絶滅危惧種の人間、グラビアアイドルになって異世界で天下を取る!
大黒
第1話:未完成の美
「美優ちゃん! もう一段階! 重力を無視するように胸を突き上げて!」
響く声が、地中海の眩しい陽光と潮風に掻き消されかける。その声の主であるカメラマンの額からは、すでに汗が滝のように流れ落ちていた。無理もない。灼熱の太陽が照りつけるこの崖の上で、彼は奇跡の一枚を求めてもう三時間近くもシャッターを切り続けているのだ。しかし、彼の目に宿る狂気にも似た情熱は、愛沢美優という被写体を前にすれば、当然の反応と言えるだろう。
愛沢美優。現代日本が誇るトップグラビアアイドル。
『愛沢美優、この世に降臨せし至宝』
――ファッション誌の表紙を飾った彼女の紹介文は、決して大袈裟な表現ではなかった。均整の取れた肢体。きめ細やかな肌は陽光を吸い込み、蜜を湛えたかのような輝きを放つ。そして何よりも、豊満ながらも重力に逆らうかのような神々しいバストは、まさに天賦の才。だが、真の彼女の魅力は、その完璧な肉体だけではない。どんな過酷なロケーションでも、どんな無理難題なポージングでも、カメラのレンズ越しに最高の自分を表現しきる「プロ根性」こそが、彼女をトップの座へと押し上げた原動力だった。
今、美優が立っているのは、波が荒々しく砕け散る断崖絶壁の、まさしくその縁(へり)。足元は剥き出しの岩肌で、風は容赦なく全身を打ち付ける。一歩間違えれば、数百メートル下の紺碧の海へと真っ逆さまに落ちていくような、背筋が凍るようなロケーションだ。しかし、彼女の表情に恐怖の色はない。あるのはただ、眼前に広がる雄大な景色と、その景色に負けない存在感で収まる己の姿を脳内で完璧にシミュレートする、研ぎ澄まされた集中力だけだった。
「はい! もう一度、肩甲骨を寄せて、胸を張って! そのまま、後ろに体を預けるように!」
スタイリストが震える声で叫ぶ。彼女は、美優が纏う最小限のビキニが潮風の一吹きでその役目を放棄してしまわないか、祈るような心地で凝視していた。
この撮影は、美優の「重力と戦う肉体」をテーマにした、まさに集大成とも言えるものだった。
美優はゆっくりと息を吸い込み、肺の隅々まで空気を満たした。潮の香りが、どこか甘く、そして鉄のような血の匂いを含んで鼻腔をくすぐる。
カメラマンの指示通り、体をさらに反らせる。背中の筋肉がギシリと軋むのが分かった。常人なら悲鳴を上げるような角度だが、彼女の肉体は長年の訓練によって、もはや芸術品の域に達している。
指先まで意識を集中させ、風になびく髪の毛一本一本にまで表情を持たせる。顔はわずかに上を向き、開いた瞳はどこか遠く、水平線の彼方を見据えているようだ。まるで、自らの存在そのものが、この世界の詩であるかのように。
「そう! その目です! もう一段階! さあ、愛沢さん、世界を抱きしめるように!」
カメラマンの声が、興奮で震えている。彼はすでにファインダー越しに、伝説の一枚を捉えているかのような確信に満ちていた。
美優は彼の期待に応えるべく、さらに、さらに深く、体を反らせた。限界を超えたその時、脊髄に走る鋭い痛みが走った。パキン、という、骨が鳴るような乾いた音。それは、美優自身の身体が発したものか、あるいは足元の岩が軋んだ音だったのか。
その瞬間、猛烈な突風が美優の細い身体を吹き飛ばした。
「――っ!」
バランスを崩す。足元が、ぐらり、と揺れた。
まずい。
頭の中に警報が鳴り響く。しかし、プロとして何よりも優先すべきは――。
(今のポーズじゃ、ダメ…! まだ、まだ表現しきれてない…!)
落下していく視界の隅で、カメラマンの青ざめた顔が見えた。スタイリストの悲鳴が、遠いサイレンのように耳に届く。
重力に引きずられ、体は為す術もなく加速していく。全身が、猛烈な速度で眼下の海へと吸い込まれていく感覚。
走馬灯のように、これまでのグラビア人生が脳裏を駆け巡る。初めての撮影。過激なポーズを要求され、恥ずかしさで泣き出したあの日。それでも、ファインダー越しの自分に「最高」の輝きを見つけた瞬間。どんな困難な撮影でも、最後は笑顔でやり遂げてきた日々。
(もっと…もっと、反れたはずなのに…! この角度じゃ、ダメ…! 違う…!)
プロとして、完璧な一枚を残すことこそが、彼女の存在意義だった。このまま終わってたまるか。最後の瞬間まで、最高の自分を表現してみせる。
美優は、落下していく自らの肉体に鞭を打つように、意識の全てを集中させた。
指先を天に向け、全身を弓なりに反らせる。風圧でビキニが引き裂かれ、鍛え上げられた肉体が剥き出しになる。その姿は、まるで天空から舞い降りる女神、あるいは、最期の力を振り絞って歌い上げる歌姫のようだった。
しかし、その優美な姿とは裏腹に、彼女の心中は悔しさでいっぱいだった。
(ああ、くそ……! 最期まで、最高のポーズを決めきれなかった…! この一枚じゃ、私の「写真集」は未完成…っ!)
無念と、悔しさと、そして尽きることのない美への執念を胸に、愛沢美優の意識は、真っ青な地中海の波紋の中に、儚く消え失せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます