13
腹ごしらえと水分補給を済ませ、軽く風呂で汗を流すと、一同は泥のように眠った。
ベッドの配置は左端から、ユウイチ、ひとつ空けて、今槻、スズ、となっている。
ベッドの右端二つを空けているのは、本当は一緒に寝るはずだった立川と幽切への弔い……というわけではなく、単にトイレが近い場所だから、というだけの理由だった。夜中にトイレに行くときの物音は、意外に睡眠妨害になるものである。
さておき。
深い眠りから覚めると、一同の疲れはだいぶ和らいでいたようだった。
時計がないので正確な時刻はわからないが、スズ曰く。
「私、何時に寝ても、朝七時には絶対起きちゃうんです」
とのことだから、メンバーは相当健康的な起床を果たしたらしい。
そんな中。スズたちが一番気がかりだったのは、ユウイチの独裁政治復活だ。
昨日、と言っていいのかわからないが……とにかく昨日、三浜ユウイチは心身共に疲弊し、さらに、死んでいた事実を思い出したことで、かなりナーバスになっていた。
睡眠によってその繊細さがリセットされ、あの傲慢なユウイチが戻ってくるとなれば、今度はスズたちがナーバスになる番である。
が。それは杞憂に終わった。
「ゴメン、鳴皆さん。そこの水取ってくれる?」
朝食時からずっと、ユウイチの態度は、極めて温厚であり続けたのだ。
寝ぼけているかとも思われたが、体感にして数時間経ったあとでも、傲慢な素振りは見られない。無神経な部分は残っているが、ヘイトが溜まるほどのものでもない。
どころか、あれだけ虐げていた今槻と、仲良く談笑する場面すらあった。
「死んでいたっていう事実が、怒りっぽいユウイチくんを殺してくれたのかも」
そんな風に、今槻は嬉しそうに語る。
身体を重ねたことで情でも移ったのか。今槻が復讐の鬼と化し、ユウイチに逆襲するようなことはなかった。鉄骨から落とされそうになってコレなのだから、失礼な話、今槻も大概なのかもしれない。
まあなんであれ、今槻への扱いが改善されたのは喜ばしいことだ。これなら過剰な敬語や、よそよそしい態度も、いずれ緩和されていくことだろう。
だが。それはつまり、昨日のユウイチの保身的な発言すべてが、心からの本音だったということを意味する。
本気で脱出する気がないのだ、ユウイチは。
カースト制度など関係ない、トップである必要もない、と。
死んでしまった過去の自分を捨て去り、新しい人生の第一歩として、この一室をまさしく、理想郷に仕立て上げようとしている。
そのことに異を唱えたのは、もちろん鳴皆スズ。
が。昨日同様、脱出に尽力すべきだと説いても、厄介なトークスキルで躱されるばかり。
ならば、とスズは各フロアで入手したヒントを数式に当てはめ、この部屋がゴールではないことを必死にアピールした。
「いいですか? 三浜さん。第一フロアが『①=D』。第二フロアが『②=B』と『③=A』。第三フロアが『④=T』。第四フロアが『⑤=S』と『⑥=C』……これらのヒントを、鉄扉の数式に当てはめると」
『①E③④H + ③②③④E = E⑤⑥③PE』
こうだったものが。
『DEATH + ABATE = ESCAPE』
こうなる。
「DEATH《デス》は『死』で、ABATE《アベイト》は『弱める、排除する』。ESCAPE《エスケープ》は『脱出』を意味します――つまり、『死』を『排除する』ことで、私たちは『脱出』できる、と示唆しているんですよ」
「死を排除するって……具体的にはどうすんの? 鳴皆さん」
「いえ、そこはもう私たちは突破しています。この数式が示す『死』は、各フロアのトラップを指しているんです。それらを突破……『排除』していくことで、『脱出』に至るのではと」
「いや、それだったら、もうココが脱出先ってことになるじゃん」
「ですからこの部屋は、あくまで数式を解くための場であってゴールではないんですよ。そもそも、数式が記されていたのは第一フロアの鉄扉なんですから。ココが本当のゴールなんだとすれば、数式はこの部屋にこそ記されているべきです」
「ふーん……じゃあ、その鉄扉に入力する数字は、もうわかったの? アルファベットのままじゃあ入力はできないでしょ? たしか、数字六桁だっけ?」
「い、いえ。それは、まだ……」
「ダメじゃーん。鳴皆さん、ダメじゃーん」
「で、でもっ! この部屋がゴールじゃないことは、わかってもらえましたよね?」
「うん、わかったわかった。じゃあまずは、その数式を解いてみせてよ」
「解いてみせて、って……三浜さんは、協力してくれないんですか?」
「そりゃそうだよ。昨日も言ったけど、解いても脱出できるとは限らないんだし。無駄なことする暇があったら、俺はこの安全を謳歌するね――まあ? もし解けたとしたら とりあえずまた教えてよ。納得のいく答えだったら鉄扉のほうに向かってあげてもいいし」
「……じゃあ、すみません、一応ブレスレットの番号を教えてもらってもいいですか? もしかしたらその番号、数式に関係しているかもしれないので」
「いくらでも。えっと、俺のが『2045,00119877』、サトミさんのが……ちょい見せて?うん、『2045,00119881』だね」
「はい、ありがとうございます」
「いえいえ。んじゃまあ、いまは様子見で、この安全な現状を大事にしていきましょー」
とまあ、さんざっぱら煽られてしまう始末。
なによりスズが堪えたのは、今槻がユウイチの味方についたことだった。
「あのね? スズちゃん。スズちゃんの意見を、否定するわけじゃないんだけど……ユウイチくんの言うように、いまは様子見でもいいんじゃないでしょうか? あたしたちは頑張った。きっとこの部屋は、そんなあたしたちへのご褒美なんですよ」
その、甘ったるくも無計画な……ユウイチにそっくりな意見を耳にし、スズは下唇を噛み、弾けるようにして机に向かった。
なんでもいい。
なにか、答えに繋がるなにかを。
スズは、数式を血眼になって見つめる。
この中で『生きている』のは、少女だけだった。
□
休憩ルームに来て、二回目の夜。
ユウイチと今槻にとっては良い意味で、スズにとっては悪い意味で何事もなく一日が過ぎると、一同は静かに床に就いた。
そうして――一時間ほどした頃だろうか。
脳が本格的な眠りに入り始めたそのとき、ギシ、とベッドが軋んだ。
豆電球だけが灯されている薄暗闇の中。なんだ? と視線を左にやると、区切ったカーテンを開け、半裸状態になった今槻が迫ってきていた。
その表情はひどく妖艶。
頬は上気し、目はトロンと蕩けきっている。
そういった経験がない者からしても、発情しているのは目に見えて明らかだった。
自然と鼓動が高鳴る。ギシ、ギシ、と音を立てて近付いてくる今槻。
ついには、寝ているコチラに跨って、今槻が顔を覗きこんできた。
鼻をくすぐる石鹸の香り。真上から見下ろされるようにして、今槻とバッチリ目が合う。
ベッドには、空気だけが横たわっていた。
「……あ、あれ? あたし、間違えて――」
「今槻さん」
と。
開けられたカーテンの奥から、そんな小声と共にタイミングよくスズが現れた。
今槻は驚きに目を見開き、慌ててはだけた検査着を着なおすと、「あ、あははは」と空笑いしつつ、ベッドからゆっくりと降りる。
「あ、あのですね? スズちゃん。これは、ちょっとした間違いで……」
「いいから、自分のベッドに戻ってください」
「お、怒ってます?」
「怒ってないです」
明らかに怒気を含んだ声音で、ニッコリと笑ってみせるスズ。
かなり怒ってる。怖い。
彼女もそう感じたのだろう。今槻は顔を引きつらせたまま、「ち、ちょっとお花を摘みに」と古めかしい言葉を残し、トイレに逃げ込んだのだった。
今槻から求める辺り、本当にユウイチに情でも移ったのだろうか?
その辺の真意は定かではないが……ともあれ、用のなくなった少女も、自分のベッドに戻るのかと思われたのだが、スズは、おもむろに空気に手を差し伸べて。
「すこし付き合ってくれる?」
真剣な表情でそう、口にしたのだった。
もう怒っているようには見えないが、なんか、やっぱり怖かった。
「ここら辺でいいかな」
一人つぶやいて、砂利上に腰を下ろすスズ。
発情犬を追い払った後、スズは休憩ルームを出、第四フロアの外周壁部分にまで来ていた。
視界の端には、正面衝突の形で停止している二両の黒電車。動かないとはわかっていても、あまりいいロケーションとは言えない。
聴き慣れた空洞音が響く中。スズが、持ち出してきた数式とヒントの紙を手に切り出した。
「それで、どう思う?」
第二フロアを脱する前と同じ、存在しない空気への問いかけ。
ユウイチへの不満が募り募って、本当に気でも違えてしまったのだろうか?
ここまでくると、物好きも度を超えている。
いや、あるいは、自分の中に架空の人物を作り上げ、誰かと話しているように振る舞うことで……会話のキャッチボールをすることで、これまでの情報を整理しようとしているのかもしれない。
それならばまだ、納得がいく言動ではある。
まあ。
どうしても、傍からは危ない人間に見えてしまうのは、仕方ないけれど。
「ヒントも全部集めて、アルファベットも当てはめて、数式の意図も読み取った。手前味噌になるけど、死を排除して脱出しろ、っていう犯人のメッセージは、概ね間違ってないと思う。でも、それはまだ始まりに過ぎなくて、本当の『問題』は、このアルファベットの数式の中にある……ねえ。六桁の数字は、本当にこの数式の中に隠れてるのかな?」
数式を見つめながら、独り言のようにスズはつぶやく。
なるほど。やはり情報の整理と、一日中数式と睨み合ったガス抜きをするために、少女はココに来たのか。
屋上でグチるOLのようである。
閑話休題。
「いくら考えてもわからないんだ。こんな形の数式は見たことない。メンバー全員が名門大学出身とかならまだしも、私たちはそうじゃない。ということは、コレが私たち一般人でも解読できるレベルの問題であることは間違いないの。解かれない問題は問題じゃないんだから……絶対にわかる、わかるはずなんだけど、わからないの」
体育座りの姿勢で、身体を丸めるように両膝をぎゅっ、と抱くスズ。
悔しそうに、口惜しそうに。
「もしかして、三浜さんの言う通り、あの部屋は数式が解けなかったときのために用意されていた、第二のゴールなのかな? この数式を解いても、脱出することはできないのかな? 仮に解いたとしても、答えを入力した瞬間、また別のトラップが動き出しちゃうのかな? 私の……私のしていることは、全部無駄なのかな……」
負の思考はブレーキを知らない。
悩み、落ち込み。今までの気概を失ったかのように、スズの背中がみるみるしぼんでいく。
このままではいけない。鳴皆スズは希望だ。
ココから脱出できるかどうかは、少女の意志が要となる。
生き残ろうとする、強い意志が。
〝――第四フロアは、別の目的で作られていた――〟
そのとき。
唐突に、スズの右手の平を、空気がなでた。
意思を持たないはずの空気が、焦るようにして少女の手を取り、ある言葉を綴る。
「え……な、なに?」
突然の感触に、スズは困惑顔で空気を見やる。
言葉を綴っていることに気付いていないのか。スズは首をかしげてばかり。そのたびに空気は何度も何度も、同じ言葉を繰り返し綴った。
伝えなければいけないことだった。
生き残ろうとする強い意志。
そうだ、それがすべての『鍵』となっていたのだ。
鉄扉の数式は、アルファベットを当てはめた時点で、もうとっくに解き終えている。
見覚えがあるのだから、解くのは容易い。
無論、一般人にも解ける問題だ。しかし、大多数の人間は『ソレ』の存在を知らない。名門大学を出ていようがいまいが、『ソレ』の存在を知らないことには始まらない。
そして――解かれない問題は、問題じゃない。
犯人はたしかに、その信条を貫いていた。
『ソレ』の存在に気付くためのヒントが、あの部屋に転がっているのだ。
あとは、空気に変わり、スズが謎解きの材料を見つけるだけ。
ここには、なにもない。
誰でもない、鳴皆スズが謎を解くしかない。
換気口から流れ込む外気が、少女の黒髪を揺らした。
「『本を見ろ?』」
次の更新予定
レール&ラン 秋原タク @AkiTaku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。レール&ランの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます