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 レールを支える鉄骨は、およそ五メートルおきに配置されており、その幅も二十センチと、足場としてはまだ安定している部類と言えた。


 問題はレールだ。


 電車の車輪を載せるためだけのソレは、広くても幅七センチほどしかなく、綱渡りのように足を一直線上に、交互に踏み出すことでしか前に進むことができない。

 そうして歩くサマは、さながら死のファッションショー、といった様相。

 有名モデルも顔負けの美貌を持つ今槻は、だから、多少なりこの歩き方も心得ているだろうと思われた。

 だが、高所への恐怖を前にした彼女に、そんな余裕があろうはずもなかった。


「今槻さん、がんばって! あと、そのブレスレット結構強い磁石が入っているので、レールに引っ張られないよう注意してください!」

「ううぅ、無理だよぉ……もう落ちちゃうよぉ……」


 今槻は終始、両手両足をレールや鉄骨の裏に回してしがみ付き、匍匐前進のようにズリズリと地べたを這いつくばって移動していた。

 まんま亀である。

 まあでも、死んだら元も子もないのだ。安全策を取るのは、なにも恥じることではない。

 大事なのは、生き残ることなのだから。


 対照的に、スズは一般道を歩くかのように軽やかに移動し、事もなげに赤ボタンを緑に変更していった。

 運動神経抜群のユウイチですら、平均台の上を歩くような慎重な移動しかできていないのに……スズの度胸は筋金入りらしい。


「……すごいね、スズちゃん。怖くないの?」

「怖いですよ? でも、私は動けるだけで嬉しいですから」


 そういうことらしかった。

 死を怖れていないというわけではなさそうだが、幽切とは別の意味で死に慣れている印象を受ける。誤解を恐れずに言えば、医療現場で働く看護士のような感覚、というか。


 さておき――そんなこんなで。

 ボタンを変更していくこと、三時間。


 なんとか最後の赤ボタンを緑に変えた直後、緑扉の開錠音をかき消すかのように、ゴゴゴ、と地響きが轟き始めた。

 何事かと眼下の落とし穴を見やると、深淵の中、砂利の敷き詰められた地面が、ゆっくりと迫り上がってくるのが見えた。精々、鉄板などの簡易的な足場が作られる程度かと思っていたが、まさか地面ごと上昇して戻ってくるとは。


 なんであれ、スズの推測は正しかったようだ――ホッと胸をなで下ろし、まずはスズが緑扉の奥、安全地帯である通路に駆け込む。次いでユウイチが入り、残すは今槻ただ一人。


 そこで事件は起きた。


 地面が近付くにつれて振動が大きくなり、扉手前の鉄骨上でラストスパートとばかりに立ち上がった今槻が、片足を滑らせてしまったのだ。

 スズの短い悲鳴。

 傾き、落ちていく今槻を目に、全身が総毛立つ。

 が。落下の間近。今槻は咄嗟に右手を伸ばし、辛うじて鉄骨に掴まることができた。


 しかし、危険な状態に変わりはない。今槻の全体重を支えている四本指が、すでにプルプルと震え出している。

 地面は徐々に上昇してきているものの、高度はいまだ十数メートル以上残されている。

 この高さでも、落ちれば即死は免れない。


「い、今槻さん! いま助けに――」

 

 慌てて助けに向かおうとしたスズを、不意にユウイチが片手で制した。


「俺が行くから、鳴皆さんはココに」


 たしかに、小柄なスズでは引き上げる力も弱い。最悪、共倒れの可能性がある。

 ココこそ、男であるユウイチが向かうしかない。

 三浜ユウイチに――頼るしかない。


 そのことに一抹の不安を感じたのだろう。スズは一瞬、戸惑いの表情を見せたが、今槻の命には代えられぬと、ユウイチに救助を託した。

 

 託して、絶望した。


「リーダーは誰だ?」


 助けの手も差し伸べず、通路の床に悠々と腰を下ろして、鉄骨にぶら下がる今槻を見下ろしながら、ユウイチは問うた。

 その表情は、ひどく悪辣な笑顔。


「なあ。リーダーは誰だって訊いてんだよ、サトミさん」

「た、助けて……」

「聞こえねえのかっ!? 俺は、リーダーは誰だって訊いてんだよっ!!!!!」


 突然大声で喚き、鉄骨を何度も踏みつけるユウイチ。

 その振動によって、今槻を支える指が四本から三本に減る。


「テメエら、揃いも揃って俺をバカにしやがって。あまつさえ『デクの坊』だ? ふざけてんじゃねえよっ!!!!! 一丁前に反抗しやがって!! 俺を誰だと思ってんだ!!! あぁっ!?」

「で、デクの坊は、立川さんが……」


「口答えしてんじゃねえっ!!!! 大体、みんなで協力していきましょうだとか、甘ったれたこと抜かしてんじゃねえよ! 少人数だろうがなんだろうが、団体にはリーダーが、トップが必要なんだよ!!! ロクに人をまとめたこともねえクソッタレが、俺の意見を否定すんじゃねえ!!!!」


 ガンガンガン、と。

 癇癪を起こした子供よろしく、ユウイチは狂ったように鉄骨を踏みつける。


 トップであり続けなければならないという、ある種の強迫観念。

 今槻の提案をすんなり受け入れていた『ように見えた』のは、そもそも、検討すらせず破棄していたからなのだ。


 三浜ユウイチの浅ましくも醜い本性露呈に、スズは動揺を隠せない様子だったが、今槻の指が二本に減りかけているのを見、バッと後方の通路を振り向いた。


 そこにはあるのは、空気だけ。

 鳴皆スズは、懇願するように、すがり付くようにして空気を凝視する。

 しかし、空気にはなにもできない。空気はただ染まるだけ、従うだけ。

 そうしてここまで、あり続けてきた。

 実態は存在するが、意思は存在しない。

 空気は、空気でしかないのだ。


「っ……三浜さん! いい加減に!」

 

 諦めたように空気から視線を切り、スズが制止の言葉をかけると、


「さあ、早く言えよ!」

 

 ユウイチは再度、今槻に問いかけた。


「この中のリーダーは誰だっ!? 誰がトップに相応しい!?」

「……ゆ、ユウイチ、くん」

「聞こえねえよ! しっかり、後ろの奴らにも聞こえるように言え!!」

「ゆ、ユウイチくんですっ!! だから、だから助けて!!」


 声を出すための声ではない、すべてをかなぐり捨てた絶叫で、涙ながらに今槻が答えると、ユウイチは眼下に手を伸ばし、今槻をいとも容易く通路に引き上げた。

 地面に両膝をつき、ひどく呼吸を荒げながら号泣する今槻。

 スズが急いで駆け寄り、茶髪の背中をゆっくりとさする。


「今槻さん、大丈夫ですか? ゆっくり、ゆっくり深呼吸してください」

「あ、あたし、そんな……ああ、でも、だから、嫌な思い出……婚約者も、ああ……」

「今槻さん、気を確かに! 大丈夫、もう助かったんですよ!」


 潺湲せんかんと涙を流しながら、今槻はぶつぶつとつぶやき続ける。

 と。そんな彼女の前に立ち、しゃがむと、ユウイチは今槻の顔を覗き込んだ。


「アハハ、よかった。見捨てずに済んで」


 明るく、純粋に。

 屈託なく、無垢に。

 心からの笑顔で、そう言ってみせたのだった。


 瞬間。スズたちの背中に、酷薄な寒気が走る。

 多重人格者ではない。三浜ユウイチの精神は、起伏の激しいこの状態こそが、平常なのだ。第三フロアのレール上よりも不安定な、この状態が。


〝――残酷な思考を巡らせる人間なんざ五万といる――〟


 ふと、幽切セイタの言葉が脳裏を過る。

 独裁政治の誕生だった。

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