第三章 ハイアフェア

09

 三浜ユウイチが高校入学を境に堕ち、不良との関係が深まっていったことで、両親との関係も徐々に変化していく。


 ある日。自宅へ無作法に上がり込んでくる軽薄な同級生たちを見、アイツらはなんなんだ、と父親が問い質した。

 するとユウイチは、「イジメられてるんだ」と大嘘を吐いた。

 自分の友達だと言えば、今まで築き上げてきた清純なイメージが崩れる。まして、カースト順位繰り上げのために利用したなど言語道断。イメージを保ち、不良と付き合っていくには、自分自身を被害者にするほかなかった。


 大事に育ててきた自慢の息子が、イジメに遭っている。怒り、不良たちの下へ向かい出した両親を、涙ぐむユウイチが止めた。

 大丈夫、俺ひとりが我慢すればいい。ここで歯向かえば学校でなにをされるかわからない。お願いだからイジメのことは黙ってて。学校にも絶対言わないでくれ。お母さんの友達にも、お父さんの職場にも、絶対に、絶対に。


 演技とは思えない嗚咽を洩らし、その場にくず折れるユウイチ。そこまで言われては下手に動くこともできず、両親はじっと静観することを決意した。


 そこが、まさに分水嶺。

 その後。ユウイチに対する両親の態度がガラリと変わった。


 廊下でユウイチとすれ違うたびに、心配そうな、それでいて悔しそうな顔をする両親。大事な息子だからこそ手助けしてやりたいのに、そうすることができない。かと言って、嫌なことを忘れさせるためにまったく関係のない話で盛り上がろうにも、あの不良のチャラついた顔が浮かんできて、笑うことすらむずかしい。


 ユウイチから両親に話しかけても、それは同じだった。ユウイチ本人は気兼ねなく、いつも通りに話しているけれど、両親の顔は困ったような苦笑い。両親は、ユウイチが無理して……イジメられていることを忘れたい一心で、自分たちを楽しませようとしてくれていると、そう勘違いしていたのだ。


 ユウイチも、そうした両親の変化には無論、気付いていた。しかし、まさかここまできて嘘をバラすわけにもいかず、わが身可愛さに、その環境を甘んじて受け止めていた。


 そうして――高校一年生になって、初めての春休み。

 数週間後には高校二年生になる、というそのタイミングで、ギスギスした食卓の中、両親は意を決したように提案する。


 久しぶりに、家族旅行に行かないか、と。



    ◇



 回想終了。

 黄色い扉を抜け、第二フロアを脱した一同。

 見慣れたコンクリート通路の先には、新たなる青色の扉が待ち構えていた。チラチラと天井の換気口を警戒しつつ、ユウイチを先頭に進んでいく。

 

 二人の過去の事情はどうあれ、立川と幽切がいないだけでこうも心細いとは。

 実感というのなら、まさにこのときにこそ覚えたのかもしれない。

 そんな空気を感じ取ったのか否か、青扉のドアノブに手をかけたところで、ユウイチが背中越しにこう問いかけてきた。


「そういえば、まだリーダーを誰にするか決めてなかったね。みんな誰がいいと思う?」


 明るい口調ながら、どこか緊迫した声音。

 ユウイチの背中が、わかってるだろうな、と言外に強要してくる。

 しかし。


「そのことなんだけど……いまは保留でいいんじゃないかしら?」


 そんな無言の強迫を、今槻が見事に跳ね返した。

 第二フロアでの不憫なスズを目にし、支えてあげなければ、そう思ったのかもしれない。

 今後の予定を話し出す彼女の目には、いままでのような怯えや戸惑いは見られず、熱い義勇の光が灯されていた。


「これだけ少ない人数でリーダーを決めたら、変にいがみ合いが生まれちゃうかもしれない。ここから先怖いのは、無駄な仲間割れよ。誰がリーダーかなんて、決めてる場合じゃないわ」

「――――」

「だから、誰がリーダーとかじゃなく、みんなで協力していきましょう? 一人一人の意見を汲み取って、最善の手を尽くす。なにか気付いた疑問点があれば、みんなに話して、みんなで考える。それがベストなんじゃないかしら?」

 

 百点満点の答えだ。

 すこし理想論のような気がしないでもないが、それを踏まえても文句なし。経験豊富な立川と知識豊富な幽切を亡くしたいま、このメンバーが持ち得る武器は、仲間を助け合い、支えることのできる、たしかな結束力しかないのだから。


 反論しようがない提案。ここで反発すれば、ユウイチのカースト順位は一気に繰り下がる。

 それは、ユウイチも望むところではないのだろう。


「あたしの提案、どうかな? ユウイチくん」

「……わかりました。今後はそうしましょう」


 くるっと身体を翻し、ユウイチはそう、笑顔で賛同したのだった。

 今槻とスズが顔を見合わせ、よかったとばかりに安堵の息を吐く。

 意外にも、ユウイチがすんなりと提案を受け入れたことに疑問を覚えた者は、残念ながら、ほかには誰一人としていなかった。



    ◇



 今後の方針も定まり意気揚々。絶対に生き残ってみせるという強い気概を以て青扉を開けた瞬間、メンバーは愕然とする。


 地面がない。

 本来砂利がある場所が消え、足元には底の見えない深淵が広がっていた。


 深さがどれくらいなのか図りようもない。

 が、落下すれば即死することは一目瞭然。


 しかし、足場がないわけではない。

 この施設のポリシーなのか。湾曲したレールだけが空中に浮いていたのだ。

 正確を期すと、外周と内周、左右の壁から水平に伸びる鉄骨に支えられ、レールがなんとか保たれている状態。

 レールだけを残して、ほかすべてが抜け落ちたイメージ、と言えばわかりやすいだろうか。

 円状に切り取られた落とし穴。バームクーヘンの逆バージョン。


「こんなの、どうやって……」

 

 通路の中から第三フロア内を見渡し、青ざめた顔でそう今槻がつぶやくと、


「今槻さん、大丈夫ですよ。ほら、あれ見てください」

 

 スズが冷静に、ある箇所を指差した。


「ダメ、見れない……あたし、高いところ苦手なの。心臓がひゅんってする。それに、なんか嫌な思い出があるような……あ、あれ? 嫌な思い出? なんだったっけ?」

「落ち着いてください、今槻さん。なにも下を見てとは言っていません。対岸の壁、レールを支えてる鉄骨の根元を見てみてください」

 

 上部に『第三フロア』と記された看板がある青扉、その真下から、真正面の緑の扉の下まで伸びる鉄骨を注視。そこには、見飽きた赤ボタンが設置されていた。

 別の鉄骨部にも、それは同じように取り付けられている。


「おそらく、アレを全部押して回れば、なにかしらの足場ができるんじゃないかと思います。第三フロアのトラップは、きっとこの落とし穴そのものなんですよ」

「ど、どうしてそう言い切れるの? スズちゃん」

「言い切れはしません、あくまで推測です。でも、あんな鉄骨だけじゃあ電車は走行できないですし、拳銃トラップのような仕掛けも見えませんから。その可能性はあるんじゃないかと」


 スズの洞察力に、今槻が感嘆の声を漏らす。

 第一フロアでは、ボタンを押すことで電車が止まった……第二フロアでは、これこそ推測になるが、ボタンを押した地点の半径数メートルが安全圏となった。赤ボタンを緑に変えることで、『危険』が『安全』になってきたのだ。


 となれば、落とし穴そのものがトラップである第三フロアでは、ボタンを押したとき、その落とし穴が無効化されなければ筋が通らない。

 足場ができる。なるほど、理に適った推測だ。


「そうじゃなかったとしても、向かいのあの緑の扉は開くでしょうから、ひとまずチャレンジだけでもしてみませんか? まあ、もし本気でダメなようでしたら、この通路内で待っていてくれてもいいですけど」

「そ、そう? それじゃあ……いや、ううん、あたしもがんばる。みんなにだけ危険な思いはさせられないもの」


 みんなで協力しようと言った手前、後には引けないのだろう。

 歯をカチカチと鳴らしながら、震える足を眼下の鉄骨に踏み出す今槻。次いで、今槻の背中を見守るようにしてスズが歩みを進める。

 あれだけ饒舌だったユウイチが一言も喋らず……あまつさえ、作り物のような笑顔を維持し続けているのが、ひどく不気味だった。

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