第2話 カナメ、師匠を捕まえる
レイはそこへ呼び出されていた。見習いとしての正式登録のためだ。
必要なのは、
「顎を上げすぎない。目はここ。背筋を――」
「うるせぇな。撮りゃいいんだろ」
緊張しているのが自分でもわかるほど、レイの態度は刺々しかった。反発しているのに、心臓だけは落ち着かない。
係官も眉をひそめた。
「ここは遊び場ではない。見習いなら見習いらしく――」
「見習いらしくって、なんだよ」
声が大きくなり、部屋の空気が硬くなる。周囲の職員が視線を投げた、その瞬間だった。
「……レイ」
低く、枯れた声が背後から響く。空気そのものが静まり返るような声だった。
振り向くと、そこに老齢の人物がいた。
護衛が控え、職員が背筋を伸ばす中で、レイだけが一拍遅れて固まった。
ハクレンは怒鳴らない。ただ淡々と、しかし逃げ場のない言葉を落とした。
「口の利き方を覚えろ。お前が守ると言う街は、言葉ひとつで傷つく」
レイは唇を噛み、視線を逸らした。反論したかったのに、できない。自分が場を乱している事実だけが、胸に重く残った。
そのとき、門写室の扉が勢いよく開いた。
小さな影が、風みたいに滑り込んでくる。
「炉主ォォォ!」
叫び声とともに飛びかかったのは、少年だった。身軽で、目が鋭い。炉主の孫――カナメ。
カナメは気配を薄くする小技、
護衛が一歩前へ出る。短い動作で腕を取られ、体勢を崩される。
「うぐっ……! なんで毎回……!」
床に押さえ込まれたカナメが唸る。周囲の大人たちは、驚くどころか溜息まじりだった。
「またか」
「今日は門写の日だぞ、坊っちゃん」
その扱いが、カナメの癇に障るのが目に見えた。カナメは歯を食いしばり、護衛の手から抜けようと暴れる。
「倒して認めさせる! 俺が炉主になるって!」
ハクレンは、孫を見ても表情を変えなかった。
「奇襲で得た椅子は、奇襲で奪われる。それでいいのか」
カナメは言い返そうとして、言葉に詰まった。その瞬間、視線がレイに飛んだ。
周りの大人は「炉主の孫」としてカナメを扱う。腫れ物に触るように、遠慮と忖度が混ざった接し方だ。だがレイだけは、そもそも遠慮というものが薄い。
レイはぼそっと言った。
「うるさいガキだな」
空気が凍った。職員が目を見開く。護衛が一瞬だけ緊張する。
カナメも固まった。怒りで顔を赤くし、次の瞬間に噛みつくように叫ぶ。
「誰がガキだ! お前、俺が誰か知らねぇのか!」
「知ってるよ。だからって特別扱いする理由がどこにある」
レイの言い方は礼儀なんて欠片もない。けれど、カナメの心には別の形で刺さった。特別扱いしない。肩書きで見ない。目の前の“自分”に言い返してくる。
カナメはムッとしながらも、なぜか目を離せなくなっていた。
手続きが一段落し、カナメはレイの後をついて回るようになった。廊下の角、蒸気管の陰、職員の視線が届きにくい場所で、カナメは急に本音をこぼした。
「俺さ……いつも“炉主の孫”なんだよ」
カナメの声は、さっきの叫びより小さかった。
「カナメとして見られない。何しても“孫だから”って言われる。だから……炉主になれば、名で呼ばれると思った。近道で勝てば、一気に変わると思った」
レイは鼻で笑った。
「称号で埋めても、空洞は塞がらねぇよ」
「……空洞?」
「お前が今言ってるの、全部“足りない”って話だろ。肩書きで埋めようとしても、余計に目立つだけだ」
突き放す言い方なのに、カナメは引かなかった。むしろ食い下がる。
「じゃあお前が教えろ! 強くなれば……俺は名で呼ばれる!」
「は? 面倒くさ……」
レイは心底嫌そうな顔をした。だが、次の言葉が出ない。カナメの“名で呼ばれたい”という焦りが、どこか自分の孤独と重なったからだ。レイもまた、“鍵”ではなく名で呼ばれたい側の人間だった。
「師匠になれよ。お前、俺のこと“孫”って呼ばなかったし」
カナメは、半分命令みたいな口調で言った。レイは溜息をつき、投げやりに頷いた。
「……勝手にしろ。で、何を教えりゃいい」
「一撃で相手を黙らせるやつ!」
その要求の幼さに、レイは呆れた。だが言い返すより先に、別の影が割り込んできた。
「そこまでだ、坊っちゃん」
「禁庫破りの問題児が、炉主の御孫に近づくな」
「は? お前の都合なんか知るか」
キソは一歩も引かなかった。
「お前は黒環の鍵だ。危険だ。坊っちゃんの周囲に置けない」
カナメが反発して飛び出した。
「うるせぇ! 俺のこと、俺で見ろよ! 透明歩で――!」
気配を薄くしてキソの横を抜けようとする。だがキソは慣れていた。足を出し、重心を崩し、軽く押さえるだけでカナメは止められる。
「通用しません」
カナメが悔しそうに歯を噛む。レイは、そんなカナメを見て舌打ちした。
「……おい、ガキ。走るぞ」
レイは呼吸を整えた。
レイが指先を軽く動かすと、廊下の空気がふっと揺らいだ。
闇の灯り――影灯は本来、黒い光で空間を押さえる。だが今回は、逆だ。灯りを“眩い幻”に変える。
視線と意識を奪う攪乱の型。光のようで光ではない、眩しさの錯覚が一瞬、キソの視界を塗りつぶした。
「っ……!」
キソが目を細めた、その隙にレイはカナメの手を掴んだ。
「うわっ!」
「黙って走れ!」
二人は廊下を駆け、職員の間をすり抜け、本庁の外へ出た。蒸気管が何本も走る高所通路――
風が熱く、蒸気の音が耳に残る。
カナメは息を切らしながら、また言った。
「俺、早く炉主になりたい。名で呼ばれたい」
レイは、立ち止まってカナメを見た。誤魔化さずに言った。
「炉主は“勝って奪う椅子”じゃない」
「でも……!」
「都の灯を守る責任が積み重なって、名が残るんだ」
カナメが黙る。レイは続けた。アオギリの名を、わざと美化しないように選びながら。
「命を燃やすのが近道だと思うな。……あんなのを“早くなりたい”で真似すんな。守るってのは、勝手に派手にならねぇ」
カナメの目が揺れた。悔しさと、憧れと、怖さが混ざった表情だ。やがてカナメは唇を結び、拳を握りしめた。
「……じゃあ俺は、名で呼ばれるまで積み上げる」
その言葉は、さっきまでの“奇襲で勝つ”とは違った。逃げ道のない決意だった。
レイは少しだけ息を吐き、条件を出した。
「奇襲はやめろ。やるなら訓練で勝て」
「……うん」
「称号のためじゃなく、“守るため”に強くなれ」
カナメは一度だけ大きく頷いた。子どもらしく、しかし誤魔化さずに。
二人が本庁へ戻ると、キソは苛立ちを隠さなかった。だが、その背後でハクレンが短く言った。
「……よい」
それだけで、キソは口を閉じた。事実上の黙認だった。炉主の判断は重い。
門写室に戻り、レイは撮り直しを命じられた。さっき揉めたせいで記録が乱れたのだ。係官は淡々と椅子の位置を直す。
「顎を上げすぎない。目はここ」
レイはぶすっとした顔のまま座った。笑う気なんてない。けれど今度は、係官の言葉に噛みつかなかった。呼吸を整え、心音を落として、ただ正面を向いた。
閃光が走り、門写が記録される。
手続きが終わると、レイは
別れ際、カナメが少しだけ躊躇して、それから小さな声で言った。
「……レイ。明日も来い、師匠」
肩書きではない呼び方だった。炉主の孫でもない、ただのカナメの声だった。
レイは面倒くさそうに手を振った。
「勝手にしろ。……遅れんなよ」
そう言いながら、胸の奥がほんの少し軽くなるのを、レイは誰にも見せないように歩き出した。蒼都の欠けた灯の下で、二人の小さな修行が始まりかけていた。
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