第3話 雨粒と一文の魔法 ☔📚

『文章力を鍛えるには、読むこと。そして、感じたことを書くこと。筋トレみたいなものだよ』


 久遠さんの声が、インカム越しに静かに響いた。

 私はノートパソコンを開き、深呼吸する。

 カーソルが、せわしなく瞬いている。

 ――この白い画面に、いつか自分の物語を形にして、この店の棚に置いてもらえたら。

 その夢を思い出すたび、胸の奥が少しだけ痛む。


「読書感想文を書くのは、時間がある時にやってみるとして――」


 そう言いかけた私に、クロが勢いよく割り込んだ。


「やり方を説明するにゃ!」


『いや、まずはどうして読書感想文が始まったのか、歴史に触れてみよう』


 久遠さんの声が、少しだけ弾んだように聞こえた。


「歴史……?」


 思わず顔を上げる。

 そんなこと、学校で教わった記憶はない。

 けれど、知らない話に触れるのは嫌いじゃない。少し興味が湧いた。


『現在の読書感想文教育は、1955年に始まった“青少年読書感想文全国コンクール”がルーツなんだ』


「そんな昔から?」


『そう。戦後の混乱期に“不良出版物”が問題になってね。子どもを守るために、良書を読ませる道徳教育の一環だった』


 クロが首をかしげるようにライトを点滅させる。


「不良出版物って、悪い本のことにゃ? 今ならネットで何でも見られるにゃ!」


 私は笑いながらも、胸の奥で考える。

 ――確かに、今はスマホひとつで世界中の情報に触れられる。でも、その分、何を信じるか、何を選ぶかが難しい。


『昔は“悪い本を排除して、良い本を読ませる”という発想だった。でも今は、情報が多すぎる時代だからこそ、選ぶ力が必要なんだ』


 私はカフェラテを一口飲み、窓の外に視線を向ける。

 雨粒がガラスを叩く音が、まるで心臓の鼓動みたいに一定のリズムを刻んでいた。

 雨の日は、どうしてこんなに言葉が胸に染みるんだろう。


「じゃあ、読書感想文って、ただの宿題じゃないんですね」


『そう。文章力だけじゃなく、考える力を鍛えるんだ』


 久遠さんの声が、少しだけ優しくなる。

 その響きには、どこか“教えること”に慣れた人の気配があった。

 ――もしかして昔、誰かの原稿を育てていたのだろうか。


『本を読んで感想を書くという一見単純な課題が、字数や書き方指導の不足で、多くの学生にとって苦行になってしまっている。結果として“読書嫌い”を助長しているという批判もある』


 私はうなずく。

 ――確かに、私もそうだった。


『でもね、本来は違う。読書感想文は、社会や文化、価値観の多様さについて考え、自分なりの表現する力を育てる教育手段なんだ』


 少し難しい話だと思った瞬間、クロがしっぽを揺らして補足する。


「つまりにゃ、“読む”って、ただページをめくるだけじゃないにゃ。その本が何を言いたいのか、自分はどう感じたのか――そこに気づく力が育つにゃ」


「気づく力……」


 無意識に復唱した言葉に、クロがすかさず反応する。


「気づけば、書けるにゃ!」


 私は思わず笑ってしまう。

 けれど、胸の奥で何かが静かに動いたのも確かだった。


 雨音と一緒に、言葉の種がゆっくり芽を出すような感覚。

 ――もしかしたら、私にも書けるのかもしれない。


「……私も、書いてみようかな」


「筋トレ開始にゃ! プロテインは不要にゃ!」


 クロの元気な声に、私は笑顔になる。

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