11

 数分後。上昇してきていた地面が激しい振動と共にレールと合体し、第三フロアに見慣れた地下鉄風景が取り戻された。

 ふと見れば、向かい合う二つの扉の直線上、レールの狭間にある枕木に、『④=T』と記載された鉄プレート。


 新しいヒントだ――しかし、書き残そうにも、メモ帳代わりの検査着はあるが、やはりペン代わりになるものがない。

 おもむろに右手首に巻いてた布を解き、右拳を砂利向けて振りかぶるスズ。立川ゲンゴロウよろしく、拳の血で書こうとする気だ。

 すると。そんな少女を、寸でのところでユウイチが止めた。


「やめてやめて。俺、スプラッタなのって苦手なんだよ。ひとつぐらいなら覚えていられるでしょ? 書くなら、ヒントが全部出終わってかにしようよ」

 

 スズを気遣っているようでその実、危機感の欠片もない提案。

 しかしまあ、残るヒントはおそらく二つ。ユウイチの言うことも一理あるかと、スズは素直に拳を引っ込めたのだった。


 そうして。

 一同が緑扉を抜けると、通路を進んだ先には紫色の扉が見えた。


 さっさと進みたいところだが、ここまでおよそ八時間、緊張の連続にさらされてきた一同の疲労は、すでに限界を超えようとしていた。

 特に、スズと今槻の精神的疲労は計り知れないだろう。なにせ、不安の塊のようなユウイチがリーダーになってしまったのだから。


「次に行く前に、ここですこし仮眠でも取ろうか。さすがに俺も疲れちゃった」


 言うが早いか通路の地面上に座り、壁にもたれかかるユウイチ。

 疲労困憊なのは女性陣も同じ。ユウイチに倣って腰を下ろしかけて、しかし、今槻がハッと思い出したように天井を見上げて言った。


「で、でも……毒ガスとかは、大丈夫、なんでしょうか?」


 その、今槻の震える声と怯え切った瞳を目にし、スズは下唇を噛みながら目を伏せる。


 今槻サトミは、折れてしまった。


 死の恐怖に限界までさらされたことで、なんとかここまで保ち続けてきた精神が折れ、ユウイチに対してはもちろん、あんなに仲の良かったスズに対してまで、敬語を使うようになってしまっていた。


〝――一丁前に反抗しやがって――〟


 タメ口で話せば、また反抗していると捉えられかねない。

 おそらくはそう考えた上で、今槻の脳が無意識に発した、本能的な逃避なのだ。

 

 ただ、理性をなくすほど壊れてしまったわけではない。態度が変わったというだけで普通の会話はできるから、コレも一時的なものなのだろう。

 そんな、急変した今槻の対応も意に介さず、ユウイチはあくび混じりに。


「リーダーの決定に従えないって言うの? 第一、毒ガスが本当に出るかどうかもわかんないじゃん。大丈夫だよ、きっと」

「そ、そうですよね……わかりました。それじゃあ」

 

 ユウイチお得意の論理性のない意見を聞き、今槻は不安そうな顔のまま仕方なく了承する。


「大丈夫ですよ、今槻さん」


 と。芯の通った声で切り出したのは、鳴皆スズ。


「幽切さんの言っていた推測が正しいのであれば、毒ガスはゲームが膠着したときにだけ噴出される。そして現状、ゲームは順調に進み、私たちはこの第三フロアまで来た。ここまで来てすこし休憩を挟んだからといって、それが膠着だと見なされることはないはずですよ」

「そ、そう……そうなんですかね」

「はい。だから、安心して休んでください」


 まるで、リーダーの言葉には説得力がない、とでも言いたげなスズの補足に、ユウイチが眉をひそめ、少女を睨みつける。

 が。そんな視線にも動じず、スズは毅然とした態度で「じゃあ、私はあっちで休みますね」と踵を返したのだった。


 支え、支えられる関係が、鳴皆スズを強くしていた。

 そしていま、今槻という名の支柱は折られてしまった――弱体化するかと思われたスズは、しかし、逆行に立ち向かう勇者よろしく、強い意志を持ち始めた。


 それはきっと、今槻のため。

 必ず今槻を元に戻す、という頑なな意志が、さらに少女を強くしたのだ。


「絶対に生き残ろうね」


 スズの小さなつぶやきが、やけに空気に響いた。



    □



 ぱちゅ、ぱちゅ、ぱちゅ、と。

 すこし粘つく化粧水を顔に振りまいているかのような、そんな音で意識が覚めた。


 横になったまま、ぼんやりとした頭で目蓋を開く。

 見えたのは、二匹の獣。

 反対側。紫扉の手前で、全裸になったユウイチと今槻が、互いの腰を打ちつけあっていた。


 一度目の行為ではないのだろう。通路には白濁とした液体が撒かれ、わずかにスエた臭いが漂ってきていた。


「鉄骨から落ちそうになって、思い出したんです」


 押し殺した嬌声を通路内に響かせつつ、今槻は言う。

 聞いているのかいないのか、ユウイチは無我夢中で行為に耽りながら、眼下の今槻を嗜虐的な笑みで見下ろしていた。


「あたしには、婚約者がいました。でも、そう思っていたのはあたしだけで、彼にはその気がなかった……当然です。だって彼、もうとっくに結婚していたんですから」


 困ったような笑みを浮かべ、自嘲する今槻。


「それでも、あたしは諦めきれなかった。だって彼、結婚するならきみのような女性がいいって、そう言ってくれてたんですから。だから、あたしは、婚約者になってるものだと勘違いもして、彼に『奥さんと別れて』ってお願いもしました……でも、彼は頷いてはくれなかった。何度言っても、何度身体を重ねても。彼は結局、あたしの身体だけが目当てだったんです」


 話も途中。ユウイチが体位を変え、がむしゃらに腰を重ね合わせ始めた。

 天井を見上げたまま、今槻は喘ぎ混じりに続ける。


「それから彼はあたしと会ってくれなくなりました。すまなかったって、全然ほしくなかった言葉を残して――彼と連絡が取れなくなっただけで、狂いそうになる自分がいた。彼との連絡方法は携帯だけで、彼の職場も自宅も知らなかったから、本当に気が狂いそうだった。なんであんなこと言ったんだろう……身体だけの関係でも、幸せだったのに」

 

 ユウイチの身体が震え、今槻の秘部から白濁液がこぼれ落ちた。

 引き抜かないまま体位をバックに変えて、ユウイチは猿のように求め続ける。

 コンクリートの床に顔を着ける今槻は、快楽に溺れながら泣いていた。


「もう、毎日が苦痛でしかなかった。仕事もミスを連発。新しい男性と付き合っても、結局は身体だけの関係で終わる。そんなことを繰り返して……ついにあたしは、薬物に手を出した」


 絶頂を予期するようにして、水音が大きくなっていく。

 恍惚とした表情のまま、今槻はなにもない通路上に左手を伸ばした。


「トンでる間だけは、彼に会えたんです。気持ちよかった、最高だった。あの人に会うために何度も何度も、全身がボロボロになるまで、トビ続けた――気付いたときには、もう手遅れ。クスリを買うお金もなくなって、あたしはマンションの屋上から飛び降りた。みんなが求めたこの身体をぐちゃぐちゃにして、死んでやったんです」


 ざまあみろ。


 そう口にし、今槻は左手をぐっと握り締めると、自ら体勢を変えて、ユウイチの上に跨り、腰を振り始めた。


「でも、嫌な思い出しかなかった身体なのに、こうして求められることは嬉しいんです。最高に気持ちいいんです。本当、バカですよね、あたし。もしかしたら、あたしこそが、彼の身体目当てだったのかもしれませんね……ああ、本当、バカなあたし。ゴメンなさい、お父さん、お母さん。軽蔑してるよね? ゴメン、ゴメンなさい。こんなバカな娘でゴメンなさい。自殺してゴメンなさい――ん、何度もイッて、ゴメンなさい」


 懺悔するように言い、細かく痙攣する今槻。ユウイチもまた身体を震わせ、今槻の中に欲望を注入する。


 その後も。

 その後も、二人はずっと交わり続け、貪るように求め合った。


 なにがキッカケでこうなったのか。今槻が反抗の意思なしと示すためにユウイチに迫ったのか、はたまたユウイチが強引に襲ったのか、それはもはや知る由もないところではあるが……ただ、重なり合う二人はひどく醜く、そして美しかった。


 一心不乱に、快楽にだけ耽溺する。

 ある種、生命の行き着く極地だと、そう感じた。

 理想郷……なんて、それはさすがに言いすぎなのだろうけれど。


 だが。

 ココはまだ、安心が約束されたユートピアではない。

 たくさんの疑問が残された、残酷な現実だ。


 二匹の獣から視線を外すようにして寝返りを打ち、思案する。

 先ほど、今槻の口から滔々と語られた、悔恨の述懐。

 それは、信じられない、信じたくないある事実を、真実たらしめた。


 今槻サトミは、過去に死んでいた。

 立川ゲンゴロウも、幽切セイタも、同じように死んだ経験がある。


 ならば。

 自分たちもそうでなければ、筋が通らない。


 そもそも気になっていたのだ。出身も年代も違う自分たちが、なぜココに集められたのか。共通項がまったくない。その最大の疑問こそが、犯人の意図を霧の中に潜らせていた。


 過去に死んでいる。

 その共通点こそが、自分たちを繋ぐ本物の『鍵』だったのだ。


 そう考えれば、驚くほどに今までの疑問点が解消される。病人のような検査着とスリッパ、患者を識別する認証番号。死体であれば、拉致することも容易いだろう。


 ただ、それでも疑問は残る。

 犯人はどうして、この施設に自分たちを放置し、死のゲームを始めさせたのか?

 どうして死んだはずの人間が生きているのか?

 犯人はなにを考え、自分たちを二度殺そうとしているのか?

 地下鉄である意味は? 鉄扉のあの数式は?


 まだまだわからないことだらけだ――そう嘆息し、ふと視線をスズに向ける。

 いまだ交じり合うユウイチたちに背を向け、眠っているかと思われた少女は、しかし、その両手をぎゅっと両耳に押し当てて、声もなく涙を流していた。

 なにもできない自分を戒めるように、悔いるように。


 水音に混じって時折響く、「ゴメンなさい、ゴメンなさい」という今槻の涙声。

 スズを支えられぬ空気であることが、すこし恨めしくなった。

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