第2話『容疑者は、私?』

第2話『容疑者は、私?』


 事件が起きてから、三十分が経過していた。

 私はまだ冷蔵庫の前に立っていた。

 正確には、立たされている、という気分だった。

「……だからさ」

 父が、やや困ったように頭をかきながら言った。

「そういえば、みのり、お前、昨日“朝食べる”って言ってたよな」

 探るような視線を向けてくる。

 嫌な予感がした。

「言ったけど」

 私は短く返した。

「じゃあ」

 父は、いかにも思いついたという顔で続ける。

「お前が寝ぼけて食べたんじゃないのか?」

 一瞬、思考が止まった。

「……は?」

 思わず間の抜けた声が出た。

「いや、ほら。

 朝起きたつもりで、実は半分寝てる状態のまま食べちゃうとかさ」

 父は冗談めかした口調で言う。

 私はゆっくり父を見た。

「私が?」

 信じられない、という気持ちをそのまま乗せて。

「うん」

 父は軽くうなずいた。

「制服着て?いや、それは……でも、遅刻気味だったし……」

 私は眉をひそめ、首をかしげる。

「そのうえで、シュークリーム食べた記憶だけ綺麗に消える?」

 だんだん声に棘が混じっていく。

 父は視線を逸らした。

「あくまで可能性の話だ」

 可能性、という言葉は便利だ。

 証拠がなくても、人を疑える。

「まず前提として」

 私は指を一本立てた。

「私は朝、甘いものを食べない」

「でも昨日は楽しみにしてたって――」

「楽しみに“してただけ”。

 みんなを信用してないから、私が食べるって意思表示しただけでしょ」

 自分でもよく覚えている事実を突きつける。

 父は腕を組み直し、少し考える素振りを見せた。

「……でもなあ」

 そこで、父はぽつりと言った。

「前にも、似たようなことあったよな」

 私は眉をひそめる。

「なにが?」

 語気が自然と強くなる。

「ほら。プリン」

 空気が、一段階重くなった。

「あっ」

 ひよりが、私を見て小さく声を上げる。

「思い出した!」

 思い出さなくてよかった。

 数か月前。

 冷蔵庫から消えたプリン事件。

 犯人不明。

 そして、なぜか私が疑われたまま、自然消滅した案件。

「でもあれは――」

 私は反論しかける。

「あれも、結局わからずじまいだったしなぁ」

 父は、妙に得意そうだった。

「つまりだな」

 父は、私を見る。

「お前は、前科がある」

 決めつけるような言い方だった。

「前科じゃない!」

 私は声を上げた。

「あれはそもそも、誰のプリンか決まってなかったし!」

 机を叩きたいのを我慢する。

「でも覚えてないって言ってた」

 父は淡々と指摘する。

「それは……!」

 言い返そうとして、言葉に詰まる。

 確かに、あの時も私は

「食べてない」

「知らない」

と繰り返していた。

 ひよりが、不安そうに私を見上げる。

「お姉ちゃん……シュークリーム、ほんとに食べてないの?」

 疑っているというより、確認する目。

 それが、妙に胸に刺さった。

「食べてないよ」

 私は即答した。

「絶対?」

 ひよりが念押しする。

「絶対」

 間髪入れずに返す。

「夢じゃなくて?」

 まだ疑っている。

「夢じゃない!」

 私の思わず声が大きくなる。

 テーブルの下で、しらたまがにゃあと鳴いた。

 落ち着け、と言われている気がした。

 父はソファから立ち上がり、腕を組んだ。

「よし」

 嫌な予感しかしない。

「じゃあ、家族会議だな」

 妙に張り切った声で言う。

「……は?」

 私は素で聞き返した。

「こういう時は、ちゃんと話し合うのが一番だ」

 なぜそんな結論になるのかは不明だったが、

 私たちはなぜかリビングのテーブルを囲むことになった。

 母不在の家族会議。

 議題は一つ。

 ――シュークリームはどこへ行ったのか。

「まず、俺は食べてない。夜中に水飲んだだけ」

 父が言う。

「怪しい」

 私は即座に返す。

「次、ひより」

 私は妹を見る。

「えっ?」

 ひよりが目を丸くする。

「正直に言って」

「食べてない!……たぶん?」

 自信なさげに首を傾げた。

「……何でたぶんなの!」

 思わずツッコむ。

 証言は安定しない。

「しらたまは?」

 私は猫を見る。

「にゃあ」

 しらたまは無責任に鳴いた。

「……却下」

 議論は、まったく前に進まなかった。

 父は言う。

「みのりが朝食べた説」

 私は言う。

「父が夜中に食べた説」

 ひよりは言う。

「しらたま説」

 しらたまは、テーブルの下で丸くなった。

 私は、ふと冷蔵庫の方を見た。

 扉は閉まっている。

 中は、さっきと同じはずだ。

 ……なのに。

 なぜか、引っかかる。

 説明できない違和感だけが、胸に残る。

 その時だった。

「あ」

 父が、思い出したように声を上げた。

「そういえばさ」

 全員の視線が、父に集まる。

「今日の朝だったかな。

 母さん、冷蔵庫の前に立ってた気がする」

「……え?」

 私は体を起こした。

「はっきり覚えてるわけじゃないんだけど」

 父は頭をかきながら言う。

「シュークリームの容器、触ってたような……触ってなかったような……」

 曖昧。

 あまりにも曖昧だ。

 けれど。

「お母さんが?」

 ひよりが、ぽかんと口を開ける。

「ママが食べたの?」

「いや、食べたとは言ってないだろ」

 父は慌てて言い添えた。

「でも触ってたんでしょ?」

 私は食い下がる。

「……かもしれない」

 私は黙った。

 母は、今日一日、私たちのいない時間に家にいた可能性がある。

 食材管理担当。

 冷蔵庫の主。

(まさか)

 そんなはずはない。

 母が、黙って私のシュークリームを食べるなんて。

 でも。

 父でもなく。

 ひよりでもなく。

 しらたまでもなく。

 そして、私でもないとしたら。

 残るのは。

「……お母さん?」

 私が呟くと、部屋の空気が一瞬、止まった。

 誰も、すぐには否定しなかった。

 しらたまが、にゃあと小さく鳴いた。

 それが、妙に意味ありげに聞こえた。

 その時。

 玄関の方から、鍵の回る音がした。

「ただいまー」

 母の声。

 私は息を呑んだ。

 犯人不明だったはずの事件は、

 思いもよらない方向へ転がり始めていた。

 ――まさか、母が。

 そんな疑念を胸に抱いたまま、

 私は玄関の方を見つめた。

 長嶋家・シュークリーム消失事件は、

 まだ、終わっていなかった。

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