第4話:沈黙の告発者
雨のロンドンは、いつも鉛を溶かしたような色をしている。 窓の外、テムズ川の湿った風が書斎の隙間から入り込み、古びた羊皮紙の匂いと混ざり合う。主人公、エドワード・シンプソンは、手元の古文書から目を上げ、震える指先でスマートフォンの画面をなぞった。
そこに映し出されていたのは、かつての恩師であり、今はベネズエラの僻地で医療活動を続けるカルロスの、悲鳴のようなメッセージだった。
「エドワード、説明がつかない。子供たちの肌が、生きながらにして『金属』に変わっていくんだ」
添えられた写真に、エドワードの心臓は凍りついた。 現地の少年が、虚空を見つめたまま横たわっている。その脚は、土褐色の皮膚を突き破るようにして、鈍く輝く黄金の光沢を放っていた。関節は曲がらず、筋肉は重い鉱物に置き換わり、少年は自らの体の重みに押しつぶされようとしている。
「黄金の病……」
エドワードは呟いた。口の中に、苦い鉄の味が広がった。
数日前、エドワードはロンドン塔の地下深く、厳重に保管された「大英帝国の遺産」である金塊を調査する機会を得た。あの時、金庫室の中で感じた言いようのない圧迫感を、彼は今でも肌で覚えている。
地下室の空気は乾燥し、無機質だった。整然と積み上げられた金塊の山。それは富の象徴というよりは、何か巨大な生き物の「抜け殻」のように見えた。 案内役の役人は「これは文明の礎だ」と誇らしげに語ったが、エドワードは吐き気を覚えた。金塊に近づいた瞬間、耳の奥で、数千人の啜り泣きが重なり合ったような、低い不協和音が響いたからだ。
「あの金塊は、呼吸をしていたんだ……」
エドワードは立ち上がり、書斎を歩き回った。 足元の絨毯が沈み込む感触が、今はひどく心許ない。ベネズエラの少年が踏み締めているはずの、乾いた赤土の熱気と埃の匂いが、記憶の底から立ち上がってくる。
ロンドンの地下で眠る金塊。 ベネズエラで石化していく子供たち。
海を隔てた二つの地点が、エドワードの脳内で一本の、どす黒い線で繋がった。 これは偶然ではない。共鳴だ。 かつて植民地支配の名の下に略奪され、この街に運び込まれた黄金は、単なる物質ではない。それは大地から無理やり引き剥がされた「命の器」だったのだ。
「カルロス、聞こえるか」
エドワードは震える声でボイスメッセージを吹き込んだ。
「その病は、毒物や細菌によるものじゃない。ロンドンにあるんだ。奴ら(金塊)が、奪われた『重み』を取り戻そうとしている。ここにある金が輝きを増すごとに、君たちのそばにある命が吸い上げられているんだ。あの金塊は、海を越えて、遠い故郷の血をすすり続けている……!」
窓の外で雷鳴が轟いた。 雨粒が窓ガラスを叩く音が、まるで何千もの指先が助けを求めて家を叩いているように聞こえる。
「馬鹿げている、と思うだろう?」
エドワードは、自室の鏡に映る自分を見つめた。 顔色は青白く、目は充血している。だが、確信があった。 ロンドンの冷徹な銀行の地下で、金塊が不気味に脈動するたび、ベネズエラの太陽の下で子供たちの指先が硬く、冷たくなっていく。
「富という名の呪いだ」
彼は吐き捨てるように言った。 金塊から漂う、あの甘ったるく、どこか血なまぐさい金属臭。それが今、このロンドンの湿った空気の中に、じわじわと染み出しているのを感じる。 繁栄の裏側で、誰かがその代償を文字通り「体」で払わされている。ロンドンが謳歌する静寂は、ベネズエラの叫びを押し殺した結果の、偽りの静寂だ。
「沈黙の告発者たちは、言葉を持たない。ただ、自らの体を黄金に変えることで、この強欲な街に真実を突きつけているんだ」
エドワードは、机の上に広げた地図を凝視した。 指先で、大西洋をなぞる。 ロンドンからベネズエラへ。奪われたエネルギーが逆流し、呪いとなって降り注ぐ回路が見えるようだった。
「救わなければならない。いや、返さなければならないんだ。彼らから奪ったものを、元の場所に」
彼はコートを掴んだ。 外はさらに激しい雨になっていた。雨水が靴を濡らし、冷たさが足首から這い上がってくる。 だが、その冷たささえ、今はベネズエラの子供たちが感じている、あの「凍りつくような硬化」に比べれば、生ぬるいものに思えた。
彼は暗闇の中へ踏み出した。 ロンドンの街灯が、濡れたアスファルトを黄金色に照らしている。 その光が、今は何よりも忌まわしく、醜悪なものに見えていた。
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