海は内側から満ちてくるーー記録されなかった災厄ーー

SeptArc

第一夜 海は内側から満ちてくる

私は監視を任されていただけの人間だった。

判断する権限は、最初から与えられていない。

罪人たちを収容し、予定通りに彼らを動かし、ただ見張る。

私はこの場の秩序であり、ただの傍観者であった。

これは私がその場で経験した。不吉で不可解な出来事を記録である。


ーー年ーー月十一日火曜日


本日も勤務を終えた。何ひとつ変化のない。いつも通りの日であった。

囚人たちの素行が改善されてきたように感じている。

これも新しい所長の努力の賜物のように感じる。

明日も早い。これにて就寝する。


ーー年ーー月十二日水曜日


本日も異常なし、と記すべきところだが、

誰もいるはずのない懲罰房から異音がするとの報告を受けた。

近場の警備員と協力し原因の特定に励んだが、

努力も虚しく問題の特定には至らなかった。

参考に異音を報告した囚人に話を聞いてみたところ。

女性の泣き声か、鯨の鳴き声に近く感じたという。

確証のない話だと、所長に報告した。


ーー年ーー月十三日木曜日


本日も勤務が終了した。

別の棟から以下の報告を受けたのでここに記す。

「最近素行の良かった囚人Aが、刑務作業中に突然奇声をあげ、

親しい関係を築いていた同部屋の囚人Bに殴りかかった。

囚人Bは首の骨を折り意識不明、医務室にて経過を観察。

囚人Aの身柄は拘束し、事情聴取の後懲罰房に収容する。」とのこと。

あちらの棟は最近新しく囚人が数人収容されていたが、

同時に大人しかった囚人たちの言葉遣いが荒れ始めたらしい。

こちらの棟でも変化がないか、明日は念入りに巡回しようと思う。


ーー年ーー月十四日金曜日


本日の勤務が終了した。土、日曜日は夜間の巡回なので、

昨日までの巡回について警備員と情報を交換した。

彼は本日、朝方の最後の巡回の際に、

彼は懲罰房で囚人Aが死亡しているのを確認したらしい。

聞くと懲罰房の監視カメラが停止し、

異常を確認しに行ったらその時にはもう手遅れだったそうだ。

解剖の結果彼の体内には海水が満たんに入っており、死因は溺死だったとのこと。

だが死体は驚くほど整った姿勢をし、まるで眠りについたかのような表情をしていたという。

話し終えた警備員は酷くやつれた顔をしており、私は声をかけることもできなかった。



ーー年ーー月十五日土曜日


命からがら逃げ延びた。まずはそれだけ書かせて欲しい。 

あの日、夜巡回のために休んでいたが、呼び鈴に叩き起こされた。

普通なら緊急事態のはずだ、だが所内は異様に静まり返っていた。

担当の棟の扉を開けると膝下まで溜まった海水が流れ出てきた。

しかもただの水ではない。溶けたような囚人たちの四肢が濁流となって流れ出てきた。

理解できなかった。

異常事態なんて括りではない。何か理解の及ばないことがそこで起きていた。

怖かった。ただ逃げた。がむしゃらに走った。島から大陸へ向けてかけられた大橋を全力で走った。

その最中、女性の啜り泣きのような、鯨の鳴き声のような、

悲しい音がしていたのを覚えている。


ーー年ーー月二十八日金曜日


私は精神に異常をきたしていると診断され、大きな病院に入院した。

仕事は辞めた。今でもあの悪夢が何度も脳裏に湧き出てくる。


後日、その刑務所からは何も見つからなかったと報道されていた。






「じゃあこの建物を今日はお願いしようかな。私はあっちやるから。」

そう言われて、彼は一瞬だけ返事に詰まった。

示された範囲は広く、端が見えなかった。

清掃員として呼ばれた以上、断る理由はない。

肩を落とし、道具を抱え直して中へ入る。

裏方の仕事だと聞かされていたせいで、彼は必要以上に周囲を警戒していた。

だが、床にこびりついた汚れは想像していたほど酷くはなく、

血の痕も、破損した器具も見当たらない。

拍子抜け、という言葉が頭をよぎる。

それでも、胸の奥の緊張だけは、なぜか解けなかった。

音が、少なすぎた。

些細な物音がするたび、彼の手は一瞬だけ止まった。

それでも、何事もなかったふりをして作業を続けた。

ふと窓から彼女の姿を探すと、中央の広間の長椅子でうたた寝している姿が見えた。

一階を終わらせる頃、彼の腕時計の時針は正午を示していた。

潮風が冷たく感じ始める季節だった。

それでも建物の中では、時間の感覚だけが曖昧だった。

彼は日暮れが近づいていると思い、作業のペースを上げた。

二階の厳重そうな部屋に入った時、二段ベッドがあった。

その上段には、人型を模すように制服が掛けられていた。

制服の袖がかかった机の上に、一冊の手記を見つけた。好奇心に負け開くと、

最初の数ページは剥ぎ取られ、乱雑な殴り書きが目についた。

「ウミニノマレル。」

突如建物全体に金切り声が響き渡った。

彼が聞いたその声は、人のものではなかった。

彼は慌てて飛び出した。

広間への道を走る中、奇声の聞こえる方向がバラバラなことに彼は気づいた。

まるで建物そのものが唸っているようだった。

一階に降りた瞬間、足が重くなった。

水だと気づいたのは、靴の中に冷たさが染みてからだった。

足の自由を奪われながら走った。

転んだ。

水を吸った音だけが耳に残っている。

どうやって外に出たのか、覚えていない。

息を整え橋へと目をやると、廃車にもたれる彼女の姿があった。

「大丈夫か。」

彼が近づくと、彼女は虚な目を向け、音の外れた声でこういった。

「ダイジョウブ。」





「では確認します。なぜ、あの場所にいたのですか。」

取調室にはずっしりと思い空気が満ちていた。

あの廃墟から、お互いのことを全く知らない男女のペアが出てきた。

二人は同じ場所にいたと証言した。

だが、同じものを見てはいなかった。

「あの廃墟を掃除しろーーと日雇いの仕事で任されたんです。ただそれだけしか伝えられてなくてーー。」

交番に駆け込んできた時の青年の衣服はびしょ濡れだったという。

当日の天候は晴れのち曇り。

衣服に塩分反応はなく、海水によるものとは考えにくい。

「あそこでシゴトを任されました。最初はキタナカッタけど、二人でキレイにして帰るところデシタ。」

女性の方は目が虚ろのままどこか曖昧な話をするばかり。

「証言はバラバラ。事件性はないけど、あの子達…。」

裏関係だよね。とは誰も断言しなかった。

唯一残された手がかりは青年が持ち帰ったこの手記。

記されている内容や仕事は紛れもなく警備員のそれだが、どの施設に問い合わせても、

警備員の名前も刑務所の所在も、何ひとつ情報は見つからなかった。


手記は資料として保管された。

再調査の予定はない。


帰り際、取調室の床が、わずかに湿っていることに気づいた者がいた。

だが、その件は報告書には記されていない。


その日から署では、夜な夜な床が濡れ、鯨の声がこだまするという。



この名に連なる物語は、

まだ夜の底に沈んでいる…


ーーーーーーーーーー

あとがき

カクヨムでの第四作目の掲載になります。

今回はホラーテイストに仕上がりました。

「あれはなんだったんだ。」という気持ちを抱いてもらえるよう整えてみました。

どれだけ伸びたかによっては続編も視野に入れております。


これからもどんどん上げていくので、もしよろしければ、

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これからもよろしくお願いいたします。

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