第2話 雨の日のレッスン 📚☔

 私は水瀬紗月、十七歳。高校二年生で、小説家を目指している――なんて言うと、少し背伸びしているように聞こえるかもしれない。

 でも、本当のことだ。

 物語を書く時間が好きで、言葉を紡ぐ瞬間にだけ、自分が自分でいられる気がする。

 それなのに最近は、その「好き」がうまく形にならない。

 ノートパソコンを開いても、カーソルが瞬くだけ。

 頭の中で絡まった言葉は、ほどける前に雨粒みたいに消えてしまう。


 そんな私が雨の日に逃げ込むのが、喫茶「Rainy Pages」だ。

 久遠さんが“本当に読んでほしい”と思った新刊だけが並ぶ、静かで落ち着いた場所。

 雨音とコーヒーの香りに包まれると、胸の奥のざわつきが少しだけ静まる。

 ここに来ると、いつか自分の本もこの棚に並ぶかもしれない――そんな淡い夢を、そっと思い出せる。


 そしてこの店には、ちょっと変わったルールがある。

 ――一つのテーブルにつき、猫ロボを一匹指名できる。


 人気の猫はアプリで事前予約するのが常連の常識。

 私はいつも黒猫型AIロボのクロを指名する。

 声色を変えたり、軽口を叩いたり、時には妙に的確なことを言ったりする、不思議な存在だ。


「紗月ちゃん、ため息検出しましたにゃ」


 クロがテーブルの端でしっぽ型ケーブルを揺らしながら言う。


「小説、進んでないにゃ?」

「……進んでない」


 肩が自然と落ちる。

 書けない自分を責める気持ちが、また胸の奥で重くなる。


 そのとき、クロの蝶ネクタイが小さく光り、落ち着いた声が響いた。


『紗月ちゃん、どうすれば文章が上手くなると思う?』


 久遠さんだ。

 カウンターの向こうから、インカム越しに静かに話しかけてくる。

 元編集者で、今はこの店のマスター。

 直接は多くを語らないけれど、時折こうして、必要な言葉だけを投げてくれる。

 ――まるで、昔どこかで誰かの原稿を育てていた人みたいに。


「……わかりません」

『読むこと。そして、感じたことを書くこと』


 そう言って、一拍置いてから続ける。


『そうだなぁ……読書感想文って知ってる?』


「宿題でやったやつですか? あれ、苦手で……」


 思わず本音が漏れる。

 久遠さんは、少しだけ笑った気配を見せた。


『苦手な人ほど、伸びしろがあるんだよ。読書感想文は、文章力の筋トレだ』


「筋トレなら、プロテインも必要にゃ!」


『クロ……それは違う』


 一人と一匹のやりとりに、私は思わず吹き出す。

 クロは一瞬フリーズしたあと、何事もなかったように瞬きを再開した。


『たしかに多くの人は、読書感想文に苦手意識があるね』


 久遠さんの声が、静かに続く。

 本を読んで、原稿用紙に二、三枚の感想を書く。

 昔からの宿題だけど、今はAIもあるし、どれだけの生徒が本気で書いているかはわからない。


「本を読むのは好きだけど……私も、あれは嫌いです」


 正直に言うと、久遠さんは乾いた笑いを漏らした。


『絵を描くのもそうだけど、十分な指導がないまま“ただ書かせる”だけで終わってしまう学校が多いからね。僕が子どもの頃から、あまり変わっていない』


「結果として『読書嫌い』を招く形になっているにゃ」


 クロが補足するように言う。

 いつの間にか、完全に復帰していた。


『本を読んで、その感想を書く。作者がどうやって気持ちを表現しているか、言葉を“盗む”んだ』


「盗む……?」


『言い方が悪かったかな。上手な人の文章を真似するんだよ』


 私はカフェラテを一口飲み、窓の外に視線を向ける。

 雨粒がガラスを叩く音が、まるで心臓の鼓動みたいに一定のリズムを刻んでいた。


「そうすれば、描けるようになるんですか?」


 少し間があって、久遠さんが言う。


『うん。読んだ本を振り返ると、物語の流れやテーマが自然と見えてくる。そうすると、自分がどこでつまずいているかも分かりやすくなるんだ』


 そこでクロが、得意げにしっぽを揺らす。


「つまりにゃ、読めば読むほど“気づく力”が育つってことにゃ。気づけば、直せるにゃ!」


 思わず笑ってしまう。

 けれど、胸の奥で何かが静かに動いたのも確かだった。

 雨音と一緒に、言葉の種がゆっくり芽を出すような感覚。

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