第2話 カナメ、師匠を捕まえる

門衛機構本庁ほんちょうは、蒸気の匂いと金属の響きに満ちていた。蒼都そうとの中枢。登録、配属、指令、遺物管理――あらゆる“守り”の手続きがここを通る。


レイはそこへ呼び出されていた。見習いとしての正式登録のためだ。


必要なのは、登録札とうろくふだと、本人照合に使う門写もんしゃ――顔写真の記録。案内された門写室もんしゃしつでは、係官が無機質な声で手順を説明し、椅子の位置や視線の角度まで細かく指示した。


「顎を上げすぎない。目はここ。背筋を――」


「うるせぇな。撮りゃいいんだろ」


緊張しているのが自分でもわかるほど、レイの態度は刺々しかった。反発しているのに、心臓だけは落ち着かない。鍵穴かぎあなが疼くほどではないが、本庁の空気には独特の圧がある。誰もが真面目で、誰もが規律で動き、レイの“雑さ”が浮く。


係官も眉をひそめた。


「ここは遊び場ではない。見習いなら見習いらしく――」


「見習いらしくって、なんだよ」


声が大きくなり、部屋の空気が硬くなる。周囲の職員が視線を投げた、その瞬間だった。


「……レイ」


低く、枯れた声が背後から響く。空気そのものが静まり返るような声だった。


振り向くと、そこに老齢の人物がいた。炉主ろしゅハクレン。蒼都の統治と防衛の最高責任者。門衛機構の最終判断者でもある。


護衛が控え、職員が背筋を伸ばす中で、レイだけが一拍遅れて固まった。


ハクレンは怒鳴らない。ただ淡々と、しかし逃げ場のない言葉を落とした。


「口の利き方を覚えろ。お前が守ると言う街は、言葉ひとつで傷つく」


レイは唇を噛み、視線を逸らした。反論したかったのに、できない。自分が場を乱している事実だけが、胸に重く残った。


そのとき、門写室の扉が勢いよく開いた。


小さな影が、風みたいに滑り込んでくる。


「炉主ォォォ!」


叫び声とともに飛びかかったのは、少年だった。身軽で、目が鋭い。炉主の孫――カナメ。


カナメは気配を薄くする小技、透明歩とうめいほで距離を詰めたつもりらしい。だが、その突撃はあまりにも一直線だった。


護衛が一歩前へ出る。短い動作で腕を取られ、体勢を崩される。制圧手せいあつしゅ。派手さのない、けれど確実な基本制圧だ。


「うぐっ……! なんで毎回……!」


床に押さえ込まれたカナメが唸る。周囲の大人たちは、驚くどころか溜息まじりだった。


「またか」

「今日は門写の日だぞ、坊っちゃん」


その扱いが、カナメの癇に障るのが目に見えた。カナメは歯を食いしばり、護衛の手から抜けようと暴れる。


「倒して認めさせる! 俺が炉主になるって!」


ハクレンは、孫を見ても表情を変えなかった。


「奇襲で得た椅子は、奇襲で奪われる。それでいいのか」


カナメは言い返そうとして、言葉に詰まった。その瞬間、視線がレイに飛んだ。


周りの大人は「炉主の孫」としてカナメを扱う。腫れ物に触るように、遠慮と忖度が混ざった接し方だ。だがレイだけは、そもそも遠慮というものが薄い。


レイはぼそっと言った。


「うるさいガキだな」


空気が凍った。職員が目を見開く。護衛が一瞬だけ緊張する。


カナメも固まった。怒りで顔を赤くし、次の瞬間に噛みつくように叫ぶ。


「誰がガキだ! お前、俺が誰か知らねぇのか!」

「知ってるよ。だからって特別扱いする理由がどこにある」


レイの言い方は礼儀なんて欠片もない。けれど、カナメの心には別の形で刺さった。特別扱いしない。肩書きで見ない。目の前の“自分”に言い返してくる。


カナメはムッとしながらも、なぜか目を離せなくなっていた。


手続きが一段落し、カナメはレイの後をついて回るようになった。廊下の角、蒸気管の陰、職員の視線が届きにくい場所で、カナメは急に本音をこぼした。


「俺さ……いつも“炉主の孫”なんだよ」


カナメの声は、さっきの叫びより小さかった。


「カナメとして見られない。何しても“孫だから”って言われる。だから……炉主になれば、名で呼ばれると思った。近道で勝てば、一気に変わると思った」


レイは鼻で笑った。


「称号で埋めても、空洞は塞がらねぇよ」

「……空洞?」


「お前が今言ってるの、全部“足りない”って話だろ。肩書きで埋めようとしても、余計に目立つだけだ」


突き放す言い方なのに、カナメは引かなかった。むしろ食い下がる。


「じゃあお前が教えろ! 強くなれば……俺は名で呼ばれる!」

「は? 面倒くさ……」


レイは心底嫌そうな顔をした。だが、次の言葉が出ない。カナメの“名で呼ばれたい”という焦りが、どこか自分の孤独と重なったからだ。レイもまた、“鍵”ではなく名で呼ばれたい側の人間だった。


「師匠になれよ。お前、俺のこと“孫”って呼ばなかったし」


カナメは、半分命令みたいな口調で言った。レイは溜息をつき、投げやりに頷いた。


「……勝手にしろ。で、何を教えりゃいい」

「一撃で相手を黙らせるやつ!」


その要求の幼さに、レイは呆れた。だが言い返すより先に、別の影が割り込んできた。


「そこまでだ、坊っちゃん」


教育係きょういくがかりのキソだった。礼法と護衛を兼ねる、硬い顔の大人だ。カナメの横に立ち、レイを見る目だけが冷たい。


「禁庫破りの問題児が、炉主の御孫に近づくな」

「は? お前の都合なんか知るか」


キソは一歩も引かなかった。


「お前は黒環の鍵だ。危険だ。坊っちゃんの周囲に置けない」


カナメが反発して飛び出した。


「うるせぇ! 俺のこと、俺で見ろよ! 透明歩で――!」


気配を薄くしてキソの横を抜けようとする。だがキソは慣れていた。足を出し、重心を崩し、軽く押さえるだけでカナメは止められる。


「通用しません」


カナメが悔しそうに歯を噛む。レイは、そんなカナメを見て舌打ちした。


「……おい、ガキ。走るぞ」


レイは呼吸を整えた。影灯かげびを出すときの癖だ。心音が上がれば、灯の配置が乱れる。乱れれば、ただの危険になる。


レイが指先を軽く動かすと、廊下の空気がふっと揺らいだ。


闇の灯り――影灯は本来、黒い光で空間を押さえる。だが今回は、逆だ。灯りを“眩い幻”に変える。


艶灯つやび


視線と意識を奪う攪乱の型。光のようで光ではない、眩しさの錯覚が一瞬、キソの視界を塗りつぶした。


「っ……!」


キソが目を細めた、その隙にレイはカナメの手を掴んだ。


「うわっ!」

「黙って走れ!」


二人は廊下を駆け、職員の間をすり抜け、本庁の外へ出た。蒸気管が何本も走る高所通路――蒸気高架路じょうきこうかろ。下を見れば、街の灯がまだまばらで、欠けた部分が闇の穴みたいに広がっている。


風が熱く、蒸気の音が耳に残る。


カナメは息を切らしながら、また言った。


「俺、早く炉主になりたい。名で呼ばれたい」


レイは、立ち止まってカナメを見た。誤魔化さずに言った。


「炉主は“勝って奪う椅子”じゃない」

「でも……!」


「都の灯を守る責任が積み重なって、名が残るんだ」


カナメが黙る。レイは続けた。アオギリの名を、わざと美化しないように選びながら。


「命を燃やすのが近道だと思うな。……あんなのを“早くなりたい”で真似すんな。守るってのは、勝手に派手にならねぇ」


カナメの目が揺れた。悔しさと、憧れと、怖さが混ざった表情だ。やがてカナメは唇を結び、拳を握りしめた。


「……じゃあ俺は、名で呼ばれるまで積み上げる」


その言葉は、さっきまでの“奇襲で勝つ”とは違った。逃げ道のない決意だった。


レイは少しだけ息を吐き、条件を出した。


「奇襲はやめろ。やるなら訓練で勝て」

「……うん」

「称号のためじゃなく、“守るため”に強くなれ」


カナメは一度だけ大きく頷いた。子どもらしく、しかし誤魔化さずに。


二人が本庁へ戻ると、キソは苛立ちを隠さなかった。だが、その背後でハクレンが短く言った。


「……よい」


それだけで、キソは口を閉じた。事実上の黙認だった。炉主の判断は重い。


門写室に戻り、レイは撮り直しを命じられた。さっき揉めたせいで記録が乱れたのだ。係官は淡々と椅子の位置を直す。


「顎を上げすぎない。目はここ」


レイはぶすっとした顔のまま座った。笑う気なんてない。けれど今度は、係官の言葉に噛みつかなかった。呼吸を整え、心音を落として、ただ正面を向いた。


閃光が走り、門写が記録される。


手続きが終わると、レイは登録札とうろくふだを受け取った。薄い金属札は冷たく、しかし確かな重みがあった。“見習い”としての第一歩だ。


別れ際、カナメが少しだけ躊躇して、それから小さな声で言った。


「……レイ。明日も来い、師匠」


肩書きではない呼び方だった。炉主の孫でもない、ただのカナメの声だった。


レイは面倒くさそうに手を振った。


「勝手にしろ。……遅れんなよ」


そう言いながら、胸の奥がほんの少し軽くなるのを、レイは誰にも見せないように歩き出した。蒼都の欠けた灯の下で、二人の小さな修行が始まりかけていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る