吊下機動兵ハンガー・トルーパー

明丸 丹一

ハーバー・コリドーの決闘

 訓練中止を告げる警報サイレンが、狭いコックピット内に突き刺さった。

 少年の視界を、バイザーの警告赤光が染める。


 上空――雲の合間に座する巨大な影、母艦マザードローンが核動力の唸りを低く響かせていた。

 高度千メートルから垂れ下がる一本の給電糸パワー・テザーが、少年の駆るMF《マリオネット・フレーム》に、膨大な電力という名の命を流し込んでいる。


 背中を引っ張られるような独特の浮遊感。

 それはまさに、天から吊るされた操り人形マリオネットの感覚だった。


「HCTSログは触るな。お前の癖が全部抜けるぞ」


 耳元で、校正担当フィクサーの冷徹な声が響く。

 有人機担当の随伴マザー、その管制席。二次テクノクラート上がり――現場の勘よりマニュアルの手順を信じる手合いだ。


「分かってる」


 少年が短く答えると、機体のセンサーがわずかな指先の振動を拾い、金属のマニピュレーターを鋭く反応させた。

 ハイコンテクスト・トレース・システム。操縦者の意図を癖ごと増幅する回路システム。苛立ちさえも機動へ変換していく。


「分かってるなら――癖に頼るな。ノイズだ。マシンの計算に従え」


「……了解」


 息が一拍、止まる。返事の代わりに手順書をめくる音。


「いい。なら勝て。死ぬな」


 その言い方が、実戦を強く意識する。

 少年は返事を飲み込み、バイザーの表示へ意識を戻した。ハイパートレース増幅値は安定。FCS連接、ロックオン補正、電磁装甲ディフレクター出力よし。意図補正インテント・アシストをオン。ブレードレスブレード装備によるの姿勢均衡角バランス、良好。


 手順は体に染みている。


 ――だが、体のもっと深いところには別の手順があった。


 幼少のみぎり――いまも少年だが――習い覚えた武術……というより兵法だ。

 足と腰。間合いの読み。拍子の取り方。型は古いのに、やっていることは今も同じだ。……同じになった、と言うべきか。


 それは、彼の故郷の唯一の遺産だった。


 SSP――宇宙太陽光発電。空に建った柱と、そこから落ちてくる富と権力の糸。

 送電の利権争いで、海図の一角が整理された。港が閉じ、町が消え、地名が消えた。

 残ったのは、畳の擦れる音と、胴着の背に染め抜いた紋と、潮の匂い――過去の残り香だけ。


 その瞬間、HQの声が無機質に割り込んだ。


『沿岸監視に異常。複数の熱源反応あり。低速、重装。電磁装甲ディフレクター装備とみられる』


 フィクサーが間を置かず続ける。冷えた声が、業務の速度で落ちてくる。


「ターゲット、沿岸部より接近。重装、電磁装甲装備だ」


 モニターの端で、訓練用の仮想標的が消え、実戦の熱源反応が点滅を始めた。


 少年は――自分の軸を意識した。

 天から頭頂に糸が張っているイメージ。あの畳の上で叩き込まれた感覚。


「トルーパー・フォー、出る」


 給電糸テザーを背に、少年は虚空を蹴った。


 視界の外縁で、ゲート島上空の陣形が結ぶ。

 高空にマザーが三機、腹に標準ハンガーを一機ずつ。あれは遠隔操作用の制御線ケーブルで生きている。


 自分だけが、訓練区画上空の第四のマザーに給電糸パワー・テザー一本で吊られた有人機――理論上、遅延が最小となる白兵戦用ハンガーだ。


 慣熟訓練が、実戦に切り替わる。


 三機のマザーが牽引ロックを解除し、腹下の標準ハンガーを投下シーケンスへ移した。

 ケーブルが張り、次いで降下。海風の中で機体が姿勢を合わせ、港湾区へ散開する。


 一方、少年の有人ハンガーは、随伴マザーに繋がれた給電糸パワー・テザーを背に、訓練場からそのまま遊撃に入る。短い推進が噴き、甲板を蹴って空へ跳ぶ。重力が体を引く。だが遅延はなく、自分の呼吸と機体が直結している。


 沿岸の物流ヤードが見えた。コンテナが積み上がり、橋梁へ続く道路が一本の線になる。その線の上を、重装の影が進んでいた。


 電磁装甲戦車ディフレクター・タンク

 淡い発光が車体を包む。飛翔体の射線を撹乱する電磁偏向フィールド――戦車装甲の復権。


「接触戦に入るぞ。撃破じゃない、精密戦プレシジョン・ウォーフェアだ」


 小隊長の声が全体回線に乗る。標準ハンガー三機が左右へ散開し、射線管理に入る。火力支援機、トルーパー・ツーが随行ドローンを落とし、トルーパー・ワンがタンクに射撃を食わせる。

 少年は、その隙間を縫って前へ出た。


 ブレードレスブレードを構える。見た目は直剣だが、接触圧を高めた鈍器に近い武装。

 狙いは負荷が上がる瞬間――フィールドが薄くなる角度がある。そこへ踏み込み、側面へ滑り込む。叩き込む先は冷却配管、センサー帯、砲塔基部。


 鈍い衝撃。破砕音。タンクが一瞬、息を止めるみたいに沈黙した。

 二両、三両。同じ手口で沈黙させる。壊すのが主目的ではなく、周囲の——この場合は橋に被害を出さずに排除する。精密戦だ。


 だが、敵の動きが妙だった。

 橋梁を落とさない。港湾を焼かない。ゲート島の外縁を回り、制御区へ向けて細く前進している。


「敵目的、接収だ。キー・ストリップ狙い」


 フィクサーの声が低くなる。


「制御区、校正ベイ、部材ハブ。資源かコントロールを奪う気だ。止めろ」


 止める。その言葉が背筋を冷やした。


 次の瞬間、海上に影が増えた。

 低空へ降りる敵の母艦マザードローン――二機。塗装が違う。IFFは沈黙。電子戦の霧が一瞬だけ濃くなる。


『敵性MF、二。敵性マザー、二』


 味方回線がざわつく。ハンガー戦は白兵戦になる。


 敵の二機のマザーが、それぞれ腹から一機ずつ。計二機のMF《マリオネット・フレーム》を降ろした。

 


 敵二機は正面から来ない。代わりに、味方の標準ノーマルハンガーの背後へ回り込む。

 狙いは破壊じゃない。奪う動きだ。


「―—ケーブルか」


 刃が吸い込まれるように走り、二本の制御線ケーブルがほとんど同時に弾けた。対MF用の鋭利な刃。

 味方の標準ハンガー二機の姿勢が崩れる。自立制御に移行するが、稼働時間は短い。内蔵バッテリーは姿勢制御の命綱でしかない。


「ケーブル狙いだと! 離脱する!」


 小隊長が叫ぶ。だが敵は追い討ちをかける。

 ケーブルを断たれた二機へ、二体が仕上げの位置取りを始めた。このまま無力化して略奪を完了させるつもりだ。


 少年は考えるより先に出ていた。

 有人ハンガーの推進が短く噴き、敵と味方の間へ割り込む。


 敵ハンガーがこちらを向く。ほんの一瞬、同じ世界を見ている気配があった。


 ――こいつも有人ハンガーだ。


 もう一機の敵は、残った味方標準ハンガーの支援で一度沈黙しかけた。だが完全ではない。

 視界の端で、ケーブルを断たれた味方機が一機、海面へ落ちそうになる。姿勢制御の噴射が空振りし、ふらついた。


 まずい。ここで一機でも持っていかれたら、制御区の手前が崩れる。


 喉が乾く。フィクサーの声が割り込んだ。


「――お前は前に出るな。テザーの負荷が」


 言葉は途中で途切れた。

 少年の視界に、敵の刃が入ったからだ。ケーブルを断った刃が、次は味方ハンガーの身体を断ちにいく。


 その瞬間、頭の奥で、別の声が鳴った。


『体に軸を作れ。そう、天から頭頂に糸が張っているイメージだ』


 剣の型ではなく、身体の在り方を先に定める。

 

 そうだ、糸。


 ――いま自分の背にも、糸がある。


 少年はテザーの張りを感じた。背中を引く力。天から吊るされる感覚。

 操り人形じゃない。これは支点だ。


「フィクサー。テザー、巻き取り上限を一段上げろ」


「何をする」


「――飛ぶ!」


「……一段だけだ。切れたら終わりだぞ」


 少年は機動スタイルを切り替えた。

 テザーの巻き取りが始まり、背中の糸が一気に張る。次いで、横へ体を倒す。重心をずらす。腰を切る。


 空が回る。


 ワイヤーに吊られた身体が、円弧で加速する。

 アクションの見せ場みたいな無茶――だが、MFの駆動系は意図を拾って返す。HCTSが、少年の癖を増幅してくる。


 マザーのななめ下から弧を描き、港湾クレーンの影を切って、敵の側面へ――。


 ブレードレスブレードを打ち下ろす先は装甲じゃない。

 肘部のアクチュエータ。センサー帯。姿勢制御の基部。


 ――関節部を、刈る。


 鈍い衝撃。敵機が一瞬、空白を踏んだ。

 姿勢が崩れたところへ、二撃目。脇から肩へ抜ける軌道で、敵機の片腕を両断する。


 敵機が沈黙した。


「一機、落とした……!」


 味方回線に息が戻る。

 落ちかけた味方機も、残った標準ハンガーが抱え込むように支え、辛うじて退避へ回った。


 だが――その勝ち方を、敵は見ていた。


 残る敵有人ハンガーが、少年を真正面から捉えた。

 珍しい武装を構えている。剣銃ガンブレード。銃口は撃つというより射線を通して剣の圧を作るための道具だ。防御を強いるための圧力。


 敵が踏み込む。

 少年はテザーでの円弧機動ワイヤーアクションにもう一度入ろうとして――背中が軽くなった。


 嫌な軽さ。


 次いで、乾いた断裂音。


 パワー・テザーが切られた。


 HUDが赤く染まる。


【内蔵バッテリー駆動 残:119秒】

【ディフレクター高出力 維持不可】

【資産保全:離脱推奨】


 ――カウントダウンが始まった。


 敵は一歩も急がない。

 切ったのは刃の優位じゃない。時間だ。

 吊られた機体は、糸を失えば死ぬ。そういう前提で組まれている。


 少年は、息を吸った。

 糸がなくても、軸は残る。


 そして、相手の動きを見た。


 敵の踏み込みは、滑らかすぎる。まるで―—


 ――同じだ。


 敵も、マザーに吊られている。テザーか、あるいは自重を補助する索。

 自由に見せて、糸に囚われた動きしかできない。マリオネット・フレーム。


 なら、型が通る。


 少年は剣先を上げる。

 面突き――敵の視線の中心へ、真っ直ぐ刺す軌道を見せる。


 敵が反応し、上体を固めた。ガンブレードの圧が上へ寄る。

 頭部を守る。


 その瞬間、少年の剣先が落ちた。


 足払い一閃。


【残:45秒】


 膝部関節――下の一点へ、斜め上から刈り取る圧。

 MFの足は、人の足に似せて作られている。似せた以上、似た弱点もある。


 敵機の片脚が浮き、姿勢制御が遅れる。

 遅れは一拍。――その一拍で十分だ。


 返す刀。


 敵機頭部――センサー群を斬り飛ばす。光学が死に、姿勢制御が迷う。

 敵機は移動手段を失って沈黙した。


「――状況終了」


 少年は息を吐いた。

 勝った。生きている。


 ◇


 だが次の瞬間、沈黙した敵機の腹の奥で光が膨らんだ。

 小さな光。次に熱。ログとキー素材を焼くための自己消去。局所で、丁寧に、周囲を巻き込まないように。


「自爆……!」


 爆風が、海風より速く来た。ディフレクターが悲鳴を上げ、発光が乱れる。装甲に小さな破片が刺さる。


 視界が戻ったとき、敵機は影もなかった。

 残ったのは黒い跡と、焼けた金属の匂いだけ。


 空では、敵味方のマザーが同時に距離を取り始めていた。

 追えない。追っても意味がない。相手は正体を残さない。


 フィクサーの声が硬い。


「撤退。制御区は守った。こちらは……生存。損耗、標準ハンガー二、軽微」


 少年はコックピットの中で息を吐いた。

 今度は、胸の奥が――不思議と軽かった。


 敵はログを焼いた。所属も目的の細部も残していない。

 それでも、ひとつだけ残ったものがある。


 港の水面に、焦げた破片がまばらに漂う。ひとつだけ妙なものが目に引っかかった。


 刻まれた紋様。


 ――故郷の武術……鬼一伝きいちでんの紋の紋に、似ている。


 偶然か。偽物か。挑発か。

 だが少なくとも、今日の一撃は通じた。


 MF戦は、機械の計算だけで決まらない。

 吊られた身体には、吊られた身体の型がある。


 加えてその型を、武術の技が食える瞬間がある。


 給電糸パワー・テザーの再接続の最中。フィクサーが、珍しく言葉を選ぶように言った。


「さっきのテザーの使い方……手順書にはない。ノイズだと思っていたが。MF戦のマニュアルが書き換わるかもな」


 少年は操縦桿を握り直す。指がまだ震えている。


「……技だよ」


 フィクサーが短く息を漏らした。笑いとも苛立ちともつかない音。


「次からはそのマーシャルアーツだかなんだかは最初から使え」


 少年は、破片の紋様から目を離さなかった。


 夕焼けの向こうで、軌道エレベーターは沈黙したまま立っている。


 ――誰が、この糸を引いている。


 少年はエレベーターの更に先——天を仰いだ。

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