第1話 てるてる坊主&お尻のムズムズ


​ 天気予報は、間違いなく「快晴」を告げていた。

 雲ひとつない青空。絶好の洗濯日和。


 それなのに、俺……松平拳次まつだいらけんじの頭上半径三メートルだけ、土砂降りの雨が降っているのはどういうわけだろうか。


​「……ねえケン。あんた、呪いの儀式でもしてるの?」


​ 隣を歩く幼馴染み、千香子ちかこが、汚いものを見るような目で俺を見た。

 彼女は傘もささずに、俺の雨の境界線の外側を軽快に歩いている。

 対する俺は、ビニール傘を激しく叩く雨音と、大量の「白い生首」に囲まれていた。


​「呪いじゃない! 祈りだ! 見ろよこの『てるてる坊主軍団』を!」


​ 俺は傘のと通学カバンをジャラジャラと揺らしてみせた。

 そこには、ティッシュと輪ゴムで作った即席のてるてる坊主が、大小合わせて二十個ほどぶら下がっている。

 まるで、てるてる坊主の屋台売りだ。


​「笑い事じゃないんだよ、チャコ。

これでもう三日目だぞ !

学校に行けば『妖怪アメフラシ』って呼ばれるし、昨日の体育なんて、俺がグラウンドに出た瞬間に豪雨で中止になったんだぞ! 

クラスの男子からの視線が痛いんだよ!」


「まあ、伝説っぽくていいじゃない。

あんたのお祖父ちゃんが言ってた『徳川家康の生まれ変わり』説、あながち嘘じゃないかもよ? ほら、水も滴るイイ男って言うし」


「滴りすぎだろ! それに家康公は戦国の覇者であって、雨男じゃない!」


​ 俺は濡れたてるてる坊主の水気を切りながら、深いため息をついた。


 必死に晴れを願って作ったのに、坊主たちは水分を吸って重くなり、まるで絞首刑のようにダラリと垂れ下がっている。逆効果だったかもしれない。


​ それに、悩みは天気だけじゃない。


 ここ数日、体の調子がすこぶる悪いのだ。

 具体的にお尻のあたりが猛烈にムズムズする。まるで尾てい骨が急成長しているような奇妙な痒みだ。


 さらに深刻なのは、下半身の違和感だ。

 制服のズボンの股間部分が、妙に窮屈なのだ。別に変なことを考えて興奮しているわけではない。ただ物理的に、何かが「重い」。


 歩くたびに、振り子のような重量感を感じる。

 成長痛の一種だろうか。だとしても、成長する場所が限定的すぎる気がする。


​「……ねえ、ケン。なんか今日、ガニ股じゃない?」


「うっ、気のせいだろ。ほら、雨で足元が滑るから踏ん張ってるんだよ」


​ 鋭いチャコの指摘を誤魔化しながら、俺たちは通学路の神社脇を通り過ぎようとした。


​ その時だ。


 ザアァァァッ――!


 俺の頭上だけだった雨が、急激に勢いを増し、周囲一帯を飲み込んだ。

 いや、ただの雨じゃない。視界が真っ白になるほどの濃霧が立ち込め、昼間だというのに薄暗くなる。

 傘にぶら下げたてるてる坊主たちが、突風で千切れ飛び、闇の彼方へ消えていった。


​「ああっ!? 俺の精鋭たちが!」


「ケン、そんなこと言ってる場合!? 

何これ、天気雨!?」


​ 傘なんて役に立たないほどの豪雨。

 だが不思議なことに、雨音以外の音が消えていた。

車の走行音も、遠くの工事の音も、何も聞こえない。

 静寂の中で、チリン、チリン、と鈴の音だけが響いてくる。


​ 霧の向こうから、ゆらりと黄金色の光が現れた。


 それは提灯の明かりだった。


 狐の面をつけたかみしも姿の男たちが、厳かに列をなして歩いてくる。

 その後ろには、白無垢姿の花嫁。


​「……狐の……嫁入り?」


​ チャコがぽつりと呟く。

 俺の記憶の扉が開く。小学三年生の時、やはりこんな天気雨の日に見てしまった光景。あの時、俺を助けてくれた小さな狐。


 白無垢の少女が、俺の前で足を止めた。

 綿帽子をそっと上げると、そこには人間離れした美貌と、金色の瞳があった。


​「見つけたぞ。我がおっとよ」


​ 鈴を転がすような涼やかな声。

 彼女は懐かしそうに目を細め、俺の顔を覗き込んだ。


​「約束の十五歳まであと三日……待ちきれずに迎えに来てしまった。さあ、共に参ろう。彼岸(あちら)へ」


「は……?」


「ちょっと待ってよ!」


​ 俺が言葉を失っていると、チャコがズイと前に割り込んだ。

 彼女は雨に濡れるのも構わず、白無垢の少女を睨みつける。


​「どこの誰だか知らないけど、いきなり何よ! ケンは明日、私と期末テストの勉強をする約束があるの! 連れて行くなんて許さないわよ!」


「……ほう?」


​ 白無垢の少女……永久とわは、不愉快そうに眉をひそめた。

 彼女がパチンと指を鳴らす。

 瞬間、周囲の提灯が一斉に燃え上がり、青白い狐火きつねびへと変わった。


 行列を作っていた狐面の男たちが、音もなく俺たちを取り囲む。その手には、抜き身の刀や槍が握られていた。


​「人間風情が、あやかしの儀式に口を挟むでない。……力づくでも連れて行くぞ」


​ 殺気が肌を刺す。


 本物だ。これは夢や幻覚じゃない。


 俺はチャコの肩を引き寄せ、後ずさった。

 恐怖で心臓が早鐘を打つ。

 だが、それ以上に……


​ ドクン、ドクン。


 俺の股間の奥底で、何かが熱く脈打ち始めていた。


 ズボンの生地が、限界に近い悲鳴を上げ始めていることに、俺はまだ気づいていなかった。



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