第18話 色欲のアスモ

アスモの指先がアークに触れた瞬間、世界は一変した。

学園の校庭も、震えていたキースやルナの姿も消え、そこには淡い桃色の霧が立ち込める終わりのない回廊が広がっていた。

​「……ここは……?」

「ようこそ、アーク君。ここは私の精神領域――『色欲の檻』よ」

​背後からアスモの吐息が聞こえる。彼女はアークの首筋に腕を回し、妖しく囁いた。

​「魔力なんて、結局は『欲望』の塊。ここじゃ、あんたが隠してる本音が全部形になるわ。……ほら、見てごらんなさい?」

​霧の向こうから、二つの影が現れる。

それはアークが夢にまで見た、父カイと母セーラの姿だった。

​「……父さん、母さん……!」

思わず駆け寄ろうとするアーク。だが、二人の表情は凍りついたように冷たい。

​「……出来損ないが。なぜ、私たちを助けられなかった」

「お前のせいで、私たちは死んだ。お前の血には、呪いしか流れていないのに」

​「違う……そんなこと……!」

アークの心が揺らぐ。その隙を見逃さず、アスモの魔力がアークの精神を侵食し、内側から魔力を奪い去ろうとする。精神が折れれば、そのまま廃人になる死の授業だ。

​一方、地上では

​学園の校庭では、他の魔神たちが退屈そうにその様子を眺めていた。

​「アスモのやつ、相変わらず悪趣味だな。一気に燃やし尽くせばいいものを」

憤怒のバルカンが苛立たしげに地を踏み鳴らす。

​「いいじゃない。じわじわ壊れる人間を見るのも、たまには目の保養になるわよ」

嫉妬のレヴィが、不気味な笑みを浮かべてアークを凝視している。

その光景から少し離れた時計塔の影。

折れた杖を見つめ、屈辱に震えるガレスの前に、静かに水が滴り落ちた。

​「……惨めですね、ガレス。あんな人間が魔神たちに囲まれ、貴方はただ見ているだけだなんて」

​現れたのは、水銃学園の学園長、イザベルだった。彼女はいつもの慈愛に満ちた表情で、そっとガレスの肩に手を置く。

​「イザベル様……。私は、あいつを殺したい。祖父様に見捨てられる前に、あいつを……!」

​「……ええ、わかっていますよ。ヴォルガノ殿は厳しい方だ。でも、私なら貴方を助けてあげられる。……この『雫』を飲みなさい。これは、貴方の血筋に眠る真の魔力を呼び覚ます聖水です」

​イザベルの手のひらには、透き通った一滴の水が浮いていた。

だが、その芯には、森で見たあの「黒い霧」が微かに、だが確実に混じっていた。

​「これを飲めば……あいつを殺せますか?」

「ええ。貴方は、本当の『選ばれし者』になれるわ」

​ガレスは迷うことなく、その毒を飲み込んだ。

イザベルの口元が、一瞬だけ鋭く、歪に釣り上がるのを、誰も見ていなかった。

​「……くっ、あぁぁッ!!」

精神迷宮の中で、アークは膝をついていた。

偽物の両親が放つ言葉の刃が、アークの心をズタズタに切り裂く。

​(……ぼくの。僕のせい、僕に、力がないから……!)

​絶望に染まりかけたアークの脳裏に、不意に、あの不味い『魔界トカゲの燻製パン』の味が蘇った。

そして、ルナが巻いてくれた下手くそな包帯の感触。

​「……違う。僕は、もう一人じゃない……!」

​アークの瞳が黄金色に爆発した。

「偽物の記憶で、僕を支配できると思うな!!」


アークは体内の魔力を逆流させ、一点に爆発させた。

​「――『絶魔・圧壊(アッカイ)』!!」

​ドォォォォォンッ!!

精神領域そのものを粉砕する衝撃波。

アスモが「あら……!?」と驚きに目を見開いた瞬間、桃色の霧は霧散し、アークは現実の校庭へと帰還した。

​「……はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

立ち尽くすアークの前に、魔神たちが初めて「驚き」の表情を見せる。

​だが、その驚きさえも、一人の乱入者によって遮られた。

​「――アーク・ヴァローォォォォッ!!」

​校庭に降り立ったのは、ガレスだった。

だが、その全身からはドス黒い魔力が溢れ出し、眼球はどす黒く変色している。

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