第4幕

A

 僕たちは二人でお笑い芸人のライブに行くことになった。田中はとりあえず大学はいいから音声認識の端末を持って漫談を見に行くことに僕を誘った。田中は意外とお笑いが好きでライブにも行ってみたかったが、やはり字幕がないと何を言ってるのかわからないそうだ。


 出囃子が鳴る。傘の上を雨が跳ねるようなリズム。ザーッという打楽器。上に骨がきしむような弦楽器の音が重なる。ひょろひょろした隙間風のような笛。意図せずけり飛ばしてしまった石が思いのほかよく転がり、側溝の水にぽちゃんと落ちるように、カンと一回かねが鳴る。拍手。スモークが左右から吹き出す。蝶ネクタイをした小太りの男が小走りで出てくる。センターマイクの前に立つ。まずむせる。すいません、これやめてくださいと背中の霧を振り払う。会場からやや笑い。スポットライトが男を照らす。男は眉をひそめる。手で目に影を作る。二、三歩後ずさり、こんなに、こんなに眩しくしないで、という。スポットライトは溶けるように消え、暗くなっていた客席の明かりがもとに戻る。


 このあたりで田中が「目に見えるものは書かなくても大丈夫だよ」と書いたメモを渡してよこした。これはかんたんじゃない。ぼくにとって視覚と聴覚というのは当たり前にシンクロしすぎていて、いざ書き始めてみるとなにを文字に起こし、なにを捨てるべきかなんて判断できず、とにかく押し寄せてくる情報を言葉に変えるのでいっぱいいっぱいになってしまった。ぼくは男の話す、耳に入ってくる言葉だけに集中しようとする。田中は「ごめん 自由に書いて」とメモに書いた。漫談が終わり田中は「おもしろかった。ありがとう」とメモ帳に書いた。

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タイピストのミー 阿部2 @abetwo

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