた」音が響いた。
「誰だ……? スカベンジャー(死体漁り)なら他を当たれ。ここには金目のもんなんて――」
吐き捨てながら振り返ったゼノの言葉が、喉の奥で凍りついた。
ゴミの山。巨大な竜の頭蓋骨の影から、ゆっくりと「それ」が立ち上がっていた。
ゼノは絶句した。この世界に存在するあらゆる種族の知識を総動員しても、目の前の存在を定義できなかった。
角がない。鱗もない。翼もない。耳も尖っていない。
魔族特有の禍々しい魔力も感じられない。
だが、その肌。泥に汚れ、傷ついているというのに、月の光を浴びて発光しているかのように白い。いや、白いのではない。血の通った温かさを予感させる、生々しいまでの「桃色」を帯びた、吸い付くような質感。
魔族の美女たちの硬質な美とは対極にある、指で押せば容易に沈み込み、そしてゆっくりと反発するであろう、マシュマロのような圧倒的な「肉の弾力」。
突然現れた美優を見たゼノの胸に、言葉では表せない衝撃が走った。
ボロボロの水着姿。泥と擦り傷にまみれ、身体のあちこちが疲労と痛みで震えているはずなのに、その瞳は生き生きとしていた。生命力が、否応なく周囲を照らしているように感じられた。
彼の頭の中で、かつてのマネージャーとしての本能が瞬時に判断を下す。
(この得体のしれない圧倒的オーラはなんだ?)
生半可なアイドルでは到底敵わない、圧倒的な素材。しかも、水着という最小限の衣装は、彼の業界的な直感を刺激した。これならグラビアアイドルとして成功する。いや、前代未聞の形で、必ず人々の目を惹きつけるだろう。
その瞬間、ゼノの心にはかつて抱いていた情熱が蘇った。
倒れかけた自分のプライドも、過去に失った野心も、すべてこの「原石」と共に光を取り戻すための燃料になる。
考えるより先に、口が動いた。
「……お前……名前は?」
突然の問いに、美優は眉をひそめる。泥だらけの体を手で払いつつ、鋭く視線をゼノに向けた。
「……愛沢美優。で、あんたは?」
「……ゼノ。しがない、元・芸能マネージャーだ」
ゼノの視線は、言葉以上に多くを語っていた。
美優という未知の存在を前にして、過去に培った観察力と経験が、次の一手を自ずと示していた。
この世界の芸能界で、再び自分が「影で光らせる者」として立てるかもしれない――その予感が、ゼノの背筋をぞくりと走った。
そして、自然と次の言葉が口をついた。
「……お前、俺と組まないか?」
美優の前に立つゼノの瞳には、絶望の影はもうなかった。
そこにあったのは、再び燃え上がるマネージャーとしての情熱と、未知の素材を扱う興奮。
加工も、魔法の加護もない。ただそこに「存在する」だけで、周囲の絶望を蹂躙する肉体の暴力。そして何か得体のしれない場を支配するような圧倒的な力を感じた。
「ミユ……と言ったか。お前が何者かは知らん。だが、肉体……とてつもないそのオーラ。お前ならあのルシアを超えることが出来るかもしれない。」
「あら、そう。日本でも似たようなもんだったわよ。……で、撮るの? 撮らないの?」
不敵に微笑む美優。その背後で、魔界の二つの月が怪しく、しかし彼女を祝福するかのように強く輝いた。
こうして、絶滅したはずの「最古の種」と、かつて絶望し生きる意味を失っていた「敏腕マネージャー」が、運命のように出会った。世界を揺るがす再デビューの火蓋が切られ、異世界の荒野には、新たな「芸能戦争」の静かな幕が開いたのである。
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