第3話 蒼刃《そうじん》トウマ

訓練学舎くんれんがくしゃ講堂こうどうは、朝からざわついていた。見習い登録を終えた者たちが、次の段階――配属はいぞく、つまり班分けのために集められている。床は磨かれ、天井の梁には小さな灯具とうぐが吊られ、蒸気管の低い唸りが遠くで鳴っていた。


レイもその中に混じっていた。門章もんしょうを胸元にぶら下げたまま、壁際で腕を組む。周りの視線が自分に向かっていないのが、少しだけ腹が立った。いや、向けられるなら向けられるで面倒なのに、無視されるとそれはそれで気に障る。


ざわめきの中心には、一人の少年がいた。


トウマ。蒼刃そうじん家の出だという。門衛の名家――結界や灯術に長け、代々“守る側”の中心に立ってきた家系。トウマは立ち姿からして違った。背筋がまっすぐで、呼吸が静かで、視線が揺れない。周囲の見習いたちが距離を置きながらも憧れるのが、レイにも嫌というほど伝わってくる。


「将来の門衛長候補だってさ」

「やっぱり蒼刃は違うよな……」


そんな囁きが飛び交う。レイは鼻で笑いたくなった。肩書きがあるだけで持ち上げられる。努力も、傷も、関係なく。


トウマの近くでは、女子たちも落ち着かない様子だった。スズという少女が、さりげなく隣の位置を取ろうとしている。目が真っ直ぐで、憧れが隠しきれていない。そこへ、人気者のリツが割り込んだ。


「そこ、空いてると思った?」

「……別に、私の場所じゃないけど」


言葉は柔らかいのに、空気は軽く火花を散らす。周りの見習いが面白がって笑う。トウマは、そんな小競り合いを見ても反応しない。そもそも他人に興味がないみたいな顔だ。


それがレイには余計に気に入らなかった。


レイはわざと足音を大きくして近づき、トウマの前に立った。


「おい、“蒼刃様”。気分はどうだ? みんなに持ち上げられて」


周囲のざわめきが一瞬止まる。スズが息を呑み、リツが目を丸くする。トウマはゆっくり視線だけを動かしてレイを見るが、すぐに目を逸らした。


「……用がないなら、離れてくれ」


それだけ。怒りも、焦りもない。まるで“そこにいるだけの雑音”を払うような声。


レイの胸の奥が熱くなった。鍵穴が疼くほどではないが、心音が跳ねる。取り合わない態度は、殴られるより腹が立つ。


「は。さすが優等生。俺みたいな“鍵の子”は相手にしないってか?」


その言葉に、周囲がざわつく。レイは知っている。自分が恐れられていることも、噂で評価が決まることも。努力で見てもらえない世界に、うんざりしている。


だからこそ、名家の肩書きで称賛されるトウマを見ていると、噴き出すものがあった。


トウマは、ほんの一瞬だけ眉を動かした。だがすぐに表情を戻し、何も言わない。沈黙が、レイをさらに煽った。


そのときだった。


講堂の端のほうで、小型の灯具が弾ける音がした。ぱん、と乾いた破裂。光が散り、白い煙がふわっと広がる。誰かが手順を誤ったのだろう。灯具制御とうぐせいぎょの基本ミスだ。


「うわっ!」

「目が……!」


混乱が広がる。見習いたちが咳き込み、目をこすり、周りが見えなくなる。押し合いへし合いになった瞬間、レイは誰かとぶつかった。


硬い金属音。胸元が引っ張られる感覚。


「っ……!」


レイとトウマが、真正面からぶつかっていた。互いの門章が絡み、鎖が引っかかって離れない。ほどこうとして手を伸ばすと、勢いで顔が近づく。煙のせいで距離感も狂う。


周囲から、笑い混じりの声が飛んだ。


「何やってんだよ!」

「仲良しかよ!」


レイの顔が一気に熱くなる。最悪だ。大恥だ。スズは硬直して固まり、リツは口元を押さえて笑いをこらえる。トウマは露骨に不機嫌になり、レイを睨んだ。


「離れろ」

「こっちの台詞だ!」


二人は乱暴に鎖をほどき、反対方向へ下がった。煙が薄れていく中で、レイの胸に“因縁”が固定されたのがわかった。もう後戻りできない。トウマは自分を嫌うだろうし、自分も簡単には引けない。


スズはトウマのほうを見ていた。憧れの人が不機嫌になるのを初めて見た、という顔だ。強い人の隣にいれば守られる――そんな考えが揺れているのが、レイにもわかった。完璧に見える強さの裏に、冷たさがある。それでも、目を離せない。


レイはその空気に噛みつきたくなった。強さだけで人を測る、あの感じ。肩書きで価値が決まる、あの感じ。


だからレイは、馬鹿なことを思いついた。


スズの気を引いてやろう。あいつらの“憧れ”を崩してやろう。ついでに、トウマに一泡吹かせてやろう。


レイは壁際に寄り、呼吸を整えた。影灯かげびを薄く、薄く展開する。灯を強く出せば目立つ。だから“膜”みたいにまとわせる。


擬灯ぎとうの型。


輪郭を少し変え、声の響きを寄せ、気配の出方を真似る。完全な変装ではない。だが遠目には、“トウマ風”に見える程度には近づける。レイは自分の門章の位置まで調整し、視線の角度までそれっぽくして、スズの近くへ行った。


「……お前、さっきの」


スズが振り向く。最初は目が輝きかけた。だが次の瞬間、眉が小さく動く。


「……あれ?」


レイは焦りを隠して続けようとする。だが、呼吸の間が合わない。トウマの呼吸は静かで一定だ。レイはそこまで整えきれない。言葉の選び方も違う。トウマは余計な言い回しをしない。レイはどうしても棘が混じる。


スズの違和感が強くなる。


「トウマ……くん、こんな言い方、しない」


その時、背後から本物のトウマが現れた。


「……何をしている」


声が低い。冷たい。レイは一瞬凍った。擬灯がバレる。次の瞬間、レイは咄嗟に擬灯を解き、影灯の膜をほどいて逃げた。


「ちっ……!」


周囲の視線が刺さる。笑い声、呆れ声、嫌悪。レイの評価は落ちるどころか、さらに“問題児”として固まっていく。レイの中の対抗心は、恥と怒りでむしろ増幅した。


やがて、係官が配属札を手に前へ出た。講堂に静けさが戻り、見習いたちは姿勢を正す。


班が読み上げられる。


名前が呼ばれるたび、誰かが息を呑み、誰かが肩を落とす。レイは内心で思っていた。せめてスズと同じ班がいい。そうすれば、さっきの失態を取り返せるかもしれない。何より、あの“憧れ”の空気を変えるチャンスがある。


だが同時に、最悪の名前も頭をよぎる。


そして――現実になった。


「第三班。レイ。トウマ。スズ」


レイの目が見開かれる。スズが小さく「えっ」と声を漏らす。トウマは表情を変えないが、空気だけがさらに冷たくなった。


係官は淡々と続けた。


「監督役、上位門衛じょういもんえいカガリ」


名前だけが告げられる。姿は見えない。だが、その名の響きに、周囲の見習いが少しざわついた。上位門衛は、班を監督し、任務と訓練を与える現場指揮層。つまり、この三人はもう“個人”ではなく、一つの班として動くことになる。


指定された待機区画たいきくかくへ向かう三人の足取りは、揃わなかった。


レイは苛立ちを隠さず、靴音を強く鳴らす。スズは気まずそうに視線を彷徨わせ、時々レイとトウマの間を見ては口を開きかけて閉じる。トウマは淡々と規律姿勢で歩き、余計なことは一切言わない。


待機区画は、壁際に長椅子があり、灯具が一定間隔で吊られた小さな部屋だった。外の廊下から蒸気の音が響く。三人はそれぞれ別方向を向いて立ち、沈黙が落ちる。


監督役のカガリは、なかなか来ない。


時間だけが過ぎ、温度差がはっきり見えてくる。レイは足を揺らし、スズは手を握りしめ、トウマは呼吸すら乱さない。


「……こんな班で、やれんのかよ」


レイが吐き捨てるように言う。返事はない。沈黙が答えみたいだった。


そのとき、遠くから足音が近づいてきた。


規則正しい音ではない。重みがあり、迷いがなく、床の振動が伝わる足音。灯具の灯りが、ふっと揺れた。


三人が同時に顔を上げる。


扉の向こうに、影が落ちる。


――上位門衛カガリが、ようやく来る。

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黒環の鍵 —蒼都を守る“開かずの少年”— 黒橋 連 @kurohashi

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