泥の中の透明な真実
皇帝マルクス・アウレリウスの鋭い眼光が、航の手元にあるステンレス製の水筒に注がれた。太陽の光を反射するその銀色の質感は、この時代のどんな貴金属とも異なっていた。
「毒ではない。これは……『理(ことわり)』によって清められた水です」
航は必死に絞り出したラテン語を繋いだ。周囲の兵士たちが武器を構えたままじりじりと間を詰めてくる。その中に一人、ひときわ冷徹な視線を送る若い男がいた。神官の杖を持つ男、カシウス・ディオン・ラビレヌスである。
「陛下、惑わされてはなりません。その男の手にする器、蛮族の呪術に相違ありません。神々が授けた井戸を毒と呼ぶのは、ローマに対する明らかな冒涜。即刻、処刑すべきです」
十人隊長が剣を引き抜く金属音がした。航の背中に冷たい汗が流れる。ここで理屈を並べても無駄だ。彼は咄嗟に、腰の工具袋からもう一つの道具を取り出した。それは、現場用の強力なLEDハンディライトだった。
「待ってください! 魔術ではないことを証明します」
航はライトのスイッチを入れた。昼間の太陽の下ですら、直視できないほどの強烈な白い光がカシウスの顔を照射する。兵士たちが「太陽を盗んだ!」と叫んで後退った。
「カシウス殿、あなたは目に見えるものしか信じない。なら、これを見てください」
航は水筒の水を一口飲み、無害であることを示した後、透明なプラスチックのコップに井戸の泥水を汲み取った。そして、ライトの光をその泥水の横から当てた。
「光を透かせば分かります。この濁り、浮遊物。これらが体に入れば、腹を壊し、熱を出し、やがて命を奪う病の種になる。私が持ってきた水には、それが一切ない。どちらを民に飲ませるべきか、賢明な陛下ならお分かりのはずだ」
航は続けて、水筒の水を別のコップに注ぎ、同様に光を当てた。濁りのない、透き通った光の筋がそこにはあった。皇帝アウレリウスは、馬車から降り立ち、航の前に歩み寄った。彼は航が差し出したライトを恐れることなく、その光そのものを観察した。
「……お前の言う病の種とは、神の怒りではなく、水の中に住まう実体だと言うのか?」
「そうです。小さすぎて目には見えませんが、確かに存在します。それを防ぐには、祈りよりも火と濾過、そしてこの石灰による消毒が必要です」
カシウスが忌々しげに舌打ちをした。「詭弁だ。目に見えぬ小さな獣など、狂人の妄想に過ぎん」
「では、カシウス殿。賭けをしましょう。私が教える方法でこの井戸を清め、一週間、この周辺の民に飲ませてください。もし一人でも病人が出れば、私の首を差し上げましょう。だが、もし病が消えれば……私の言葉を信じていただきたい」
沈黙が街道を支配した。皇帝は航の目を見つめ、やがて小さく頷いた。「面白い。異邦人よ、お前の名を何と呼ぶ」
「……ワタル。サエキ・ワタルです」
「ワタルか。よし、カシウス。この男の身柄は余が預かる。もし賭けに負ければ、その時はお前の手で処刑するがいい」
航は安堵で膝が崩れそうになるのを堪えた。生き延びるための猶予は、わずか七日間。現代の知識を、この古代の土壌でどう具現化するか。航の戦いが、ここから始まった。
黄昏のローマ、暁の知恵 ro-ne @ro-ne0523
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