〖お題フェス「天気」〗狐の嫁入り、タヌキの初恋、俺のフグリ

月影 流詩亜

第0話 金色の雨、小さな約束


​ 空は晴れているのに、雨が降っている。

 人間たちはそれを「狐の嫁入り」と呼び、忌むべき怪異として恐れるという。

 けれど、わらわたち「あやかし」にとって、それは世界と世界の境界が曖昧になる、美しくも厳かな宴の時間だった。


​ ……ああ、退屈だ。

​ 妾は、行列の中ほどを歩きながら、そっと欠伸あくびを噛み殺した。

 当時の私はまだ幼く、尻尾も一本だけ。それでも由緒ある妖狐の家の娘として、一族の婚礼の儀列に加わることを義務付けられていた。

 鬱蒼うっそうとした杉林の中、提灯の明かりだけが頼りだ。


 チリン、チリン。


 鈴の音が、霧の立ち込める森に吸い込まれていく。


​『……おい、人間の臭いがするぞ』


​ 先頭を歩いていた黒狐が、鼻をヒクつかせて立ち止まった。


 行列に緊張が走る。


 天気雨の日に、不用意に外を覗いた人間がいれば、それは我々の領域に足を踏み入れたも同然。掟に従い、魂を抜くか、狐へと変えるしかない。


​『あそこだ! 杉の木の陰!』


​ 黒狐たちが殺気立って駆け出す。

 私は好奇心に駆られ、彼らの後を追った。

 そこにいたのは、ランドセルを背負った、小さな人間の雄(おとこ)の子だった。


 年の頃は、私(人間換算で八歳)と同じくらいだろうか。

 彼は、大人たちのような恐怖の表情を浮かべてはいなかった。

ただ、ポカンと口を開け、金色の瞳をした私たちを見つめていた。


​『見られたからには生かしてはおけん』


『食ろうてしまおう』


​ 黒狐たちが鋭い爪を立て、少年に飛びかかろうとする。

 少年は逃げようともせず、ただ立ち尽くしている。


 ……馬鹿な子。


 そう思った瞬間、私は無意識に声を上げていた。

​「待て」


​ 妾は少年の前に滑り込み、黒狐たちを制した。


​『永久とわ様? 何故止められますか』


「……この者は、私が最初に見つけた。私の獲物だ」


​ 私は精一杯の威厳を込めて嘘をついた。


 黒狐たちは不満げに鼻を鳴らしたが、本家の娘である私には逆らえず、渋々行列へと戻っていった。


​ 静寂が戻る。


 雨音だけが、サァサァと優しく響いていた。

 私は振り返り、少年を見上げた。

 黒髪に、少しタレ目の、間の抜けた顔立ち。

けれど、不思議なことに、彼からは人間特有のがしなかった。

 それどころか、どことなく懐かしいような、森の土や落ち葉のような……暖かくて安心する匂いが漂ってくるのだ。


​「お前、名は?」


「……ケンジ。松平拳次」


「ケンジか。……お前、怖くはないのか?」


​ 妾が尋ねると、彼はフルフルと首を横に振った。そして、ポケットをごそごそと探ると、何かを差し出した。

 それは、青いビー玉だった。

 雨に濡れて、まるで小さな宝石のように輝いている。


​「これ、あげる。だから、いじめないで」


​ 彼は震える声でそう言った。命乞いにしては、あまりにも安っぽい貢物だ。


 けれど、私は思わず吹き出してしまった。

 あやかしの姫である私に、ガラス玉一つで許しを請うなんて……なんて愚かで、愛らしい生き物なのだろう。

​ 妾はビー玉を受け取り、光にかざした。

 その瞬間、私の中で何かが決まった。

 この暖かくて不思議な少年を、ただ逃がすのは惜しい。

 ずっと側に置いて、この匂いに包まれていたいと思ってしまったのだ。


​「……助けてやる。その代わり、契約だ」


​ 妾は彼の小指を取り、自分の小指を絡めた。

 彼はキョトンとしている。


​「お前が大人になったら……十五になったら、妾の婿になれ」


「ムコ……?」


「そうだ。妾がお前を迎えに行く。それまでは、誰にも渡さん」


​ 意味もわかっていないだろう彼は、「うん、わかった」と無邪気に頷いた。


 指切りげんまん。


 それは、あやかしの世界において、魂を縛る最強の呪術(契約)。


​「行け。振り返るなよ」


​ 妾が背中を押すと、彼はトテトテと走り去っていった。

 一度だけ振り返り、大きく手を振って。

 その背中が見えなくなるまで、私はずっと彼を見送っていた。

​ 雨が上がり、雲間から夕日が差す。

 妾の手の中には、彼がくれた青いビー玉が残されていた。


​(早く大きくなれ、ケンジ。……妾の、愛しい獲物)


​ あの時の妾は知らなかったのだ。


 彼から感じた「安心する匂い」が、宿敵である…………の血によるものだということを。

 そして、再会した彼が、妾の想像を遥かに超える「大物」に育っているということを。


​ これは、妖狐の妾が、…………の彼に恋をした、始まりの物語。



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