第2話 『逃亡者の休息と、路地裏の棚ぼた英雄』 ​

​「――申し訳ございません、姫様! 見失いました!」


​夜の森に、騎士団長ガドの悔しげな声が響いた。


タロウが走り去った後、ガドは即座に追跡を開始したのだが、ものの数分で戻ってきてしまったのだ。


​「まさか、この私が追いつけないとは……。痕跡一つ残さず、まるで風のように消え失せました」


​ガドは王国の騎士団長。その脚力と追跡能力は国内随一だ。


彼が追いつけないなど、通常では考えられない。


しかし、セリス王女はその報告を聞き、落胆するどころか、どこか誇らしげに微笑んだ。


​「よいのです、ガド。あの方は、私たちに見つからないように『配慮』してくださったのですから」


​「配慮、でございますか?」


​「ええ。思い出して。隣国ウル・タロン帝国から流れてきている、あの噂を」


​セリス王女の言葉に、ガドはハッとして顎に手をやった。


​「……確かに。帝国の諜報員からの情報によれば、『第二皇子レオンハルト様が、武者修行のために極秘裏に帝都を離れ、旅に出ている』とのこと」


​「そう。公には『行方不明』や『病気療養』とされていますが、実力至上主義の帝国において、次期皇帝の座を盤石にするための武者修行であることは公然の秘密……」


​セリスは、タロウが消えた闇の方角をうっとりと見つめた。


​「身分を隠しての旅。もしここでイスタリカ王国の正規騎士団に関われば、外交問題になりかねない。だからこそ、あの方は名乗らず、風のように去ったのです。私たちの立場を守るために」


​「なんと……! そこまでの深慮遠謀が!」


​ガドは感嘆し、深く頭を垂れた。


​「ただ怯えて逃げた」だけのタロウの行動が、ここでは「国家間のトラブルを避けるための高度な政治的判断」に変換されていた。


​「間違いありません。あの方こそ、ウル・タロンの至宝、レオンハルト皇子。……このガド、あの方の背中から学ばせていただきました。『真の強さとは、去り際にある』と」


​「ふふ、またいつか巡り会える気がします。運命の糸が繋がっているならば」


​王女と騎士団長は、完全に誤った確信を抱きながら、王都への帰路についた。


タロウにとっては最悪なことに、彼の手配書(※ただし『重要参考人・超VIP』扱い)が、裏で作成されようとしていたとは露知らず。


​「はぁ、はぁ、はぁ……! 逃げ切った……か!?」

​一方、そんな高尚な勘違いをされているとは夢にも思わないタロウは、肺が破裂しそうなほど息を切らしていた。


『剣神の加護』の脚力に任せて全力疾走し、気づけば夜が明け、見たこともない街道に出ていた。


​「よかった……追っては来てない。あんな面倒な王女様に関わったら、一生胃薬が手放せなくなる」


​タロウは膝に手をつき、安堵の息を吐く。


彼がたどり着いたのは、イスタリカ王国でも有数の規模を誇る商業都市「ベルン」。


高い城壁に囲まれ、多くの商人や冒険者が行き交う活気ある街だ。


​「ここなら……人混みに紛れれば、誰にも見つからないはずだ」


​なんとか街の中へと潜り込んだ。


目立たないように古着屋で安っぽい灰色のフード付きローブを購入し、頭からすっぽりと被る。


背中の黒い剣(街の武器屋製)が少し邪魔だが、丸腰だと逆に冒険者に絡まれるので仕方なく帯刀している。


​「ふふふ、完璧だ。これならどこにでもいる貧乏な冒険者にしか見えない」


​大通りは人が多すぎて誰かにぶつかりそうで怖い。

対人恐怖症気味の僕は、あえて人気の少ない裏路地を選んで歩くことにした。


薄暗く、湿った匂いのする路地裏。


ここなら知り合いに会うこともないし、王国の騎士に見つかることもない。


僕は久しぶりに訪れた平穏に、心の中でスキップをした。


​――その時だった。


​「やめ、やめてください! 誰か!」


「へへへ、こんな所を通るのが悪いんだよ、お嬢ちゃん」


「身ぐるみ置いていきな。抵抗しなきゃ痛い目は見せねぇよ」


​路地の奥から、典型的なチンピラの声と、若い女性の悲鳴が聞こえてきた。


僕はピタリと足を止めた。


​(うわ、最悪だ。強盗だ)


​映画や漫画なら、ここで颯爽と助けに入るのが主人公だ。


だが、僕はタロウだ。事なかれ主義の極みだ。

関われば、警察(衛兵)が来る。事情聴取をされる。身元を洗われる。


最悪の場合、あの王女の一件がバレて「探しましたよ、レオンハルト皇子!」となる未来が見える。


​(……見なかったことにしよう)


​ごめんね、名もなきお嬢さん。


君の犠牲は無駄にはしない。君が襲われている間に、僕はこっそりとこの場を離れさせてもらう。

僕は息を殺し、忍び足で「回れ右」をした。


​しかし。


運命の神様は、僕に平穏を与える気などさらさらないらしかった。


​「おらぁっ!」


​強盗の一人が、娘の悲鳴に興奮したのか、持っていたナイフを振り回した。


娘がそれを避けようとして、バランスを崩す。


彼女が倒れ込んだ方向には――積み上げられた空の木箱があった。


​ガシャーン!!


​派手な音が路地裏に響き渡る。


その音に驚いた僕は、ビクッとして振り返ってしまった。


その瞬間、フードがずれ落ち、僕の顔と目が合った強盗のリーダー(モヒカン)が声を上げた。


​「ああん? なんだテメェ、見てたのか?」

​「ひっ!」


​見つかった。


僕はとっさに両手を上げて、「何でもありません、ただの通行人です、命だけは助けて」のポーズを取ろうとした。


だが、強盗たちはそれを「戦闘態勢」と誤認した。

​「チッ、邪魔が入ったか! 野郎ども、まずはコイツから血祭りにあげろ!」


​「いやいやいや! 違います! 僕は今から帰るところで……うわぁぁ来ないで!」


​三人の男たちが、ナイフや棍棒を持って突進してくる。


狭い路地裏だ。逃げ場はない。


僕はパニックになり、腰の剣を鞘ごと引き抜くと、それを盾にするように顔の前で構えてうずくまった。


​「助けてぇーッ!」(心の声)


​先頭の男がナイフを突き出す。


その切っ先が僕の喉元に迫る――直前。


​『オート・パリィ(自動防御)』発動。


​僕の手が勝手に動いた。


鞘に入ったままの剣が、神速で跳ね上がる。


カキンッ! という硬質な音と共に、男のナイフが弾き飛ばされ、路地の壁に突き刺さった。


​「なっ!?」


​男が驚愕に目を見開く暇もなかった。


弾いた勢いのまま、僕の剣(鞘)は回転し、男の顎を「ガチン!」とカチ上げた。


男は白目を剥いて宙を舞い、数メートル後方へ吹き飛んだ。


​「あ、兄貴!?」

「こいつ、やるぞ!」


​残りの二人が左右から同時に襲いかかる。


僕は「ひぃぃ!」と悲鳴を上げて、頭を抱えてしゃがみ込もうとした。


その「しゃがむ動作」が、二人の攻撃を紙一重で回避する見事なダッキングとなる。


男たちの武器が僕の頭上で空しく交差する。


​そして、僕は恐怖で足がもつれ、尻餅をつきながら足をバタつかせた。


​ドカッ! バキッ!


​僕の足が、偶然にも男たちの鳩尾(みぞおち)と向こうずねにクリーンヒットした。


加護によって強化された脚力だ。たとえ適当なキックでも、岩をも砕く威力がある。


​「ぐふぅ……!」

「あがぁ……!」


​男たちは「く」の字に折れ曲がり、泡を吹いてその場に崩れ落ちた。


戦闘時間、わずか三秒。


路地裏に静寂が戻る。


​「……あ、あれ?」


​僕は恐る恐る目を開けた。


目の前には、のびている三人の男たち。


僕はまた、何もしないまま(実際は暴れただけだが)勝ってしまったらしい。


​「す……すごい……」


​震える声が聞こえた。


襲われていた娘だ。


栗色の髪をショートカットにした、活発そうな――今は恐怖で顔を青くしているが――可愛らしい少女だった。


彼女の服装は、一見地味に見えるが、よく見れば最高級のシルクで仕立てられている。


​彼女はキラキラした瞳で僕を見つめていた。


​「たった一人で、武器を持った三人を……しかも、剣を抜きもせずに鞘だけで制圧するなんて……」

​「いや、あの、これは……」


​「それに、あえて鞘を使ったのは、彼らを殺さないためですね? 路地裏のような場所でも、命を奪わずに悪を挫く……なんて鮮やかな手並み!」


​違う。抜くのが怖かったのと、抜く余裕すらなかっただけだ。


しかし、彼女はすでに「タロウ教」の信者になりかけていた。


​彼女は立ち上がり、スカートの埃を払うと、優雅な仕草で一礼した。


​「危ないところを助けていただき、本当にありがとうございます。私はミナ・ゴロンと申します」


​「ゴロン……?」


​どこかで聞いたことがある名前だ。


あ、思い出した。


イスタリカ王国で一、二を争う大商会「ゴロン商会」だ。


あらゆる商品を扱い、王室御用達も務めるという、超がつくほどの大金持ち一族。


​「じ、じゃあ、君はゴロン商会のお嬢様……?」


​「はい。お忍びで市場調査をしていたのですが、護衛を撒いてしまったのが失敗でした」


​ミナは苦笑する。


そして、僕の手をガシッと握りしめた。


​「貴方のような腕の立つ方に助けられるなんて、私はなんて運が良いのでしょう! お礼をさせてください。ぜひ、我が家へ!」


​「え、いや、お礼なんて(嫌な予感しかしない)」


​「遠慮なさらないでください! 父もきっと喜びます。貴方のような『本物』を、我が家は求めていたのですから!」


​本物? 何のことだ?


間違いなく嫌な予感がする。(これはダメなパターンだ)


だが、ミナの強引な誘いと、「お礼=多額の謝礼金」という下心に負け、僕は彼女についていくことになってしまった。


​ゴロン家の屋敷は、街一番の高台にある、城のような大豪邸だった。


通された応接間で、僕は商会の会長、ドモン・ゴロンと対面していた。


でっぷりと太った体躯に、鋭い眼光。


​「話はミナから聞いたぞ。鞘のみで暴漢を撃退したとな。……タロウ殿と言ったか」


​ドモン会長は僕を値踏みするように見つめる。


​「君、何か『訳あり』なのだろう? 身なりは質素だが、その剣……ただの鉄剣ではない。名のある騎士か、あるいは高貴な身分の方が、訳あって身をやつしている……図星かな?」


​(こいつも深読みキャラかよ!)


​ドモンはニヤリと笑い、爆弾発言を投下した。


​「実はな、タロウ殿。折り入って頼みがある。我が商会の『特別用心棒』になってもらいたい! 最近、裏社会を牛耳る『赤サソリ団』という組織に狙われていてな」


​「ええっ!? 無理です……!」


​「報酬は弾む。それに……我が商会の情報網を使って、君の『追っ手』から身を隠す手助けもしよう」


​「!」


​その言葉に、僕は反応してしまった。


追っ手=王女たちだ。王都の方針を知るには、この商会の情報は役に立つかもしれない。


​「……その話、詳しく聞かせていただけますか?」


​僕が恐る恐る尋ねると、ドモンは「交渉成立」とばかりに満面の笑みを浮かべた。


​「決まりだ! 今日から君はゴロン家の賓客であり、最強の切り札だ!」


​こうして、王女から逃げた僕は、今度は悪徳犯罪組織との抗争の矢面に立たされることになってしまった。


平穏な生活は、またしても遠のいていく。


王女たちの誤解が解けることもなく、新たな伝説がここで幕を開けようとしていた。

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